ハムは愛想がよく、社交的で頭のよい男である。ウィットに富むと同時に幸運にも恵まれている。ハムはアルリットのウラン鉱山で25年も働いた。最初は下級労働者であり、その後、かなりの期間を巨大なウラン掘削機の操縦者として過ごした。最後にはその勤勉ぶりが評価された結果、職場の安全性を管理するポストに就くことができた。
このポストについたおかげでハムは特権的な立場から単眼鏡で世界を垣間見ることができるようになった。ニジェール北部には他に1つとして病院がないが、この小さな町、アルリット(Arlit)に病院が3つ以上あることに気づいたのはしばらく時間がたってからだった。さらに奇妙なことは妊婦たちが巨大なお腹になるにもかかわらず、生まれてくる子供たちがまるでネズミのように小さいことだ。労働の終着駅には悲嘆と静かな涙があるのみ。男の労働者の多くが喫煙者でもないのに肺を患っている。
他の鉱山では労働者を守るための様々な防護用具が使用されている。ところがアルリットではそうしたものはない。パイプ、はかり、厚板、台車など、ウラン鉱山で使った古い道具を他の鉱山でも使いまわしている。だから義務になっている作業後のシャワーもさして防護効果がない。アルリット周辺の遊牧民たちがシャワーを浴びても、飼っている家畜たちが放射性物質が付着した草を食んでいるため、さしたる防護効果がないのと同様である。
ハムも内部被ばくしていた。鉱夫、その家族、さらにはアルリット周辺の人々、そしてアルリットのウラン鉱から2000キロ続く道路に沿って暮らす住人たちはみな常時被曝している。その2000キロの道路はウラン鉱を積んだトラックが24時間ひっきりなしに走り、コトノウ(Cotonou)港まで続いているのだ。
もちろん、ハムは仕事を辞めることもできたろう。しかし、ニジェールにおいては払いのいい仕事を辞めることはできない。というのもそれが唯一のものだからだ。さらにハムがやめられない理由は彼の生まれ故郷アウデラス(Auderas)の牧歌的なオアシスに観光客向けのビオガーデンを作ろうとしており、それには金が必要だからだ。ハムは自然と文化が保存された地域を守るためにNGOを設立し、懸命に闘ってきた。アルリットの放射能汚染調査を実施してもらおうと、世界中で放射能汚染を測定しているフランスのNGOを招聘しようとしたが、実際に彼らがニジェールに来るまでに1年の歳月を費やすことになった上に、NGOの携えてきた計測機器はニアメイ空港で没収される始末だった。
それにも関わらず、携帯用ガイガーカウンターと肉眼による観察によって、周囲の放射性物質による汚染状況はハムが予想した以上に悪いことがわかった。アルリットに病院がある真の理由はウラン製造に伴う被ばくをカモフラージュするためだったのだ。
だからこそ、放射能について話すことが重要なのだ。健康被害を受けている人々の大半が内部被ばくの怖さについて認識がない場合はなおさらのことだ。専門家によって制度化されはしたが、何も変わってはいない。ただ1つ変わったのはハムの姿が不思議なことに作業場から消えた事だった。ハムの名前は蒸発したのだが、ハムは今も報酬を得ている。それが今のハムをめぐる事態である。雇用されており、労働していない。ハムは今、どうすればもっと地を這う活動をしているNGOを引き付けることができるか考えているところだ。ハムはビオガーデンとキャンプ場を完成させ、ニジェールに帰ることを考えている。まずは家族からだ。
■アルリット(arlit)
http://en.wikipedia.org/wiki/Arlit 寄稿 アンドレイ・モロビッチ 翻訳 プリモス・トロベフセク(スロべニア語→英語) 翻訳 村上良太 (英語→日本語)
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