東日本大震災、原発惨事から一年が過ぎて、被災地の再生をどう図っていくかが改めて論議の的になっている。単なる復興ではなく、やはり再生への新しい道をどう展望するかが問われている。 原発廃止はもちろんとして、脱原発後の「身の丈にあう幸せとは何か」を問い続けなければならない。反「新自由主義」の変革モデルをどう築いていくかも重要な課題である。東北全域を再生させる挑戦は、実は二十一世紀版自由民権運動だという認識も芽生えつつある。東北被災地再生の行方が日本列島全体の将来を左右することにもなるだろう。
毎日新聞に連載(3月3日付から17日付まで10回)された「再生への提言」を読んで、その感想を述べたい。
▽登場人物10人とその多面的な提言
提言の見出しと登場人物10人の氏名、現職、略歴はつぎの通り。提言の見出しからも分かるように多面的な提言となっている。
・現場の泥臭さ生かせ=岡本行夫氏(外交評論家=外務省課長、首相補佐官など歴任) ・社会全体の底上げを=河田恵昭氏(中央防災会議・専門調査会座長=関西大教授、専門は巨大災害) ・指導者は強い姿勢を=石原慎太郎氏(東京都知事=作家、一橋大在学中に芥川賞) ・特区で持続的雇用を=武藤敏郎氏(大和総研理事長・元財務事務次官=日銀副総裁も歴任) ・身の丈にあう幸せを=津島佑子氏(作家=「黄金の夢の歌」で毎日芸術賞) ・全国から人材集めて=小林健氏(三菱商事社長=71年入社、10年6月から現職) ・自発的変革の気概を=ピエール・スイリ氏(ジュネーブ大教授・日本学科長=元日仏会館フランス学長・99〜03年) ・東北をもっと知って=渡辺えり氏(劇作家・演出家・女優=1978年「劇団3〇〇」結成) ・生命優先 近代越えよ=オギュスタン・ベルク氏(仏国立社会科学高等研究院教授=元日仏会館フランス学長・84〜88年) ・福島の「草の根」に希望=赤坂憲雄氏(「東北学」を提唱する福島県立博物館長=復興構想会議委員を務めた)
以下では10人の提言から選んで3人の提言(大意)を紹介し、感想を述べたい。
▽「身の丈にあう幸せ」とは何か
津島佑子氏の提言=身の丈にあう幸せを 戦後、多くの日本人はアメリカ文化に新しい自立、自由を感じ、金持ちになることがその手段だと思うようになった。戦前からの権力者たちは自らの戦争責任をあいまいにしたまま、技術立国だの経済成長だのと叫び始めた。私たちもみるみる豊かになる社会や生活にぼんやり満足してきた。その間、原発は「増幅」を続け、揚げ句の果てに福島第一原発事故が起きた。 これまで反原発の声が力を持つことはなかったが、事故のあと、原発廃止を求める人たちが国境を超え、手をつなぎ始めている。一方で国を担う人たちは経済発展を理由に原発を輸出したがっている。
原子力産業とは戦後、都市の電力供給のために地方が放射能のリスクを負うという、形を変えた植民地主義の産物だった、と今度の原発事故で知った。そんな原発はもう見捨てなければならない。今も原発を動かしたい人たちは、巨大な古代神にいけにえをささげ続ける神官たちのように見える。そのいけにえは、子共たちの未来なのだ。 戦争に負けても変わらなかったこの国の価値観と人間の身の丈にあった幸せとは何なのかを可能な限り問い直す責任が、今日本に住む私たちに課せられていると思う。
<安原の感想> 植民地主義の原発は見捨て、幸せを 「原子力産業とは戦後、都市の電力供給のために地方が放射能のリスクを負うという、形を変えた植民地主義」という指摘には新鮮な響きを感じる。たしかに日本版植民地主義の典型ともいうべき原発は廃止するときである。 同時に「身の丈にあう幸せとは何か」を問い続けなければならない。それは従来型の技術立国、経済成長主義、原発輸出 ― などという路線とは異質のテーマである。しかも「幸せ」は原発のように押し付けられるものではなく、自らの意志で創っていくものであるに違いない。
▽ 社会を変革させてきたダイナミズムを
ピエール・スイリ氏の提言=自発的変革の気概を 昨年、私は本紙で「日本では天災が世直しの契機でもあった」と指摘した。あれから1年。私は失望している。大きな復興を契機に、長期停滞の20年を再構築する気概も生まれてくると期待したが、無反応なままであるのに驚いている。 歴史家の目で見て、今の日本停滞の原因は、積極的に独自の未来モデルを創造してこなかったことにある。
戦後復興の後に、独自の対策を生み出す機会も十分あったに違いない。その後、新自由主義経済をモデルに取り入れたが、現在それが失敗であったことが分かっているのに、曖昧なままだ。第二次大戦の戦後処理からいつまでも解放されない。対米関係も、沖縄問題が象徴するように従属的な立場しか見えてこない。 日本には時代の課題に鋭く反応してきた伝統があり、江戸、幕末、明治、大正、戦後まで、自発的な変革のエネルギーが躍動していた。 それが1980年代ごろから消滅し始めた。各階層の指導者たるべきエリートたちが、社会変革の責任を果たしてこなかったのが原因だ。国家と民衆への裏切りと言ってもおおげさではないだろう。社会を変革させてきたダイナミズムの歴史の片りんを、近い将来に見ることができるだろうか。
<安原の感想> 「新自由主義」後の変革モデルへ 手厳しい批判である。「今の日本停滞の原因は、独自の未来モデルを創造してこなかった」こと、それは「国家と民衆への裏切り」とも断じている。示唆に富んでいるが、「変革の未来モデル」がないという指摘は、「親切な誤解」と受け止めたい。 反「新自由主義」の変革モデルをめざす独自の提案、構想、運動が日本で広がりつつある。脱原発はいうまでもない。内需主導型経済発展への転換構想、反「核」、反「日米安保体制」、反「沖縄米軍基地」、さらに地球規模で平和(=非暴力)構築をめざす地球救援隊構想(自衛隊の全面改組)などである。
▽ 現代の自由民権運動を求めて
赤坂憲雄氏の提言=福島の「草の根」に希望 復興の動きはあきれるほど遅い。国や県には将来へのビジョンが乏しいからだ。被災地はそんな国や県を見切り始めている。もはや受け身では何も動かないと、人々は痛みとともに気づいてしまった。 多くの人々が試行錯誤を繰り返しつつ、草の根レベルから声を上げている。そうした「下」からの動きこそ支援してほしい。
福島はかつて自由民権運動の土地だった。その記憶は今も生きている。シンポジウムの場などで、誰からともなく「自由民権運動みたい」という声が聞こえてくる。現実が厳しいからこそ人々は現代の自由民権運動を求めている。 他方、中央の東北への視線は相変わらずだ。原発事故当事者、東京電力の姿が福島ではほとんど見えない。十分に責任を果たしてきたとも思えない。それなのに東電批判の声はとても小さい。 10万人の「原発難民」を生んだ福島に、原発との共存はありえない。福島県には、30年間で約3000億円の交付金が下りたと聞く。小さな村の除染費用にすら足りない。 どんなに困難でも、自然エネルギーへの転換しかない。東北全域を自然エネルギーの特区にするような、大胆で将来を見すえた提案がほしい。
<安原の感想> 東北全域を自然エネルギーの特区に かつての自由民権運動(明治前期、藩閥政治に反対して国民の自由と権利を要求した政治運動)を連想させるところが見逃せない。福島の人々は痛みとともに多くのことに気づいた。草の根レベル、つまり「下」からの声こそ大切であること、一方、原発事故当事者である東電の存在が福島では見えないし、責任も果たしていないこと、などなど。 これでは「原発との共存はありえない」は腹の底からの叫びであるに違いない。だから「東北全域を自然エネルギーの特区に」という大胆かつ正当な構想も浮上してきた。そこに東北全域の再生がかかっている。この再生への挑戦が21世紀版自由民権運動である。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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