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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年05月21日11時48分掲載
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文化
【核を詠う】(44)『短歌年鑑平成24年版』(角川学芸出版刊)から原発短歌を読む(4)「世界すでに昏れ落ちたりきカーテンを閉ざしてホットスポットに住む」 山崎芳彦
南相馬市の詩人・若松丈太郎さんの詩、日本に住み詩作をはじめ多彩に活動するアーサー・ビナードさんの英訳詩、つくば市在住の写真家の斉藤さだむさんの写真、で構成された美しい本、『ひとのあかし』(2012月1月 清流出版刊)を読んでいる。
「ひとは作物を栽培することを覚えた/ひとは生きものを飼育することを覚えた/作物の栽培も/生きものの飼育も/ひとがひとであることのあかしだ
あるとき以後/耕作地があるのに作物を栽培できない/家畜がいるのに飼育できない/魚がいるのに漁ができない/ということになったら
ひとはひとであるとは言えない/のではないか」(「ひとのあかし」)
若松さんの詩「ひとのあかし」(2011年5月)、「みなみ風吹く日1」(1992年11月)、「みなみ風吹く日2」(2008年8月)、「神隠しされた街」(1994年8月)の4篇をアーサー・ビナードさんが英訳し、斎藤さんの写真が表紙と本文の中に見事に配された、豊かで深い一冊となった。ハンディともいえるサイズながら、じっくりこころしずめて、3・11後を生きているいまを思いながら、読みたい本だ。左ページにゆったりした版組みの若松さんの詩、右ページにアーサーさんの英訳詩が見合いになって組まれ、随所に斎藤さんの印象深い写真が、あの惨憺の光景も含め、しかし自然や人物、生きているものを暗くではなく希望を感じさせる明るいトーンの焼きで仕上げて、バランスよく、数多く挿入されている。 「ひとのあかし」の根源について、原発事故の現実をしっかりとふまえ、今日と明日、未来にこころと目を届かせながら、考える。いまの私たちにとって、よき人たちが与えてくれたこの一冊を読むことができるのは幸いである。しっかりと読んで、いつか感想をまとめたいと思う。
若松丈太郎さん、東日本大震災・福島原発事故の昨年の3・11の2ヵ月後に、『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告』(コールサック社刊)を刊行した詩人に、まだお目にかかってはいないが、私にとっては懐かしい人である。未知の私が突然に掛けた電話で、この連載に取り上げようとしながら東海正史さんの歌集『原発稼働の陰に』を見つけ出せないでいた私に、南相馬市立図書館に蔵書があることを確かめ教えていただき図書館経由で借りられた。そのほか、ありがたい言葉に私は励まされた。 私事ではあるが、そうとばかりは思わない。人のつながりの中で、脱原発も、「ひとのあかし」を自らに問うことも、自分を励ますこともできる。なにごとかをする力を与えられ、わがものにすることができる。
『ひとのあかし』についての感想は別の機会に改めて記したいのだが、同書を読みながら、前記の『福島原発難民』を読み返して、「原子力発電所と想像力」(1994年9月10日)の文章に感銘を新たにした。この若松さんの文章は1994年5月にチェルノブイリを訪ね、同原発事故から8年後の現地をめぐり見聞したなかで得た深刻な印象の一つとして、チェルノブイリ30km圏の無人地帯について記し、そこでの体験から、原発近傍の地で生きる若松さんの思いは深く広く切実な、具体的な内容を持つものであった。
五月のウクライナのうつくしい季節、人が住むにふさわしい恵まれた土地から、原発の事故によって15万人の人々がその地を追われ、耕してきた豊穣な土地は放射能に汚染され、何も生産できなくなってしまった。 若松さんは、福島原発について考える。原発から30km圏内といえば、双葉町、大熊町、富岡町、浪江町、広野町・・・原町市、いわき市北部、人口約15万人とほぼ同じであることに思いが及ぶ。 「想像してもらいたい。双葉郡全体と隣接する市町村が、少なくとも十年のあいだ、無人地帯になる事態を。しかし、そうした事態の細部にいたるまでを想定し尽くすことは、私たちの想像力がなしうることを超えているのかもしれない。」「だが、私たちは私たちの想像力をかりたてなければならない。最悪の事態を自分のこととして許容できるのかどうか、想像力をかりたててみなければならない。」「最悪の事態とは・・・父祖達が何代にもわたって暮らし続け自分もまた生まれてきたこのかたなじんできた風土、習俗、共同体、家、所有するあらゆるものを、村ぐるみ、町ぐるみ置去りにすることを強制され・・・十年間、あるいは二十年間、あるいは特定できないそれ以上の長期間にわたって・・・生活することはもとより、立ち入ることを許されず・・・生活が破壊される。これはチェルノブイリ事故の現実に即して言うことであって、決して感傷的な空想ではない。」 もっと多くのことを、若松さんは、1994年、いまから18年前に書いている。そして、詩人として、このとき「連詩 かなしみの土地」の中の、「神隠しされた街」に福島の今日、日本の今日を書いたのだった。
アーサー・ビナードさんは『ひとのあかし』の「桜と予言と詩人――まえがきにかえて」の中で次のように記す。「本書におさめた『神隠しされた街』は1994年に発表された。2011年3月11日以降にこの詩と出会う読者はみんな驚嘆して、鳥肌が立ち、読み返して再び驚き、『予言だ』とささやく。ぼくは100回以上読んで、それでも鳥肌が立ち・・・そしてやはり『予言だ』と繰り返しいった。」と明かしている。「すると若松さんは『私は予言者ではまったくない。ただただ観察して、現実を読み解こうとしただけのこと』と答えた。」と若松さんの言葉を明かす。
詩や短歌を創作し、あるいはそれを読む者にとって、「ひとのしるし」の原点に自らを置くことと、現実をしっかりとみつめ、感性の力、想像する力、思索する力、表現し伝える力を一つのこととして持つことの大切さを、的確に表現しきれないけれども、もっと考えようと思う。 若松さんの作品を知った幸せを、多くの人と共にしたいとも願う。
そのように思いながら、これまでに続いて『短歌年鑑平成24年版』に採録されている原発短歌を読んでいきたい。
自選作品(抄)
大地震も放射能も盆地ゆゑ免れしと聞く浄めの席に 出荷停止も覚悟の上とぞ水田に植ゑしばかりの苗が震える 2首 磯田ひさ子
放射能浴びてゴジラの生れしこと五十年経て現実となる 彼岸過ぎ次女か嫁ぎて桜咲き原発事故はまだ先見えぬ 2首 大下真一
西へ西へ避難する者寡黙なり混沌の静けさ東京駅は 天地返しに済まざる土か被曝地の校庭の土削られてをり 2首 春日いづみ
微量なら流してよいか神よ神、海がくるしき息を吐くなり 身のうちに積もる雪かと宵々をしずかにふとる体内被曝 微粒子(セシウム)がゆっくり雨に溶けはじむ朝 応答をせよ 海や空 3首 加藤英彦
刈られざる麦の畑にざんざんと雨ふり誰も勝たない戦(いくさ) 二十年後の疾病を連れてくるというあめにも真直ぐに海芋(カラー)がひらく 世界すでに昏れ落ちたりきカーテンを閉ざしてホットスポットに住む 3首 久々湊盈子
原発の利権貪りしだれかれの顔見えねども必ずやゐる 桑原正紀
戦死者はいよよわれらに忘れられ放射能雨降る梅雨に入りたり 小谷陽子
術もなく自壊しゆく原子力発電所異界のごとき姿をさらす 限界を持てる手引書(マニュアル)に頼りつつこの世がまたも喪ふ未来 2首 田中成彦
放射能汚染といふこと知らざりし賢治の「春と修羅」のきよさよ 春空に聖玻璃(せいはり)の風行き交へりいのちあるもの生きよ生きよと 原発事故起きて渦まく赤不動青不動のごとき瞋りの炎 柏崎刈羽原発ことあらば核の墓場とならむふるさと 海山のうつくしき郷(さと)貧しくて原発といふ穢を受け入れき 5首 田宮朋子
東北の土に眠りし縄文のいのちの河に放射能ふる 浄化するすべなきものを。Fukushimaを逃れゆくとぞ告げて朴咲く Fukushimaはわれの故郷、放射能食ひて糞する鬼たちの住む 3首 立花正人
世に辛き事起こりたり人の智のなほなほ足らぬつくづく足らぬ 東京から一時避難の息子来て白い仔犬を置きて戻りぬ あの日から始まったこと過ちがあまた暴かる あはれフクシマ 3首 塚本 諄
原発の事故に今しもやーパンの滅びなむとすカフェにテレビに 寺尾登志子
ここにいていいのか、迷い持たざれば菖蒲は尖る紫ほどく 中川佐和子
放射能を怖れずひたすら原子炉に働きくるると聴くにおろがむ 中埜由季子
卓上に折鶴一羽節電の小暗き部屋に仄明りせり 原谷洋美
アイ・ロボット社のロボット建屋に作業する「人間の危機を看過せぬ」ため ロボットに感情あらば如何なる歌を詠み朝日歌壇に投稿するか 想像を絶する熱の渦巻きて働き続けるロボットの熱 未来とは明るき日々と思いしにその名かなしき鉄腕アトム リモートコントロール不能の原発を鉄人28号破壊せよ! 藤原龍一郎
文明の行きつく果ては滅亡か手に負えぬもの造りてしまいぬ 破滅的」言葉の意味を知らなかった瓦礫だけがそこにあること 堀井惠子
次回も引き続き『短歌年鑑平成24年版』の作品を読んでいきたい。 (つづく)
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