今月、アメリカの作家レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)氏が亡くなった。91歳だった。ブラッドベリ氏はSF詩人というあだ名を持っていたように、’下級文学’と主流派文学サークルから相手にされなかったSFの中に、文学性を持ち込んだと評価されている。そうした評価は「火星年代記」(1950)などの短編小説集に顕著だが、その一方で、「華氏451度」(1953)のように、全体主義の怖さを巧みに描いた小説でも優れていた。
ブラッドベリ氏の訃報記事がニューヨークタイムズに何度か掲載されている。以下の記事は「叙情豊かに火星の生活を描いた作家ブラッドベリが逝く、91歳」とタイトルを打った記事である。
http://www.nytimes.com/2012/06/07/books/ray-bradbury-popularizer-of-science-fiction-dies-at-91.html?pagewanted=1&ref=raybradbury この中で、目を引くのはブラッドベリ氏が大学に行っておらず、図書館と映画館、そしてひたすら書くことで養われた作家だということである。
’He went so far as to attribute his success as a writer to his never having gone to college.
Instead, he read everything he could get his hands on: Edgar Allan Poe, Jules Verne, H. G. Wells, Edgar Rice Burroughs, Thomas Wolfe, Ernest Hemingway . He paid homage to them in 1971 in the essay “How Instead of Being Educated in College, I Was Graduated From Libraries.” ’
「ブラッドベリは成功の秘密は大学に行かなかったことにあるとまで言い切る。大学教育の代わりに、彼は手に入るだけの小説を読み漁った。エドガー・アラン・ポー、ジュール・ベルヌ、H.G.ウェルズ、エドガー・ライス・バロウズ、トーマス・ウルフ、アーネスト・ヘミングウェイ。ブラッドベリは1971年に書いた作家たちへのオマージュの中で、「大学で勉強する代わりに、僕は図書館を卒業したんだよ」と書いている。」
記事にあるように、彼は図書館で本を借りて読み漁った。そのインスピレーションを、自分の想像に混ぜ合わせ、さらには映画館で見た様々な映画的記憶とも混ぜ、タイプライターに文字を打ち込んでいったのだろう。「大学の代わりに、図書館を卒業した」と言える作家にフランスの映画監督、フランソワ・トリュフォー氏(1932−1984)もいる。トリュフォー氏は恵まれない家庭環境もあって、少年時代は読書三昧の日々を送ったと言われる。これら二人の読書家が「華氏451度」の映画化で出会うことになった。このSF小説は読書が禁じられた思想統制の国の中で、反逆に目覚める男を描いている。読書から人生の糧を養った二人らしい。レイ・ブラッドベリ氏は'Knouledge should be free'(知識は自由であるべきだ)と語っている。
余談ながら思考の自由が奪われた社会を風刺した英国の作家、ジョージ・オーウェルも大学を出ていない。オーウェルもまた、図書館を卒業した組に入る。大学で学ぶことで知識や教養を深めることもできるが、一歩間違えれば権威主義に陥る弊害もある。そうなれば独創的な世界を作ることは難しい。大学であれ企業であれ権威や組織によりかかればよりかかるほど創造性を伸ばすのは難しくなるだろう。
■レイ・ブラッドベリ氏のウェブサイト
http://www.raybradbury.com/ ■ニューヨーカー誌に今月掲載されたブラッドベリ氏のエッセイ
http://www.newyorker.com/reporting/2012/06/04/120604fa_fact_bradbury ■ブラッドベリ氏とヒュー・ヘフナー氏(Playboy誌創刊者)の2010年の対談(米・ライターズ・ギルドWGAによる)
http://www.youtube.com/watch?v=oVzc67YuRQE 1953年に創刊されてまだ間もない頃、プレイボーイ誌は「華氏451度」をシリーズ企画として掲載した。ヘフナー氏は自由が奪われた世界を描くこの小説を掲載するにはタイムリーだと考えたと対談で語っている。
「私はレイの小説のファンだった。未来に本を焼く物語は1950年代のアメリカにとって、そしてプレイボーイ誌にとってもタイムリーだと思った。」
ここでヘフナー氏が言っている50年代とは、ジョセフ・マッカーシー上院議員らが進めていた「赤狩り」(Red Scare)の時代である。プレイボーイ誌が創刊されたのは1953年。1948年頃からベルリン封鎖や朝鮮戦争を端緒とする冷戦の始まりで、アメリカの中では共産党排除を理由に、思想や表現の自由が狭められる密告社会が到来しつつあった。「華氏451度」が書かれたのはプレイボーイ誌の創刊と同じ1953年で、まさに赤狩りの頂点とも言える頃。非米活動委員会に喚問され、職を失った人々の中には自殺した者も少なくない。ジャーナリストのエドワード・R・マロー氏らがCBSの報道番組「シー・イット・ナウ(See it Now)」でマッカーシー議員の手法を分析批判したのは1954年である。
ヘフナー氏がプレイボーイ誌に「華氏451度」を連載したのはこのような荒涼とした知的風景の時代だった。エロ本と攻撃されていたプレイボーイ誌が思想統制を風刺するアメリカ文学の傑作を連載したのである。そして実際に翌年の1954年、マッカーシーは失脚する。CBSのエド・マローらのマッカーシーへの批判報道などが実を結んだ結果だが、その背景にはプレイボーイ誌の「華氏451度」も少なからず寄与していたのかもしれない。
ちなみにこの対談でレイ・ブラッドベリ氏は「華氏451度」を書いたのはラジオやテレビの社会に対する影響力を考えたことがきっかけだったと語っている。そのおかげで図書館が、つまりは本がすたれようとしていた。<だから「華氏451度」を書かなくてはならなかった>とレイ・ブラッドベリ氏は語っている。
「華氏451度」は本の禁じられた社会についての物語だが、人々は政府が携帯に流す映像やメッセージに終始思考をゆだねてしまっている。1953年(昭和28年)にカラーテレビ放送が始まったのだが、テレビに対する危惧が創作の源にあった。同年、日本でもNHKと日本テレビがテレビの放送を始めた。
■今月のプレイボーイに掲載されたブラッドベリ氏の小説「A Sound of Thunder」。1956年6月号に掲載されたものを追悼のために復刊したもの。
http://www.playboy.com/playground/entertainment/culture/a-sound-of-thunder
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