野田首相をはじめ先進国の首脳が、不参加の態度で軽視した国連主催の「持続可能な開発会議」が世界に残した課題は何か。それは「グリーン経済」(緑の経済)、すなわち環境保護と経済成長の両立をめざす試みの成否である。 20年前の第一回地球サミットは地球環境保全のために、「持続可能な発展」という新しい概念を打ち出した。これは経済成長に否定的だったが、今回はむしろ経済成長のすすめとなっている。同時に今回は「貧困の撲滅」を掲げている。それだけ世界に貧困が広がっているわけで、「撲滅」のスローガンはむしろ看板倒れに終わる可能性が消えない。
▽ 大手新聞社説はどう論じたか
ブラジル・リオデジャネイロで6月22日(日本時間23日)まで開かれた国連主催の「持続可能な開発会議」(リオ+20)について大手紙は社説でどう論じたか。まず社説の見出しを紹介する。 *東京新聞(6月24日付)=リオ環境宣言 フクシマが教えている *毎日新聞(同上)=リオプラス20 緑の経済へと進めよう *読売新聞(同上)=リオ+20 環境を守る責任は新興国にも *日本経済新聞(同上)=環境の危機を主要国は改めて直視せよ なお朝日新聞は6月25日までの社説では論じていない。
日経社説が「環境の危機を主要国は改めて直視せよ」と論じているように、国際会議についてこれほど批判的、悲観的な言辞が目立つ社説も珍しい。いくつか具体例を挙げれば、以下のようである。 *東京新聞=これは、何だ、と言いたいような、国連持続可能な開発会議の幕切れだった。10年後では遅すぎる。明日にでも首脳が集まって、仕切り直しをするべきだ。 *毎日新聞=先進国と途上国との妥協の末に採択された成果文書「我々が望む未来」は具体的な目標や施策に欠け、かけがえのない地球を将来の世代に伝える明確な道筋は描けなかった。 *読売新聞=成果は極めて乏しかったと言うしかない。最大の焦点だった「グリーン経済」に移行する世界共通の工程表策定はできず、各国の自主的取り組みに委ねることになった。 *日経新聞=成果は乏しかった。(中略)地球環境の悪化に歯止めがかからないのは、資源の消費や開発の加速に比べ、対策のスピードや規模が不十分だからだ。気温上昇で北極の海氷は薄くなり森林は減り続け、世界の5人に1人がなお極度の貧困にある。
もう一つ、先進主要国の首脳、オバマ米大統領、メルケル独首相、キャメロン英首相、さらに日本の野田首相らの不参加が目立ったことは軽視できない。主要先進国で参加したのはオランド仏大統領のみであった。このように先進主要国の首脳がほぼ軒並み不誠実な態度を見せつけるようでは、会議が盛り上がりを欠くのは当然の成り行きであっただろう。
▽ 不思議な朝日新聞社説の姿勢
それにしても不思議なのは、社説で論評しない朝日新聞の姿勢である。念のため25日付まで3日間の朝日社説のテーマ(2本立て)を紹介すれば、以下のようである。 *6月23日=小沢氏の造反 大義なき権力闘争だ/大学改革 減らせば良くなるのか *同月24日=住民投票 民意反映の回路増やせ/子育て支援 小規模保育を生かそう *同月25日=電力自由化 規制なき独占では困る/沖縄慰霊の日 戦争の史実にこだわる
以上のような6つの社説はいずれも緊急性を要するものばかりとは判断しにくい。野田首相らは不参加だったとはいえ、世界の100カ国を超える首脳らを含めて5万人近い人々が集まった10年に一度の国際会議である。その会議閉幕の機会を捉えて朝日新聞としての論評を加えるのは、メディアとして当然のことと思うが、なぜ無視したのか。不可解という印象が残る。
想像にすぎないが、どのテーマを取り上げるかを決める論説室内の司令塔が不在のためなのか。論説委員それぞれの自主性に委ねるのは新しい方式と言えるかもしれない。それなら「社説」と銘打つのは疑問である。「主張」あるいは「論説」として署名入りの記事にすべきである。新聞社としての主張という意味の「社説」はもはや投げ捨てる時代ともいえるだろう。「没個性」に甘んじているときではない。かつて大手紙の論説室に籍を置いていた一人としてそう考えたい。
▽ グリーン経済とは(1)― 新聞社説にみる主張
今回の「リオ+20」でキーワードとして浮かび上がったのが「グリーン経済」である。「グリーン経済」とはどういう含意なのか。各紙の社説(6月24日付)から紹介する。
*東京新聞社説=環境保護と経済成長を両立させる「グリーン経済」への移行は、「持続可能な開発のための重要な手段の一つ」と言葉を濁し、具体的な開発目標は、2015年までに策定するとしただけだ。
*毎日新聞社説=経済活動に伴う生物資源の利用や温室効果ガスの排出は地球の許容量を超える。一方で世界人口は70億人を超え、貧富の差は拡大した。だからこそグリーン経済への移行が必要だ。国連環境計画は世界の国内総生産(GDP)の2%を毎年、再生可能エネルギーや省エネなどに上手に投資すれば、世界経済はグリーンに移行でき、雇用創出や途上国の貧困対策につながると分析する。 東日本大震災と福島第一原発事故で自然の猛威とエネルギー多消費社会の危うさを知った日本は、グリーン経済への移行で世界の先導役となるべきだ。
*読売新聞社説=石油など化石燃料への依存度を減らし、環境関連産業を育成しながら低炭素社会へと転換していく「グリーン経済」の構築は、世界全体の課題といえよう。 しかし状況は大きく変わった。急速な経済発展を遂げた中国、インドなど新興国の排出量が増え続け、中国は米国を抜いて世界一の排出国となった。それにもかかわらず、中国の温家宝首相は今回の会議でも、自国を「大きな途上国」と位置付け、先進国が責任を果たすべきだとの姿勢を崩さなかった。
*日本経済新聞=リオ+20で持続可能な開発の道筋が示せたとは言えない。地球環境や貧困は人類の生存がかかる安全保障の問題といえる。先進国に中国、インド、ブラジルなどを加えた主要国はいま一度、危機を直視し真剣に対策にあたる必要がある。
▽ グリーン経済とは(2)― 「持続可能な発展」と「貧困の撲滅」と
上述の東京新聞社説は、環境保護と経済成長を両立させる「グリーン経済」への移行は、「持続可能な開発のための重要な手段の一つ」と指摘している。 ここでの「持続可能な開発」とは英語のSustainable Developmentを指しており、「持続可能な発展」(=持続的発展)と日本語に訳すのが望ましいと考える。この概念は、第一回地球サミット(国連環境開発会議=1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催)が採択した「環境と発展のためのリオ宣言」が打ち出して以来、世界で広く知られるようになった。
その意味するところは、二つある。一つは、今後何世代にもわたって、永続的に地球環境の保全を果たさなければ、人類は滅びるだろうということ。もう一つは、地球環境の保全とともに豊かな国も、貧しい国も共に「生活の質」を向上させていく必要があるということ。このことは従来の経済成長路線、つまりプラスの経済成長によって「量の豊かさ」を追求していく路線が行き詰まり、それを根本から転換させなければならないことを示唆している。
「持続可能な発展」を構成する柱を列挙すれば、以下のように多様である。 ・生命維持システム ― 大気、水、土、生物 ― の尊重 ・人類に限らず、地球上の生きとし生けるもののいのちの尊重 ・長寿と健康な生活(食糧、住居、健康の基本的水準)の確保 ・雇用の確保、さらに失業・不完全就業による人的資源の浪費の解消 ・特に発展途上国の貧困の根絶 ・核兵器の廃絶、軍事支出の大幅な削減、軍事同盟の解消 ・景観や文化遺産、生物学的多様性、生態系の保全 ・持続不可能な生産・消費・廃棄構造の改革と廃止 ・エネルギーの節約と効率改善、再生可能もしくは汚染を引き起こさないエネルギー資源 への転換 ・環境の質の確保と文化的、精神的充足感の達成
以上のように発展(Development)という概念は、軍事から環境に至るまで多様な側面から捉えられている。しかし経済成長が一つの柱として掲げられていないことに注意したい。これはGDP(国内総生産)や所得が増えることは、発展や生活の質のごく一面を示すにすぎない。それどころか自然や環境を破壊しながらGDPや所得が増えることは、発展や生活の質的充実にとってむしろマイナスと理解されているのである。
だから本来の「持続可能な発展」は経済成長とは両立しないが、今回「グリーン経済」と共に経済成長への期待が広がっているのはなぜか。採択された宣言「我々が望む未来」の次の指摘が見逃せない。 「グリーン経済のためには持続可能な発展と貧困の撲滅こそ重要である」と。わざわざ「貧困の撲滅」を基本的テーゼの「持続可能な発展」と同列に置いて強調している。それだけ世界中に以前にも増して貧困が広がっており、その貧困対策のためには経済成長も必要だというメッセージなのだろう。しかし経済成長はむしろ新たな貧富の格差を拡大するとしても、貧困の撲滅を達成できる保証はない。
*「安原和雄の仏教経済塾」の転載です。
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