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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年07月08日18時06分掲載
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国民一人ひとりに考えることを示唆した事故調の報告書
国会事故調査委員会(東京電力福島原子力発電所・事故調査委員会)が、5日、報告書を発表した。この件について、ツイッターを通じて感想を出してきたのだが、記録のために、ブログにも記しておこうと思う。報告書の英文に、日本人一人ひとりにとって、宿題のようなことが入っているのに対し、日本語原文のほうには入っていないように見受けられるからだ。(ロンドン=小林恭子)
まずお断りしておきたいのが、私は日本に住んでいらっしゃるみなさんほど、原発事故や福島についての詳細な情報を把握していない。また、600ページ余ある報告書本編の全部をまだ読んでいない。
それでもここで書いておこうと思ったのは、報告書の最初のほうにある委員会の黒川委員長の言葉から、原発事故のみならず、日本の現状や将来について、また私が書いてきたメディアの世界について、深く学ぶことが多いと思ったからだーーある意味では、原発や震災自体の話でもないのである。しかし、重要なのだ!
・・・と前置きをした後で話を始めると、この報告書発表についてのニュースを私はガーディアン、フィナンシャル・タイムズ、およびBBCの報道で知った。それぞれがショッキングな見出しで、たとえば、FTの場合は(登録後に全文が読める設定であることにご注意)ー
Fukushima crisis ‘made in Japan’ http://www.ft.com/cms/s/0/55edd178-c673-11e1-963a-00144feabdc0.html#axzz1zvHh8OAC
最初の段落 The chairman of an investigation ordered by Japan’s parliament into last year’s failure of the tsunami-crippled Fukushima nuclear plant has declared that it was a crisis “Made in Japan” resulting from the “ingrained conventions of Japanese culture.”
なんと、原発事故は、「日本文化に根付いた慣習」によってもたらされた、「日本製」の危機と書いてあった。
次の段落では、黒川委員長が、報告書の中で、原発関係者、規制団体、政府を厳しく批判した、とあるのだが、その次がまた驚く。英文のあいさつの中で、委員長は、事故が起きたのは、日本の(あるいは日本人の)「反射的な従順性、権威に問いかけをしたがらない気質、「『計画を守ることに固執する』ことへの没頭」、「集団主義」、「偏狭性」のためだと書いている、というのだ。
私はここを読んで、非常にどっきりしたー日本を、日本人全体を指していたからだ。
あいさつ部分の次の表現もさらに驚く。
「とてもつらいことだが、私たちはこれが『日本製』の災害であったことを認めなければならないだろう」、「もしこの事故に責任を持つ人たちの立場に、ほかの日本人がいたとしても、結果は同じだったかもしれない」。
ここは、深い。というのも、これまで、元首相や政府、官僚、マスコミ、東電関係者、原発監督組織などなど、いわゆる「当局」あるいは「関係者」に、非難がごうごうであった。もちろん、その非難は正当なものであるといってよいだろう。
しかし、委員長の英文あいさつが指摘したのは、私流の解釈でいえば、「他者を批判するだけでいいのか?」という点である。さらにいえば、国民一人ひとりが、当事者として、考えてみる必要はないのか、という点である。
これは私が専門とするメディアにも関連する。マスコミ批判がネット上で渦巻いていたことがあった(今でもそうだろうけれども)。その1つの1つの指摘は、決して間違っているとはいえないのだろうけれども、日本の外にいる私からすると、マスコミの特質といえるようなものは、日本社会の文化、価値観に根ざしているところがあって、いわば子が親を批判しているような、かつ当事者としての視点が欠けているような思いがしてならなかった。
たとえば、委員長のあいさつの中にもあった、「権威に問いかけをしない」という部分である。原発・震災報道で、日本のマスコミ報道に不十分さ、苛立ちを感じた人はたくさんいると思う。
でも、権威(大企業、政府、上司、親、自分より年上の人など)に対する、一定の敬意が、少なくとも英国よりは、まだまだある日本社会。報道機関はもちろん、権威に対する挑戦をするべき存在ではあるが、マスコミ「だけ」にそれを期待してもどうかとも、少し思うわけである。(補足:また、いつも思うことだが、マスコミも、パワフルな権威だとすれば、その言っていることを疑うことも重要だ。マスコミ報道に過度に一喜一憂しないほうがよいかもしれない。どうせ他人が言っていることだ、と少し突き放してみることも必要かもしれないのだ。自分の頭で考えたことが一番なのだから。)
国民の中の「権威に挑戦をしない」という部分が如実に現れたのが、原発再稼動に反対する大規模市民デモである。英国と日本は違うし、同じである必要はまったくないが、それでも、デモが起きたこと自体がニュースになる、というのは、英国に住む感覚からいえば、大きな驚愕である。その一方で、私自身が、日本でデモに参加したことがなかった。デモに参加するようになったのは、英国に来てからである。
そんなこんなで、いろいろと考えさせてくれる報告書であった。
また、日本語のあいさつ文には、私が指摘した+英国メディアが重要な点として報道した箇所がない。
日本人にとってこそ、重要な箇所だったのに、残念である。日本語版に入らなかったために、国民の一人ひとりが原発事故を自分の問題としてーー当事者の問題としてーー考える機会が、少し失われたと思う。日本語だけ読むと、まだまだ「誰かほかの、悪いやつが引き起こした事故」という印象になってしまうと思うが、いかがであろうか。
以下に、報告書の日本語部分とそれに該当する英文をあげておくので、関心のある方はご参照願いたい。
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(日本語)
はじめに
福島原子力発電所事故は終わっていない。
これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本 で起きたことに世界中の人々は驚愕した。世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。
福島第一原子力発電所は、日本で商業運転を始めた3 番目の原子力発電所である。日本の原子力の民間利用は、1950 年代から検討が始まり、1970 年代のオイルショックを契機に、政界、官界、財界が一体となった国策として推進された。
原子力は、人類が獲得した最も強力で圧倒的なエネルギーであるだけではなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる。先進各国は、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故などといった多くの事故と経験から学んできた。世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく持続的な進化を続けてきた。
日本でも、大小さまざまな原子力発電所の事故があった。多くの場合、対応は不透明であり組織的な隠ぺいも行われた。日本政府は、電力会社10 社の頂点にある東京電力とともに、原子力は安全であり、日本では事故など起こらないとして原子力を推進してきた。
そして、日本の原発は、いわば無防備のまま、3.11 の日を迎えることとなった。
想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。
3.11 の日、広範囲に及ぶ巨大地震、津波という自然災害と、それによって引き起こされた原子力災害への対応は、極めて困難なものだったことは疑いもない。しかも、この50 年で初めてとなる歴史的な政権交代からわずか18 カ月の新政権下でこの事故を迎えた。当時の政府、規制当局、そして事業者は、原子力のシビアアクシデント(過酷事故)における心の準備や、各自の地位に伴う責任の重さへの理解、そして、それを果たす覚悟はあったのか。「想定外」「確認していない」などというばかりで危機管理能力を問われ、日本のみならず、世界に大きな影響を与えるような被害の拡大を招いた。この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった。
この大事故から9か月、国民の代表である国会(立法府)の下に、憲政史上初めて、政府からも事業者からも独立したこの調査委員会が、衆参両院において全会一致で議決され、誕生した。
今回の事故原因の調査は、過去の規制や事業者との構造といった問題の根幹に触れずには核心にたどりつけない。私たちは、委員会の活動のキーワードを「国民」「未来」「世界」とした。そして、委員会の使命を、「国民による、国民のための事故調査」「過ちから学ぶ未来に向けた提言」「世界の中の日本という視点(日本の世界への責任)」とした。限られた条件の中、6か月の調査活動を行った総括がこの報告書である。100 年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、朝河貫一によってなされていた。朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に予測していた。
「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、どう変わっていくのか。これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼を立て直す機会は今しかない。この報告書が、日本のこれからの在り方について私たち自身を検証し、変わり始める第一歩となることを期待している。
最後に、被災された福島の皆さま、特に将来を担う子どもたちの生活が一日でも早く落ち着かれることを心から祈りたい。また、日本が経験したこの大事故に手を差し伸べてくださった世界中の方々、私たち委員会の調査に協力、支援をしてくださった方々、初めての国会の事故調査委員会誕生に力を注がれた立法府の方々、そして、昼夜を問わず我々を支えてくださった事務局の方々に深い感謝の意を表したい。
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調) 委員長 黒川 清
(英語)
Message from the Chairman
THE EARTHQUAKE AND TSUNAMI of March 11, 2011 were natural disasters of a magnitude that shocked the entire world. Although triggered by these cataclysmic events, the subsequent accident at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant cannot be regarded as a natural disaster. It was a profoundly manmade disaster – that could and should have been foreseen and prevented. And its effects could have been mitigated by a more effective human response. How could such an accident occur in Japan, a nation that takes such great pride in its global reputation for excellence in engineering and technology? This Commission believes the Japanese people – and the global community – deserve a full, honest and transparent answer to this question.
Our report catalogues a multitude of errors and willful negligence that left the Fukushima plant unprepared for the events of March 11. And it examines serious deficiencies in the response to the accident by TEPCO, regulators and the government.
For all the extensive detail it provides, what this report cannot fully convey – especially to a global audience – is the mindset that supported the negligence behind this disaster. What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster “Made in Japan.”
Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with the program’; our groupism; and our insularity.
Had other Japanese been in the shoes of those who bear responsibility for this accident, the result may well have been the same.
Following the 1970s “oil shocks,” Japan accelerated the development of nuclear power in an effort to achieve national energy security. As such, it was embraced as a policy goal by government and business alike, and pursued with the same single-minded determination that drove Japan’s postwar economic miracle.
With such a powerful mandate, nuclear power became an unstoppable force, immune to scrutiny by civil society. Its regulation was entrusted to the same government bureaucracy responsible for its promotion. At a time when Japan’s self-confidence was soaring, a tightly knit elite with enormous financial resources had diminishing regard for anything ‘not invented here.’
This conceit was reinforced by the collective mindset of Japanese bureaucracy, by which the first duty of any individual bureaucrat is to defend the interests of his organization. Carried to an extreme, this led bureaucrats to put organizational interests ahead of their paramount duty to protect public safety.
Only by grasping this mindset can one understand how Japan’s nuclear industry managed to avoid absorbing the critical lessons learned from Three Mile Island and Chernobyl; and how it became accepted practice to resist regulatory pressure and cover up small-scale accidents.
It was this mindset that led to the disaster at the Fukushima Daiichi Nuclear Plant.
This report singles out numerous individuals and organizations for harsh criticism, but the goal is not—and should not be—to lay blame. The goal must be to learn from this disaster, and reflect deeply on its fundamental causes, in order to ensure that it is never repeated. Many of the lessons relate to policies and procedures, but the most important is one upon which each and every Japanese citizen should reflect very deeply.
The consequences of negligence at Fukushima stand out as catastrophic, but the mindset that supported it can be found across Japan. In recognizing that fact, each of us should reflect on our responsibility as individuals in a democratic society.
As the first investigative commission to be empowered by the legislature and independent of the bureaucracy, we hope this initiative can contribute to the development of Japan’s civil society. Above all, we have endeavored to produce a report that meets the highest standard of transparency. The people of Fukushima, the people of Japan and the global community deserve nothing less.
Kiyoshi Kurokawa
(ブログ「英国メディアウオッチ」より)
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