マリアムの夫もまたニジェールのアルリット(Arlit)のウラン鉱山で働いていた。今は政治家である。暑さは政治にはよくないし、政治は人生にはよくない。政治は人生を破壊するからだ。マリアムもまた政界に立候補したことがある。彼女は選挙で選ばれたのだったが、クーデターによって自治は失われ、マリアムの政治家としての人生もまた終止符を打った。
マリアムには3人の息子がいる。それだけいれば十分だ。都会の生活はお金がかかる。そのうえ子供たちに人生のチャンスを与えるには少なくとも大学に行かせなくてはならない。しかしながら今日、教育だけでは意味がない。特に人種が多数交錯するニジェールにおいてはだ。親族関係その他のコネクションと幸運もまた誰にとっても大切な要素なのだ。アガデズではトゥアレグ族がマイノリティだったフランス植民地時代やそれ以前の方が人間にふさわしい生活が行われていた。その頃、人々は平和に暮らしていたが、植民地時代が終焉すると政治が人種間に緊張関係を作りだした。
トゥアレグ族のリーダーだったマノ・ダヤクが死んだ後、トゥアレグ族は難民となり、イシュマール(ishumars)となった。イシュマールとは郷土を失い、家族も仕事も失った人々のことだ。彼らの唯一の友はギターである。
マリアムはヨーロッパには関心がない。そこは寒いし、友達もいない。マリアムはカナダで暮らしたこともあったが、TVで米国についてはうんざりするぐらい見聞することになった。欧州とアフリカの女性には世間で思われているほど大きな差はない。違いは美の理想だけだ。欧州では拒食症的なやせ細った女性が美しいと思われているが、ニジェールではたくましい体躯の女性が美しいと思われている。その理由は気候にあると思うがいかがだろう?
マリアムはあまり信仰には関心がない。特に、サウジアラビアで行われているタイプのイスラム信仰についてはだ。それはメディアや金融機関などの近代西洋技術を携えて、一夫多妻のような反動的な思想と実践を広げているのだ。実際はもっと事情は入り組んでいるが、いずれにせよ、トゥアレグ族には一夫多妻制はなかった。ノマドだった頃のトゥアレグ族においては女性が亭主を家やテントから追いだすことができた。家の持ち主は女性だったからだ。しかし、今では女性は劣った立場にあり、言葉遣い一つにも注意しなくてはならないのだ。
寄稿 アンドレイ・モロビッチ 翻訳 プリモス・トロベフセク(スロべニア語→英語) 翻訳 村上良太 (英語→日本語)
■イシュマール(Ishumar)
ウィキペディアでイシュマールでキーワード検索をすると、音楽グループの紹介が書かれていた。トゥアレグ族出身音楽グループToumastによる同名のCDアルバムのようである。「イシュマール」はフランス語の失業者に相当する単語である。トゥアレグ族でやむなく都会で低賃金で働く人をイシュマールと呼んでいる。」(ウィキペディア)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Ishumar ■トウアレグ族のバンドToumastのウェブサイト
http://www.toumast.net/ 4月に東京公演も行われたと書かれている。 toumastのウェブサイトにトゥアレグ族の歴史が書かれている。それによるとトゥアレグ族はかつてサハラの多くの部分を領土として持っていた。リビア南部、アルジェリア南部、マリ北部、ニジェール北部、ブルキナファソ北部である。 1960年ごろ、アフリカの国々が欧州諸国から独立した時、トゥアレグ族もまた自分たちの領土を持ちたいと思ったが、ニジェールやマリなど新興独立国群によって再併合されてしまった。70年代から80年代にかけてはサハラが旱魃に襲われ、トゥアレグ族はアルジェリア南部やリビア南部に難民として流入する。1990年にトゥアレグ族は独立闘争を始めニジェールやマリの政府軍と戦った。両国が民主化を進めた後、92年にはマリと、95年にはニジェールと和平を結ぶ。 こうした独立闘争の過程でティナリウェンなどのトゥアレグ族のバンドが誕生している。
■アラブの春、トゥアレグ族、マリ政変
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201204211713466
|