例年のこととはいえ、8月の広島・長崎の平和宣言には耳を傾けないわけにはゆかない。本年の平和宣言は何を訴えたか。広島では「核と人類は共存できない」という人類としての悲願を前年に続いて強調した。何度繰り返しても過ぎることのない悲願である。 一方、長崎では「長崎を核兵器で攻撃された最後の都市」にするための具体策として「北東アジア非核兵器地帯」実現を説いた。これも目新しい提言とは言えないが、繰り返し強調することに遠慮は禁物である。脱原発と同様に核兵器廃絶も、その実現には想像を超える持続力が求められる。
▽ 広島平和宣言(要点)― 議論進む「核と人類は共存できない」
広島平和宣言は2012年8月6日、広島市の平和式典で松井一実市長によって読み上げられた。その要点は以下の通り。
世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和について考えるため、是非とも広島を訪れてください。
平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5,300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。 核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実するものと信じています。
2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります。
あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、「核と人類は共存できない」という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。
<安原の感想> 原発も核兵器同様に「いのち」への脅威 「核と人類は共存できない」というキーワードは昨年の広島平和宣言でも指摘された。今回で二度目の登場である。時代の苦悩と願望を端的に表現するこのキーワードは、平和運動を率いた被爆者、故森滝市郎氏の言葉とされる(8月6日付毎日新聞社説<原爆の日/「核との共存」問い直そう>から)。 「核と人類は共存できない」という認識を前提にするからには、そこから導き出される提言は自ずから定まってくる。その一つは核兵器廃絶であり、もう一つは脱原発である。ところが広島平和宣言は前者の「核兵器廃絶」については明言しているが、後者の「脱原発」の表現は避けている。以下のように指摘するにとどまっている。 「日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください」と。
ここには何度読み返してみても「脱原発」の文言は読み取れない。原爆にからむ平和宣言の中で脱原発を明言することは「広島市長としての立場」を超えているという配慮なのだろうか。それは「過剰配慮」とはいえないか。 平和とは、単に戦争がない状態を意味するにとどまらない。広く「いのち」(生命)を尊重し、守るという意と理解したい。こういう平和観に立てば、核兵器も原発も「いのち」への脅威であることに変わりはない。「過剰配慮」はこの際、返上して欲しい。
▽ 長崎平和宣言(要点)― 「北東アジア非核兵器地帯」実現を
長崎平和宣言は2012年8月9日、長崎市の平和式典で田上富久市長によって行われた。その要点は以下の通り。
世界には今も1万9千発の核兵器が存在しています。地球に住む私たちは数分で核戦争が始まるかもしれない危険性の中で生きています。 長崎を核兵器で攻撃された最後の都市にするためには、核兵器による攻撃はもちろん、開発から配備にいたるまですべてを明確に禁止しなければなりません。「核不拡散条約(NPT)」を越える新たな仕組みが求められています。
その一つが「核兵器禁止条約(NWC)」です。2008年には国連の潘基文事務総長がその必要性を訴え、2010年の「核不拡散条約(NPT)再検討会議」の最終文書でも初めて言及されました。今こそ、国際社会はその締結に向けて具体的な一歩を踏み出すべきです。
「非核兵器地帯」の取り組みも現実的で具体的な方法です。すでに南半球の陸地のほとんどは非核兵器地帯になっています。今年は中東非核兵器地帯の創設に向けた会議開催の努力が続けられています。私たちはこれまでも「北東アジア非核兵器地帯」への取り組みをいくどとなく日本政府に求めてきました。政府は非核三原則の法制化とともにこうした取り組みを推進して、北朝鮮の核兵器をめぐる深刻な事態の打開に挑み、被爆国としてのリーダーシップを発揮すべきです。
核兵器は他国への不信感と恐怖、そして力による支配という考えから生まれました。次の世代がそれとは逆に相互の信頼と安心感、そして共生という考えに基づいて社会をつくり動かすことができるように、長崎は平和教育と国際理解教育にも力を注いでいきます。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は世界を震撼させました。福島で放射能の不安に脅える日々が今も続いていることに私たちは心を痛めています。長崎市民はこれからも福島に寄り添い、応援し続けます。
<安原の感想> 長崎を核兵器で攻撃された最後の都市に 「長崎を核兵器で攻撃された最後の都市」にするためには何が求められるか。いうまでもなく核兵器の廃絶である。しかしこの廃絶が難問である。廃絶への道筋を長崎平和宣言は具体的に指摘している。 まず現行の「核不拡散条約(NPT)」は核の廃絶のためには有効ではない。だからそれを越える以下のような新たな仕組みが求められる。 ・「核兵器禁止条約(NWC)」の締結 ・「非核兵器地帯」の実現=「北東アジア非核兵器地帯」への取り組みなど ・日本の非核三原則の法制化(三原則は核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず、とする日本政府の基本方針。昭和43=1968年佐藤栄作首相が国会で言明。ただし米軍の核兵器を「持ち込ませず」は有名無実化されてきた。法制化は骨抜きを防ぐ手段として有効)
野田首相は広島、長崎平和式典に出席し、「首相あいさつ」の中で次のように述べた。<「核兵器のない世界」をめざして「行動」する情熱を世界中に広めていくこと、非核三原則を堅持していくことを改めて誓う>など。しかしこれと同じようなセリフは例年歴代首相が記念式典で述べてきたもので、誠意の欠落した挨拶の見本といえる。
首相の挨拶よりも、長崎市長の次の指摘に期待をかけたい。 「核兵器は他国への不信感と恐怖、そして力による支配という考えから生まれました。次の世代がそれとは逆に相互の信頼と安心感、そして共生という考えに基づいて社会をつくり動かすことができるように、長崎は平和教育と国際理解教育にも力を注いでいきます」と。ここには21世紀のキーワードともいうべき「相互の信頼と安心感、そして共生」、とくに対立を超える「共生」の感覚がどこまで広がっていくかに注目したい。
*「安原和雄の仏教経済塾」より転載
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