戦後67年目の終戦記念日「8.15」が巡ってきた。大手メディアの社説を読んでみたが、そこには生気の乏しい停滞感が漂っている。その中で読むに値するのは東京新聞である。社説「未来世代へ責任がある/戦争と原発に向き合う」と同時に大特集「日本再生の道 ― お任せ主義 さらば」を掲載している。 その社説や大特集に浮かび上がってくるテーマは、脱原発、脱経済成長であり、さらに<日本流の「無責任の体系」を変えられるか>、<デモの中から模索する「日本再生の道」>である。これを手がかりに日本の今後の望ましい進路を考える。
▽ 終戦記念日にメディア社説は何を論じたか
終戦記念日の8月15日付の大手メディア社説は何を論じたか。これまで各紙共に毎年終戦記念日の社説では戦争・反戦・平和問題を辛抱強く取り上げてきたが、この調子では「戦後100年」の「終戦記念日」も、相変わらず社説で論じるのだろうか。それに異議を申し立てる必要はないとしても、ここら辺りで呼称の変更も含めて発想の転換が必要ではないか。例えば発展志向の「平和記念日」に。
終戦記念日の大手メディアの社説は以下の通り。 *東京新聞=未来世代へ責任がある/戦争と原発に向き合う *朝日新聞=グローバル化と歴史問題/戦後67年の東アジア *毎日新聞=体験をどう語り継ぐか/終戦記念日に考える *読売新聞=「史実」の国際理解を広げたい/日本の発信・説得力が問われる *日本経済新聞=「いつか来た道」にならないために なお東京新聞社説は16日付でも「実感される平和とは/戦争と原発に向き合う」と題して論じている。
5紙社説の読後の率直な印象をいえば、何を主張したいのか、その趣旨の不分明な内容が少なくない。ここでは一つひとつの社説の紹介は省略して、東京新聞の社説(15日付)に限って紹介する。その大要は以下の通り。
毎週金曜夜に恒例となった首相官邸前の反原発デモは、ロンドン五輪の晩も、消費税増税法成立の夜も数万の人を集めて、収束どころか拡大の気配です。政府の全国十一市でのエネルギー政策意見聴取会でも原発ゼロが七割で「即廃炉」意見も多数でした。 二〇三〇年の原発比率をどうするのか。原発ゼロの選択は、われわれの価値観と生活スタイルを根元から変えることをも意味します。その勇気と気概、覚悟があるか、試されようとしています。
(内なる成長信仰なお) それまで散発的だった各地の反原発抗議行動の火に油を注いだのは、関西電力大飯原発の再稼働を表明した野田佳彦首相の六月八日の記者会見でした。安全確認がおざなりなうえに、「原発を止めたままでは日本の社会は立ちゆかない」と、再稼働の理由が経済成長と原発推進という従来の国策のまま。「夏場限定の再稼働では国民の生活は守れない」とまで踏み込んでいました。 (中略)フクシマ後も、われわれの内なる成長信仰は容易には変わらないようです。
(倫理と規範と人の道) 経済以上に忘れてはならない大切なものがあります。倫理や規範、あるいは人の道です。作家村上春樹さんは、昨年六月、スペイン・バルセロナのカタルーニャ国際賞授賞式のスピーチで、福島原発事故をめぐって「原発を許した我々は被害者であると同時に加害者。そのことを厳しく見つめなおさないと同じ失敗を繰り返す」と語りました。
村上さんの悔恨は、急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、大事な道筋を見失ってしまったことでした。核爆弾を投下された国民として技術と叡智(えいち)を結集、原発に代わるエネルギーを国家レベルで追求、開発する。それを日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだった。そんな骨太の倫理と規範、社会的メッセージが必要だった。世界に貢献できる機会になったはずだったというのです。
日本の原発は老朽化の末期症状から大事故の危険性があり、廃炉の研究も十分には進んでいません。毎日大量に生み出される低レベル放射性廃棄物で三百年、高レベルだと十万年の厳重な隔離管理が必要です。人知が及ばない時空、利便や快適な生活のために危険な放射性廃棄物を垂れ流しているとすれば、脱原発こそが、われわれの未来世代に対する倫理であり、人の道だと思えるのです。
(成長から脱成長へ) 千年に一度の大震災と原発事故は、人々を打ちのめしましたが、日本が受け入れてきた西洋文明や思想、科学技術について考える機会ともなりました。文明の転換期のようです。成長から脱成長の時代へ。
<安原の読後感> 多様な脱原発への道を求めて 東京新聞社説のユニークなところは、経済成長を批判しながらも従来型の成長批判にとどまってはいない点である。脱原発のためには脱経済成長も不可欠である。しかし脱成長で世論の足並みが揃っているわけではない。そこで脱原発のための新しい尺度が求められる。それが社説の説く「倫理、規範、人の道」である。 これはたしかに新しい脱原発論と言える。ただ大事なことは「脱成長」か「倫理、規範、人の道」か、という二者択一ではないだろう。両者を共に視野に収めて、多様な脱原発への道を求めていくことこそが必要とは言えないか。
▽ 澤地:松本対談「お任せ主義 さらば」を読んで
東京新聞(8月15日付)は、2頁全面を埋め尽くした対談を載せている。そのタイトルは<戦後67年 日本再生の道>で、内容は「素人デモ 希望を託す」、「お任せ主義 さらば」からなっている。登場人物は作家の澤地久枝さん(注1)とリサイクルショップ「素人の乱」5号店店主の松本哉(注2)さん。対談のうち、「お任せ主義 さらば」を中心にその大意を、私(安原)なりの理解による(1)日本流の「無責任の体系」を変えられるか(2)混沌の中から新しいものを生み出していく― の2本柱で以下、紹介する。
(注1)澤地久枝さんは1930年東京生まれ。中央公論社を経て作家に。著作は「妻たちの二・二六事件」、「密約 外務省機密漏洩事件」など多数。原発事故後「さようなら原発集会」の呼びかけ人となる。 (注2)松本哉(はじめ)さんは、1974年東京生まれ。大学卒業とともに「貧乏人大反乱集団」を結成。東京・高円寺を中心にした風変わりな街頭デモが知られるようになる。著書に「貧乏人の逆襲!」。
(1)日本流の「無責任の体系」を変えられるか 澤地:敗戦の時に世直しができなかったのは、戦争に負けた責任をあいまいにしたからです。「一億総懺悔(ざんげ)」という言葉が象徴的です。 戦争責任は、九九対一ぐらいの圧倒的な差で国のトップにあるのに、国民みんなが同じように懺悔しなければならない、というふうに言った。それで昭和天皇の責任は問われなかった。政治学者の丸山真男さんがいう「無責任の体系」が戦後政治に後を引いていくことになります。 今度の原発事故も誰も責任を取っていません。今度こそ原発依存体制をつくってきた政府や企業の責任はっきりさせないと。私は日本が世界に先駆けて、原発を含めて核に依存するものと一切縁を切る国になったらいいと思う。 松本:原爆を落とされた国です。本来なら、そんな国にならないといけない。
澤地:今、脱原発デモが盛んなのは、高度成長期から経済の長い停滞が続き、みんなが中流と思う社会構造が崩れている、実生活で追い詰められている、という条件が重なってのこと。日本はもう負けを認め、バンザイしたらいいと思う。でも日本人には負けを認めたくないという思考がある。 松本:それはどういうことですか。 澤地:撤退が苦手ということなんです。太平洋戦争で言えば、開戦から半年後に大敗し、その後も負けが続く。日本軍は補給のことは考えていなかった。負け戦の情報を陸軍と海軍で共有しない。こんなばかげたことが、終戦になるまで、延々と行われていた。
松本:経済成長にしがみつく今も似ていませんか。バブル崩壊で破綻したのに、まだ成長できると突き進み、そして原発事故です。それでも「成長、成長」と言っている。いつ負けに気づくんですかね。 澤地:過去の過ちから学んで決断する、その勇気がない。原発だって全部止められる。だけど誰が責任者か分からない。歴史を転換させるためには今度こそ負けを認めるべきです。
<安原の感想> 原発事故の責任は「負けを認めること」 ここでのテーマは、日本流の「無責任の体系」、つまり失敗や事故の責任を誰も取ろうとはしないという悪しき伝統は変わるのか、それとも変わらないのか、だ。その答えは変えるべきである。自然に変わるわけではないのだから、意図して変革しなければならない。 そのためには澤地さんが指摘している「今度こそ原発依存体制をつくってきた政府や企業の責任はっきりさせること」が不可欠である。それに松本さんの「まだ成長できると突き進み、そして原発事故。いつ負けに気づくのか」も重要だ。特に「負けを認める」という姿勢はこれまでにはない新しい視点といえる。そこから新しい出口を求めていく。
(2)混沌の中から新しいものを生み出していく 松本:原発みたいに嫌なものには嫌だと言って、自分たちの手で生活圏をどれだけ作れるかということが初めて問われている気がする。地域での人間関係や居場所づくりとか、を放棄しないでいけば、世の中を変えられるんじゃないか。 日本中の僕と同世代の人たちが面白い場所をつくっている。カフェとか、飲み屋とか、アートスペースとか。非正規雇用が増えた九〇年代にフリーターをしていた人が、自由に生きた経験から、この五年ほどでいろんな場所を作り、コミュニケーションの拠点になっている。 高度成長期から失ってきた地域のつながりとか、居場所といったものを若い人がもう一度つくり始めている。これは大きな希望じゃないか。 澤地:これまでの世の中のあり方からみれば、はみ出したように見えていた人の方が、重要だという時代になってきた。孤立してつぶされるんじゃなくて、広がっていく時代なんですね。
松本:社会主義も資本主義も結局は、強大なシステムです。これまでそのシステムに自分を任せようとしていたんじゃないですか。僕らは散々、お上に切り捨てられた世代だから、「自分たちでやる」「人任せは無理だよ」と思っている。 この前のデモには、百二歳のおばあちゃんが車いすで参加してくれました。うれしかったですね。 澤地:そういうつながり、いいわね。日頃の付き合いからデモをやれるのが一番。ご近所さんで声掛け合って「ちょっと行ってきます」みたいな感じでね。
松本:僕は混沌とした中(なか)じゃないと、新しいものは生まれないと思う。すべてが整然とした世の中が嫌で嫌で。世の中がよくなったとしても、みんなが同じ考えや意見を言っているのは、意持ちが悪い。いつだって間違ったことを言う人がいて、だらしない人もいる方が本当はいいんです。 澤地:それが人間社会でしょ。みんながビシッと同じになったらおかしい。 松本:日本の脱原発運動も脱原発で一つになれるのなら、いろんな立場や考え方の人がどんどん集まってほしい。みんなで、ガチャガチャ言い合いながら。 脱原発に揺れている人は大勢います。原発は危ないと心配しながらも、脱原発の生活が見えないから原発推進側に取り込まれてしまう。だからこそ、僕らは安心して子供を育てられて、老後も不安のない、持続可能な生き方をやる。そんな生き方が世の中で大きく見えてきたら、揺れている人も脱原発に傾いてくるんじゃないですか。 有象無象がガチャガチャと、何回でもデモをやんなくちゃいけない、そういう時代です。
<安原の感想> デモの中から模索する「日本再生の道」 ここでは松本節(ぶし)が自由奔放にはじけているという印象がある。例えば次のようである。 ・僕は混沌とした中じゃないと、新しいものは生まれないと思う。 ・いつだって間違ったことを言う人がいて、だらしない人もいる方が本当はいいんです。 ・有象無象がガチャガチャと、何回でもデモをやんなくちゃいけない、そういう時代です。
「混沌とした中」、「間違ったことを言う人」、「だらしない人もいる」、「有象無象がガチャガチャと」などの発言は従来の有識者には縁遠い。それをためらいもなく、言ってのける辺りは、新しい風を感じる。しかもこれらの発言は単なる思いつきではない。 上述の「僕らは安心して子供を育てられて、老後も不安のない、持続可能な生き方をやる」という発言から分かるように「持続可能な生き方」をキーワードにした生活信条は地に足が着いている。言い換えれば、デモの中から「日本再生の道」を模索する新しい挑戦でもあるのだろう。
*「安原和雄の仏教経済塾」の転載
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