フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)著「アラブ革命はなぜ起きたか」は「アラブの春」に対するクールな視点を提供している。トッド氏はジャーナリストや政治学者とは違った視点で事態を見ているが、それは人口動態から見ることである。
どの社会も識字率が50%を超える頃、社会変動が起きる確率が高いという。たとえば英国の革命も、フランス革命もロシア革命も起きたのはその段階だったとされる。
もう一つは出生率である。政治的革命が進行すると出生率が下がってくると言う。「(識字率が上がると女性が)つくる子供の数に関して運命もしくは永遠者たる神の決定をもはや受け入れなくなることを意味する」からだという。
こうした人口動態や家族構造の分析からソ連崩壊やアラブの春を予言してきたのがエマニュエル・トッド氏だ。昨年進行した「アラブの春」について、欧米では民主主義よりもむしろイスラム原理主義に帰するのではないか、という懐疑が深い。しかしながら、トッド氏はそうした見方を否定する。アラブ社会は近代化の過程にあり、日本やロシアやフランスが経験したような識字率50%超えに伴う社会変動の時期に当たっていると考えている。その段階において、ドイツではファシズムが起きたり、ロシアではロシア革命が起きたりと、必ずしもすぐに民主主義が来るわけではない。しかし、こうした変化もまた民主化への長い時間を要する不可逆な過程以外の何ものでもないと彼は考えている。
アラブ世界が本当に民主化に向かっているのかどうか、それは歴史が判定を下すほかないだろう。ともあれ歴史人口学の視点から見ればそういう解釈ができるという。
本書の中で最も興味深いのは1979年のイランのホメイニ革命が「アラブの春」より30年早く訪れた民衆革命だとする考えである。トッド氏によると、現在のイランには確かに宗教原理主義的なところがあり、選挙も完全な民主化とは言えない。しかし、イランには民主主義に向かっていることを垣間見させる特色が多数あるという。女性の識字率や教育水準の高さ、出生率の低下、しばしば選挙で政権を実際に交代させていることなどである。
さらにトッド氏は一見、世俗主義で民主化(西欧化)が進んでいるかに見えるトルコよりも、イランの方が進化していると考えている。イランの場合、自分たち独自の文化で社会革命を進めてきた点において、日本と重なるという。民主化=西欧化ではなく、独自の文化を維持しながら独自の民主化を達成していくことが大切だとトッド氏は考えているのである。トルコの場合は西欧化の域を出ていないということになる。
イランのホメイニ革命やアラブの春の帰結を原理主義化=後退ととらえるか、長く時間のかかる近代化の中の1プロセスと考えるかでその未来予測はまったく逆のものになる。トッド氏は自らをフランスのアナール派の立場だとしている。人口の変化や家族形態、心理や社会の変化など社会史を重視するフランスの歴史学派である。為政者・権力者の言動あるいは事件や年号といったことよりも大衆の生活そのものに焦点を当てるところに特徴がある。こうした視点から社会を分析した時、様々な発見があることがわかる刺激的な一冊である。本書はその前に出た「文明の接近」(藤原書店)をやさしくひもといたインタビュー集である。
■フランスからの手紙13 トルコは向きを変えるのか? パスカル・バレジカ
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201008040158093 「エルドアンの率いるイスラム政党・公正発展党(AKP)が2002年に政権についたとき、おそらく第一の課題はトルコの欧州連合入りだと主張していたことだろう。だが、欧州連合はトルコの加盟申請に対してはっきり拒否することもせず、あいまいなまま拒絶し続けてきた。トルコにおけるイスラム主義の台頭を招いたのはおよそそのような欧州人自身である。トルコ人の中には欧州の態度に傷つき、イスラム教やイスラムの伝統、そして過去の歴史に回帰する人が増えている。」
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