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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年09月03日00時12分掲載
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文化
【核を詠う】(65)原爆被爆下の広島で詠い闘った深川宗俊の歌集『広島―原爆の街に生きて―』を読む(3) 「骨髄を蝕ばまれ死にゆく少年の記憶になき一九四五年八月六日」 山崎芳彦
この歌集の作品を読むのは今回で終るが、1959年の出版なので、原爆投下からほぼ14年間に詠われた作品と考えてよいと思うが、戦後まもなくの歌人の中でも際立った逸材として注目された深川さんの短歌表現力が発揮された作品群であるとともに、その『広島―原爆の街に生きて―』の歌集名にふさわしい視点の豊かさ、広がり、そして表現のリリシズム、ヒューマニティに、筆者は感動しながら読んでいる。
深川さんは、この歌集の中で「被爆二世」について詠っている。今回の表題に挙げた作品はその一つであろう。福島原発事故のあとで、人気歌手の福山雅治さんが、自らラジオ放送の中で「長崎の被爆二世」であることを語って注目されたが、原爆投下後かなりの期間、被爆二世については米国の調査団が、早くから「原爆による本当の被害はなくなった」と報告していたこと、原爆の放射能被害の医学的、科学的研究は、広島や長崎の医療者の献身的な努力によって統計的な調査や医療活動ががなされたが、医学的に原爆と被害者の症状の因果関係を明らかにすることは困難を極めたこと、アメリカの資料の隠ぺい、圧力もあった。さらに被爆二世に関してはその存在、実態を明らかにすることが、「差別を生みかねない」としてタブー視される状態があった。
しかし、被爆者の子が白血病や、骨髄症に病み、生命を失う事例が昭和40年ごろから、表面化し始めた。昭和40年には、被爆二世の名越史樹ちゃん(当時四才)が白血病と診断され、その3年後に、懸命の闘病、治療の甲斐なく亡くなり、その後も被爆二世の白血病などの発症が続いた。筆者が深川さんとお会いした数日後、取材を約束していた被爆二世の少女が危篤に陥り、遂に死去するということもあった。奥野孝子さん(当時17歳)、森井昭夫ちゃん(同5歳)の名を今も覚えている。その以前から深川さんは、被爆二世の問題に取り組んでいた。
1968年に『ぼく生きたかった―被爆二世 史樹ちゃんの死』(竹内淑郎編 宇野書店刊)が出版され大きな反響を呼んだが、同書に深川さんは「名越史樹くんに捧げるうた」を寄せている。(序歌と短歌八首) 原爆投下時には、母親の胎内にさえいなかった史樹くんが、昭和43年、原爆投下後23年後に7歳で「原爆死」したという理不尽、核放射能は少なくない被爆二世の人々を病で苦しめ、時にはいのちを奪った。
深川さんは「捧げる歌」の序歌で「・・・生の前に立ちはだかる 死 とたたかいながら ふるえる 小さないのち。ふみきくんのたたかいを はげました ちちとはは うからたち ふみきくんのたたかいを 見守ってきた 無数のひとびと の 声が ともにたたかってきたものたち の 声が 怒りの 炎となる。 こらえようのない 涙を 今 私は 怒りにかえる その怒りを おさないいのちを うばったものたちへ つきつけよう 広島の 芯部へむけて。」とうたった。そして八首の歌を詠ったのだが、そのうち四首を記しておく。
美しき雪とし思うヒロシマの幼き死者を焼く朝を積む 炎の町逃れし母の怖れにてヒロシマの死を子は継ぎて死す 焼かれいる小さきいのちよ降りつづくヒロシマの雪ひたいに熱し 喪のひと日幼き汝におくる詩のたたかいの音わがうけとむる
そして深川さんは、昭和47年(1973年)に『被爆二世〜その語られなかった日々と明日〜』(広島記者団被爆二世刊行委員会編 深川宗俊監修)の刊行にも携わって被爆二世問題を広く訴え、さまざまな運動に取り組んだ。
被爆二世の人々は、たとえば昨年3月30日、福島原発事故の直後に「被爆二世医師の会」の設立総会を開き、「今こそ、被爆二世医師が(原爆体験の)継承を」と、原発事故による被爆問題について、特に低線量被曝の研究にさらに取り組むことなどを決めた。深川さんたち被爆一世の「被爆二世」問題への取組みは、脈々と受け継がれている。(広島医師会速報2011年5月25日付による) その他、被爆二世の活動は全国各地で展開されている。原発問題ともつながって、原爆被爆二世の体験と、健康と生活にかかわる問題への取組みは、新しい展開を見せ始めている。
いささか、長くなったが深川さんの、貴重なさまざまな活動が、歌人・詩人としての深川さんのバックボーンになっている一端を記しておきたかった。それにしても、歌は人である。
歌集『広島―原爆の街に生きて―』の作品を読もう。
▼ヒロシマの幻想(詩) 季節は/茫々と 冬 よるの窓ガラスに/雪しずく/一つ また一つ
ふたり/手をかさね/窓ガラスに見る/雪しずく/夜ふけ/雪の窓に/くちづけのひとときよ
また一つ/雪しずく
ああ一人 また
季節は/茫々と
冬
▼冬 昏れ早き陽はビニールに遮られ被爆者受診にきし幾人の中(うち)
被爆者の受診に集まりし幾人か思いつのれど誰も語らず
爆心地より円形ひけば三キロの地点にてわれの被爆のすがた
被爆者精密検査待つ間を冬ふかき日影を受けて君と坐しいる
医師の前にわるいわるいと告げながら「ゲンバク」でなくてうれしいです
被爆者の受診を終えし病棟に準夜出勤の君とあいにき
窓にさむき風のかげりを見つつ添う夜勤のきみの押す担送車
孤独とも思うに衆を信ぜんか夜の川岸にいたわられいて
民衆の善意というは何ならんつきつめて五月祭の夜にすくわれき
行く列は雨に濡れつつ旗かざす進み行くものつねに美しく
遠き日の意志に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ天地のまなか 一輪の花の幻 原 民喜
ふつふつとまうえの夏日照り反し詩碑のおもての傷ふかき痕(あと)
「一輪の花の幻」碑に刻み敗衣のさけ目みせて碑は立つ
傷つきし碑文をさぐり読むときも打たれておらん民喜の詩碑
原民喜の碑文にすごすふたりにてこころ渇くにもの言わずおり
夏草のおとろえし民喜の詩碑に立つ火の幻のつきざるねがい
慰霊碑に立ちし童女ら喪のきれをむすぶ花束に怒りしめらす
アトリエのめぐりに蔓の薔薇咲きて君は原爆症にふす幾月も
被爆の傷痕かく癒えぬきみ働くに保護なき職制の中
日陰なき焦土にくゆる余燼の渇きの声に少女死にゆく
爆心地の廃墟のめぐり向日葵(ひぐるま)の花心とどろくわれら眼をあぐ
焼けただれた瓦礫と人間の醜形と眼をそむけまい若葉の青さ
ケロイドの前に恥ずべきわれらとたしかめつつ組みあわす指ちから
避けねばならぬケロイドの壁前にあり遭(あ)わせぬための愛ふかめゆく
熱線を浴びた女の乳房ひきつり白い皮膚のなかに喪(うしな)われていった
アルコールにひたされしケロイドの肉片のおとめの声か汝は遭わせぬ
むなしさをむなしさとして踏みしめつつ原爆資料館の階をおりゆく
▼ミズヲクダサイ 環礁に立つ原子雲(げんしうん)ひるくらき印刷場に水つよく咲く黄の薔薇
夾竹桃の花につながる思い燃ゆ原爆の街に生きて十三年
八月の陽は燃えたちて広島のつちに乾かぬ屍の臭(にお)い
ガラスノハヘン キラキラウゴクマブタノ ヒバクジュウヨネン ナレノキズアト
骨髄を蝕ばまれ死にゆく少年の記憶になき一九四五年八月六日
満ち潮の川のふくらみに月ありき女学生にてここに死にたる和子
広島の川に埋もれて十四年骨すくわれて陽に乾くさま
小さな骨(詩) 早春の/ヒロシマの川の/透きとおる水底に/ふとみつけた/小さな骨
ふさふさとした黒髪の少女か/つぶらな瞳の少年か/小さな骨
閃光と 炎と 亡びた街の/網膜に灼きついた/あの日の 死の幻影/ああ川砂に しがみつき/流れに手をあげる/小さな骨
人間のかなしみの ささやき/人間のかなしみが/怒りと力になることの ささやき/小さな骨よ
平和への/人間のちからを信じよう/人間の/平和へのちかいを
ぶらさがりし皮膚さえわからずおどおどと流れる炎の水に入りしか
ヒロシマの記憶に暗きわがいたみここより押し流されし女子学徒隊
電光を地下よりともし原爆の慰霊碑は浮く夜の小公園
過ちを繰り返さぬと碑に立てば暗夜にふかし石の光芒
▼赤い球(きゅう) 火とともに亡びし街の夢にさめ夜の鴉死ぬこえをきく
さむざむと骨くずしゆく死の灰かこの行動に切りむすぶうた
列島に鞭打つ音の絶えざればわれは語るをいそがねばならぬ
民衆の詩(うた)のかがやき君もきみも職場より持ちよる知恵のふくらみ
くらやみに手さぐる壁の亀裂より明るき未来をよぶ声のする
果てしなき焦土広島の模型にて爆心地にあがる赤き球(きゅう)
深川さんの短歌作品、詩、ルポルタージュ、新聞や雑誌に書いた記事や文章、その他は、その文学の創作活動、反原爆、平和と民主主義のための活動、広島の被爆者の生活と健康を守る運働、さらに国を越えての朝鮮人徴用工・在韓被爆者・遺族に対する国と大企業の賠償・未払い賃金の支払いを求めての調査や組織、裁判の取組みなど、自らの身をなげうっての活動の広がりと深さを映して、膨大である。 そのためか、深川さんの個人歌集は筆者の知るかぎりでは『群列―途絶えざる歌抄―』(1951年、新日本歌人協会広島支部刊)、読んできた『広島―原爆の街に生きて―』(1959年 『広島』出版世話人会刊)、『連祷』(1990年 短歌新聞社刊)のみである。合同歌集は数多くあり、深川さんの詩歌に関わる活動の精力的であったことをうかがわせるのだが、筆者はほとんど読めていない。
次回からは深川さんの最後の歌集となった『連祷』の作品を読んでいきたいが、個人歌集としては異例の大冊で、335頁、812首を収めている。原爆に関わる作品を抄出することになるが、出来る限り記録漏れのないようにしたい。この歌集の作品を、筆者は国会図書館所蔵のものを借りたので、筆者の地元の図書館での閲覧しかできず、ノートに筆写したのだが、誤写がなかったことを願っている。筆者の力での抄出は、深川さんの意に沿わないものになることもおそれるが、しっかりと読みたい。
(つづく)
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