今、世界の新聞を読んでいるとシーア派という言葉が頻出している。シーア派はイスラム教の二大勢力の1つで、今シーア派が扱われるのは主流派を占めるスンニ派(スンナ派)との確執においてである。具体的にはシリア情勢を巡ってだ。シリアはアラウィ派が政権を握っている。アラウィ派はシーア派に近いとされる。中東でシーア派が多数派を占める国にはたとえばイランとイラクがある。著者の桜井啓子氏はイランの専門家である。
桜井氏はシーア派とスンニ派(スンナ派)を巡ってこう書き記している。
「2005年末、イラクでは新憲法下で初の総選挙が実施され、シーア派が第一党となった。西側世界は、サッダーム・フセイン政権の崩壊を「独裁者の追放」「中東民主化への第一歩」としたが、イラクはもとより周辺諸国は、「スンナ派優位体制の崩壊」、「アラブ地域におけるシーア派政権誕生」、とみている。」
日本ではサダム・フセインは中東の超悪玉の独裁者ということで、サダム・フセイン政権を倒すことは民主化への道であるという報道が主流だった。宗教戦争から縁遠い極東アジアにおいてはシーア派対スンニ派の確執というより、独裁者対民衆という風に銘打った方がアピールする。しかし、桜井氏によれば中東の人々は必ずしもそう見てはいないようである。サダム・フセイン政権の崩壊はアラブ地域におけるシーア派政権の誕生というとらえ方の方が身近だというのだ。
サダム・フセインが属していたバース党政権はスンニ派の政権だった。イラク人の多数がシーア派であったことから、少数派が国を支配する構造になっていた。一方、隣国のイランはシーア派が多数を閉め、政権もシーア派である。サダム・フセインのイラクと隣国のイランはイラン・イラク戦争を1980年から88年まで続けていた。その後、イラクが1990年8月ににクウェートに攻め込んだのがきっかけで1991年に湾岸戦争が始まった。
その当時、こんな話を耳にした。六本木でペルシア絨毯を扱うイラン人の店に、サダム・フセインのクウェート侵攻を非難する抗議がいくつも寄せられたというのだ。サダム・フセインへの抗議が東京でイラン人が営むペルシア絨毯の店に多数寄せられていたのである。これもシーア派とスンニ派の対立を理解していればそのような取り違えはなかったかもしれない。
桜井氏はイラクについてさらにこう述べている。
「シーア派の台頭に警戒感を募らせているスンナ派のアラブ諸国は、イランとイラクという中東の二大産油国が、シーア派の手中にあるという事実を強調することで、アメリカを味方につけようとしている。アメリカもまた、現在までのところ中東随一の親米国家を反米国家に変えた1979年のイラン革命へのトラウマゆえに、シーア派を敵視するアラブ諸国に同調している。だが、湾岸戦争以降、実際にアメリカを標的とするテロ活動を繰り返してきたのは、スンナ派の過激集団であり、背後でそれを支持してきたワッハーブ派は、アメリカの友好国サウディアラビアの公認宗派であるという現実に向き合わざるを得ないときがくるだろう」
2001年9月11日にアメリカで同時多発テロを起こしたアルカイダはこのスンナ派の過激集団とされる。このあたりが複雑なところである。しかもビン・ラディンも、サダム・フセインもかつてはアメリカの友人だったこともだ。 桜井氏によればワッハーブ派とは「スンナ派ハンバル学派の法学者アブドゥル・ワッハーブがはじめたイスラーム改革運動で、預言者ムハンマドの死後に発達したイスラーム法学、神学、イスラーム神秘主義(スーフィズム)、それにシーア派を徹底的に批判する厳格なイスラーム解釈で知られている」
ウィキリークスにリークされた話ではサウジアラビアがアメリカにイラン攻撃を進言していたとされる。独裁者対民衆という構図がどこか胡散臭いのはバーレーンでも、その他の中東地域でも「アラブの春」が成功した国と弾圧された国とに分かれている現実である。シリアの民衆を支援しているはずのサウジアラビアはバーレーンの民衆運動を弾圧するバーレーン政府軍に戦車と軍隊を送っている。バーレーンは国民の約3割しかいない少数派のスンニ派が7割を占めるシーア派を統治している。その多数派を占めるシーア派住民の抗議運動は弾圧されたままだが、報道はほとんどされない。そのバーレーンには米軍の基地がある。
今、起きているシリアの内戦について日本の報道では独裁者対民衆という扱いが主流となっている。シーア派とスンニ派の宗派の違いを見ると、シリアを巡る情勢も違った見え方をしてくる。アサド政権はアラウィ派でありシーア派に近いことからイランなどのシーア派が支援しているとされる。一方、反政府勢力の多くはスンニ派であり、スンニ派政権のサウジアラビアなど周辺のスンニ派諸国が支援しているとされる。
桜井啓子著「シーア派〜台頭するイスラーム少数派〜」はシーア派を軸に中東を見る本である。シーア派は少数派だが、それでもイスラム世界の2大勢力の1つであり、シーア派を見ればスンニ派もまた見えてくる。シーア派が生まれた端緒となった預言者ムハンマドの死からオスマン帝国の崩壊とその後の欧州による中東の国境線の線引き、さらには現代まで、シーア派をキーワードに中東の歴史を見つめる本である。それは今日起きている出来事にもつながるに違いない。
フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッド氏は今日中東で起きているシーア派とスンニ派の抗争は16世紀から17世紀にフランスで起きたカトリックとプロテスタント派の宗教戦争と同質の現象ととらえている。宗教戦争の果てしない殺戮の果てに近代化した欧州では政教分離という思想が生まれた。日本国内で何を信仰しようと弾圧を受けたり殺されたりしないのは政教分離と信仰の自由の原則があるからである。一方、今、中東諸国が宗派を巡って抗争しているのは政教分離がなされていないためである。それらの国において宗教はまた政治でもあるからだ。主流派の宗派と傍流の宗派とでは人生はとても違ってくる。その対立抗争が欧米諸国などから政治的に利用されている側面もある。
それにしてもシーア派とスンニ派、殺しあうまでに何が互いに許せないのか理解できない。
■桜井啓子氏 早稲田大学国際教養学部教授 1959年、東京生まれ。著書に「革命イランの教科書メディア」「現代イラン〜神の国の変貌〜」「日本のムスリム社会」など。(中公新書 巻末による) 本書「シーア派」は2006年に出版された。
http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2007b/145n.html ■続く「アラブの春」〜バーレーンの民主化運動〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201204220423410
|