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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年10月08日18時30分掲載
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英中銀の総裁公募の締め切り、迫る ―300余年の歴史のこれまで
英イングランド銀行(中央銀行)の次期総裁は、史上初の公募制度で選ばれることになっている。公募の締切日は本日8日である。さて、どんな人材が候補者として並ぶことになるだろうか? 来年初夏に退任するマービン・キング総裁の後任を「公募で決める」と英政府が発表したのは、先月のことである。中旬には週刊誌「エコノミスト」に募集広告が出た。年齢や国籍は不問で、任期は8年間、年収は約31万ポンド(約4000万円)という。(ロンドン=小林恭子)
総裁職公募のニュースは日本でも大きく注目され、「日銀も公募制を導入するべき」と主張するブログもあった。
しかし、今回の「公募」を、新たな人材を探し出すために広く公正に募集の網をかけるのが目的と解釈すると見誤るのではないだろうか。職務には金融業界についての高度の知識や経験が重視され、政府および金融業界ともうまくやっていける人材が必要となる。外からまったく新たな人材を入れることは「想定外」(ロンドン・金融関係者)と言われている。
実際の有力候補者は極度に限定される見込みだ。下馬評では、金融サービス機構(FSA)のアデア・ターナー長官、内閣官房長官の経験を持つガス・オドネル氏、そしてポール・タッカー副総裁の3人がメインとなった。この顔ぶれは公募宣言以前と変わらない。締め切り直前にオドネル氏が辞退表明をしたため、実際にはターナー氏とタッカー氏の2人のいずれかになりそうだ。
2007年の英金融大手ノーザン・ロックの破綻や08年以降の世界的な金融危機の対応で、アリステア・ダーリング元財務相は「思うように動いてくれない」キング現総裁との間で、あつれきがあったことを自著「バック・フロム・ザ・ブリンク」で詳細に記した。
労働党政権時代に失った銀行の監督業務権限が、来年から中銀に戻ってくる見込みで、総裁の権力はますます増大することになる。政府としては、いざとなったら、自分たちの言うことを聞き、かつ金融業界ともうまくやっていける人物を探したい。
「公募」と宣言しておけば、既に有力候補者として名前が挙がっている人たちに、一種の緊張感を与えることができる。ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)の不正設定疑惑でみそがついた、かつての最有力候補タッカー副総裁も、「公募の結果、最適な人物だと改めて判明した」と説明して、返り咲きさせることも可能である。
イングランド銀行総裁の公募制度導入は、一種の政治的パフォーマンスと言ったほうが近いのではないだろうか。
イングランド銀行のこれまでを振り返って見よう。
―オランダがモデル
イングランド銀行が創立されたのは17世紀末の「大航海時代」だ。
時のイングランド王国は世界をまたにかけた貿易活動の拡大のための資金作りや欧州内の覇権争いに勝つための戦費を捻出してくれる銀行が必要になっていた。モデルになったのは1609年に創立されたアムステルダム銀行で、この銀行はアムステルダム市、政府、オランダ東インド会社に資金を貸し付け、硬貨の製造を行い、後に民間企業への貸付も行なっていた。オランダの繁栄の陰には中央銀行の存在があったとされる。
1694年、スコットランド人ウィリアム・パターソンがイングランド銀行を創業する。運転資金は国民から集めた120万ポンド。王国の財政は悪化しており、イングランド銀行は年8%の利率で貸し出しを行い、管理費として4000ポンド請求したという。
以降、現在まで、政府の財政政策を支援する銀行として、金融体制の安定を維持するための「銀行の銀行」として、また紙幣の供給を調節しながら経済の安定維持に貢献する重要な金融機関として機能してきた。
―高い評価を受けたイングランド銀行への金利決定権移譲
1997年、労働党政権が成立すると、ゴードン・ブラウン財務大臣(当時。後の首相)が、金利を決定するための運営責任をイングランド銀行に移譲すると発表した。
伝統的に政策金利などの決定は財務省が行っていたが、翌年から施行されたイングランド銀行法によって、銀行の金融政策委員会が、政府が設定するインフレ率を達成できるように金利を決定することになった。
同銀行法により、これまでイングランド銀行が持っていた銀行業務監督権は新たに設立された金融サービス機構(通称FSA)に移管された。財務省、イングランド銀行、FSAの3機関が、国の金融・経済体制を支える体制となった。
1975年には27%にまで上昇したインフレ率は2003年以降、目標値となった2%前後で推移した。「ニュー・レーバー」政権下で好景気が長期続いたこともあって、イングランド銀行の独立が効を奏したと高く評価された。ブラウン財務相の株は大いに上がったわけである。
―ノーザン・ロックの教訓か?
しかし、2007年秋、住宅金融大手ノーザン・ロックが資金繰り難に陥り、取り付け騒ぎが起きると、イングランド銀行や財務省、FSAなど金融当局に対する国民の批判が高まった。信用不安を解消するための当局の処理は後手に回り、ノーザン・ロックは国有化されてしまった。
「そもそも、銀行監督業務をFSAに移管してしまったことが問題だ」とする声があがり、キング総裁に対しても「行動が遅い」、「市場の動きを十分に理解していない、学者エコノミスト」(市場関係者)と言われた。
世界的金融危機の影響が2008年秋から本格化すると、イングランド銀行は大胆な金利引下げを迅速に行なうようになった。08年9月時点では5%だった政策金利は2009年1月、「銀行史上初めての」1・5%にまで引き下げられた。同年3月にはさらに引き下げが続き、0.5%に。現在までこの金利は据え置き状態だ。
―豆知識
イングランド銀行のウェブサイトによると、銀行のニックネーム「スレドニードル通りの老婦人」は、1797年に出版された政治風刺画の中で、イングランド銀行が時のピット首相が気を引こうとする老婦人として描かれたことに由来する。ゴールドが入った整理ダンスの上に座った老婦人は1ポンド札を貼り付けたドレスを着ていた。スレドニードル通りはイングランド銀行の所在地である。
通りの名前がスレドニードル「Threadneedle(糸・針)」と呼ばれるようになった理由には2説ある。針を作る職人たちがここで商売をしていたという説と、子供たちの遊びの呼称だったという説。後者は、子供2人が手をつないでアーチを作り、ほかの子供たちがアーチの中を走って通り抜け、これが針に糸を通す仕草に似ている、というもの。
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英イングランド銀行のウェブサイト





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