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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年11月02日13時20分掲載
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文化
【核を詠う】(72)福島の歌人たちが原発災の1年の日々を詠った短歌作品を読む② コスモス福島支部歌集『災難を越えて 3・11以降』から 山崎芳彦
コスモス短歌会の福島支部会員22名の歌人が、平成23年12月に刊行した歌集『災難を越えて―3・11以降』がある。県内各地に住まわれている会員が、それぞれの東日本大震災・福島原発事故からほぼ10ヶ月の「災難」の生活の中で詠った短歌作品が、各会員10首の出詠でまとめられた貴重な一冊である。いささか遅れたが、同支部の高橋安子さんにお願いして、快く同歌集をご恵送いただいた。同じ福島県内でも各地在住の人々の作品だけに、それぞれ特徴のある作品がまとめられている。
その中から、原発にかかわる作品を抄出させていただくことになるが、いつものことだが心苦しい。すべての作品を読ませていただいて、震災・津波の「災難」を詠った作品も、作者の貴重な、心のこもった一首なのである。筆者はすべての作品を読ませていただく幸いを得たのだが、この連載の性格上、やむを得ず抄出させていただくしかない。
この歌集の「序 発刊にあたって」で、コスモス短歌会選者の岡崎康行氏が次のように記している。2011年3月11日の大地震・津波について述べたうえで、
「そしてもうひとつ、福島県には原子力発電所の事故が重なった。それがどんなものであるか、言葉や数字、ベクレルとかメルトダウンだとか二十キロとか三十キロなどと示されはするものの、実態の見えない感じることのない不安であり恐怖だった。そのときから、人々は死者を弔い、助け合い、辛い生活が始まった・・・そういう困難な生活のなかで短歌を作ることがどのような意味を持つものなのか、私には分からない。短歌どころではない、という声もあることだろう。・・・それなのに生き残った歌人たち、コスモス短歌会の仲間は歌を作ってコスモスに投稿し続けている。しかもここに十首ずつ纏めて作品集を出すのだという。これはどこから何の力が湧いた結果なのだろう。この不思議な掴みがたいが確実に湧いてくる力こそとても大切なもののように思える。」
「とにかく、この集には震災と原発事故下の福島県の人々の体験や生活、何を思い何を願ったかがつぶさに詠まれている。つらく苦しい実際やそれを跳ね返していく力が詠まれている。心の中を通ってきたもの、洗われてきたものが詠まれている。無名の人々の、たった二十二名の薄く軽い作品集である。しかし読者は二十二名の心の重さをずしりと受け止めて驚くことであろう。」
と、心のこもったことばを寄せている。筆者も同感する。
作品を読んでいきたい。原発事故による放射能の排出・拡散が、人々にどのような苦患を、その生活、人間的感情に強いるものなのか、直接的な現象、具体的な形を超えて、言いようもない不安のなかに落とし込むものなのか、改めて感じた。表現をどこまでふかく受け止め、向かい合えるかが、読む者に問われるのだと思う。「詠む」と「読む」を大切にしたい。 (作者の一連にはそれぞれ題がついているが、抄出なのでは省略した。)
▼がうがうと被災地にゆくヘリ続き空襲の記憶また改まる
この道に助けられしと媼指す山路は舗装し手すりつけてあり 2首 安藤美江子(郡山市)
大地震(おほなゐ)に病院壊れ長男がその心労か五十歳で逝く
原発が心配だよとつぶやきし長男の声耳に残れり 2首 池田康子(須賀川市)
▼くるみの実ころがる斜面ゆく先を原発知らぬくわくこうが鳴く
原発を町の人らは恐れしが沢の水音清しと聞けり
対岸の集落朝にめぐりつつ原発の情報車は流す
テレビより被曝の報に山人ら育ちし野菜つぎつぎ倒す 4首 岩沢ふじを(会津若松市)
▼ (放射線量の数値が連日新聞に載っている)
線量は僅かといへどわが体に庭の木草に積もりゆくべし
(「おらほ」とも「おらほう」とも言うひとがいる) 「おらほう」は母語のひびきぞ線量の高い「おらほ」へ近づくな子よ
(次兄が避難先で病を得て亡くなったのは五月、福島市で葬儀が執り 行われたのは九月) 死んだとて帰町かなはぬ人のため一時帰宅といふ深情け
(にんげんだけが郷里双葉を出た) 人々は逃れたれども鳥けもの魚はさながら逃るるならず
(おじいちゃん、耳をすませば草や木の歌が聞こえるよ) 人棲まぬ町となりたりふるさとの木草にひくき声あらしめよ 5首 尾崎 玲(いわき市)
▼わが町の原発おそろし計測のたびに違いあるシーベルトおそろし
日本にはいまだ動ける原発が十七基もあり津波おそろし
原発で解雇されたる子がおりて仕事なくなる夫も又おり
原発で日本沈没想定す五十四基の原発かかえて 4首 加藤雅江(いわき市)
▼原発の事故に追われて午前二時夜逃げ同然家を発ちたり
放射線のスクリーニング受けた後ようやく歯科の受診許さる
娘から「水道出たよ」と知らされて汚染気にしつつ戻る準備す
桜咲きあんずが咲きて花海棠咲きても気持ちは三月のまま
あり余る太陽光を惜しみつつ窓辺に寄せて洗濯物干す
震災前に届けられたるホウレン草生産者の名をじっと見つめる
いつもなら二キロどまりの梅の実が五キロもとれて頭かしげる
雪どけの土手から採りし蕗のとう友にあげしを罪深く思う 8首 金成敬子(いわき市)
▼貞観の世より津波の記録ある浜なれどその上放射能襲ふ
放射能には遠き会津と思ひゐしが牛の餌にもベクレルありき
風評は観光会津をなめまはし修学旅行はなべてキャンセル
放射能の汚染あるやも知れぬとふ息子の採り来し磐梯山のこごみ
安全神話ふり撒きしはだれ地震列島に五十四基も原発つくりて 5首 岸 キク(会津若松市)
▼売りに来し旬のささげを断りて何を食べむとしている我か
重大な原発事故と後に知り暗雲ひろごるわが六十キロ圏内
家ごもり二ヶ月過ぎぬ思ひつきり五月の風に吹かれてみたい
被曝避け外で遊べぬ子らの打つ独楽の音つづく時に激しく
何もかも溶けゆくやうな土用どき陽炎がゆらぎ放射線がゆらぐ
安心の一助にせよと子の呉れし線量計の音忙しかり
稲穂垂れ秋の実りは確かなり「不検出」とふ関門あれど 7首 紺野晴子(須賀川市)
▼原子炉の爆発に棲処失ひぬ誘致反対の旗手たりし人も
誘致反対の論拠なりし原子炉爆発放射能汚染が現実となる
原子炉を洗ひし水を捨てたりといふ 魚の棲む海 漁りする海に
想定外と社側は言へどなすべきを怠りし故の当然の当然
今にして次ぎて露(あらは)るる「官」「業」の黒き絆が惨を招びたり
「原子炉爆発す 新潟を回りすぐ来よ」と東京の子が
高速道(ハイウエー)より見る会津野の黄金波放射能来るなセシウム出 るな
いささかはあらむ放射能気にするか 唐黍送らむと子らに訊きたり
東京の光源なりきフクシマは「安全」「安心」の呪文のままに
如何様に生(あ)れし電気か東京に集まる幾条の送電線高し 10首 斎藤英子(会津若松市)
▼「みんな逃げて町が空っぽになったよ」と屋内退避の子の声うつろ
放射能に汚れし町なれこの町を守りて残ると教師なる子は
南相馬はぬけがらの町そに住める息子に送らむ梅ジャムを煮る
逃げられるだけ逃げてここまで来ましたと避難所に和田さん一家八人
わたし達将来子どもを産めますか、少女の訴へ胸を刺したり
放射線憂へるされど限りなく続く青田に夏風ひかる 6首 佐々木勢津子(喜多方市)
▼放射能の不安いつまで続くやらシーベルト、ベクレル老いを悩ます
複雑な避難拡大、指示区域、混沌として混乱極む
いたづらに風評被害にをののきて東奔西走するは哀しき
原発の安全神話ブットブも懲りずに運転をと叫ぶ人あり
露地シイタケ出荷停止の指示無情 栽培農家かたを落とせり
原発の事態収拾らち明かぬ南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏
放射性セシウム濃度一八万六〇〇〇ベクレル観光会津に衝撃走る 7首 砂土木一路(大沼郡会津美里町)
▼原発の事故に取るもの取りあえず避難の車延々続く
原発の建屋爆発せし折の情報小出しに不安のつのる
原発より百キロの我が喜多方も風評被害もろにかぶりぬ
夕空に虹を見てさえあそこにも放射能少しあるかと思う
大地震、大津波にも、「福島」は打勝つだろう原発なければ 5首 高橋節子(喜多方市)
▼大地震と原発事故の二重禍が二十四歳の命さらひぬ
浪江町に流れゆたかな高瀬川鮭はのぼれど原発事故汚染区
原発を信ぜぬ姪がふるさとの大熊去りしは今や正解
月々の命日の夫の墓詣り 原発事故に叶はずなりぬ
嫁ぎ来てふる里となりし浪江町原発事故に人、町、山失す
桜に会へず牡丹に友の死に会へず原発の惨われに及びて 6首 高橋安子(いわき市)
▼朝の鐘つけば鶯の声返り放射能危惧瞬時忘れぬ
風評に参拝客の遠のきし隊士の墓前に夏椿散る
シーベルト怖れて居れず老齢われ居直りて雨後の庭の草引く
拭ひ切れぬ汚名に牛ら哭き居らむ与へられし藁食みたるのみに 4首 高松こと(二本松市)
▼原発の事故の情報伝わらず避難の指示もバスもない夜
原発の怖さ説きつつ「避難せよ」と身内の声の日々高まりぬ
停電で洞窟のような原子炉をよくぞ守りし仕事魂
もう安心外部も内部も被曝なしああこの言葉早く実らな 4首 長瀬慶一郎(いわき市)
▼庭畑のアスパラみつつ思案せり放射能汚染の報道あれば
原発事故に節電強ひられこの夏はゴーヤの植栽多く目につく 2首 芳賀テル子(田村郡三春町)
▼放射能の被害どこまで広がるや子は思案する作付近し
原発の塵飛び来ぬかと不安もち倅は今年の作付をする
昭和の世原子爆弾に戦破れ平成の世に再びこのざま
つばくらは放射能の害知りたるか巣作り止めて逃げてゆきたり 4首 星 源佐(河沼郡会津坂下町)
▼年毎に供えし庭の初水仙今年は迷うセシウムの値に
「ねたましいほどの豊かな自然」とう飯舘村を歩きし作家(朴)
米作り継ぐとう輝く五年生原発の話題に一瞬くもる
舌鼓打ちてシイタケバター焼、食べて放射能の不安消えたり
防護服に身をば包みて帰宅すと近づく車窓に四基がむなし 5首 松本真智子(福島市)
▼避難所が閉鎖になりし体育館に三月のままのカレンダー残る
二時間の自宅滞在する中で何よりも先ず位牌を探す
風評に負けてはならじと佐藤知事東京のど真中でのぼり持ちて立つ
原発を受け入れて来し吾が家が避難所となり足の踏み場なし 4首 峯岸令子(喜多方市)
▼食料も入手困難地の果てとなりし福島閉ざされた道
店先に人々は列をなしており放射能舞う灰色の空
後ろ髪引かれる思いに父母を残して避難す原発事故で
避難した街へ一歩を繰り出せば不思議の国のアリスのごとし
スーパーに並ぶ野菜の産地など確かめ選びぬ福島に住み
原発の近くは多くの公園で子ら燥ぎたる夢か幻 6首 吉田葉亜(いわき市)
▼地震津波さらにわが県の原発の事故は世界を震撼させぬ
放射能汚染の牛乳捨てている酪農家あり悲しみの湧く
ほいほいと帰りし産土原発の十キロ圏内立入禁止
盂蘭盆に帰れず草に覆はるる墓夢に顕つ 夕焼小焼
父母ねむる故郷に向かひ手を合はす立入禁止の柵の外より
伝来の沃土荒れ果て望郷の甥は夢なき徒食を歎く 6首 渡部軍治(河沼郡会津坂下町)
歌集『災難を越えて―3・11以降』は以上で終るが次回も、福島の歌人たちの作品を読み続けていきたい。 (つづく)
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