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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年11月04日15時16分掲載
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反戦・平和
「NOオスプレイ!NOレイプ!」 日本山妙法寺のお坊さんと歩いた沖縄
10月18日から30日までの2週間、日本山妙法寺主催の沖縄平和祈念行脚に参加して、北は辺戸岬から南は摩文仁の平和の礎まで、オスプレイ配備強行と女性強姦事件に揺れる沖縄本島を縦断してきた。「オスプレイもヘリパッドもいらない 沖縄を再び『捨て石』にするな」という横断幕を掲げて、うちわ太鼓をたたき、様々な慰霊碑をめぐり、米軍・自衛隊基地の前で「NOオスプレイ!NOレイプ」とコールをして、ガマの前で供養した。基地を抱える自治体を訪問し、沖縄で平和運動を続ける人々と交流する行脚は、27年26回目となる重みを感じさせる行脚だった。(加藤〈karibu〉宣子、写真も)
日本山妙法寺は、藤井日達が開山した仏教の日蓮宗派の一つで、非暴力を貫き、黄衣をまとってうちわ太鼓をたたき「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えながら、街頭を行脚することで知られる。世界中で平和運動を展開している。
18日、那覇市役所前で出発式を行い、20名余りが那覇市国際通りを行脚、午後には大宜味村役場を訪問。19日には最北端の辺戸岬の祖国復帰闘争碑から歩き始め、国頭村役場、高江のヘリパッド建設で揺れる東村の村役場を訪問したあと、高江のテント村を訪れ、闘いの苦しく厳しい現状を聞き、ゲート前で太鼓をたたき祈念した。20日も高江テント村を訪問。
21日は伊江島にわたり、非暴力の抵抗運動を続けた阿波根昌鴻さんが建てられた反戦資料館「ヌチドゥタカラの家」を訪ね、館長の謝花悦子さんのお話を聞いた。オスプレイ訓練が行われることを危惧したが、この日は飛来はなかった。集団自決壕アハシャガマでは、線香を焚いて慰霊した。
翌22日、名護に戻り、名護市役所を訪問、映像作家の輿石正さんから沖縄の現在の状況を聞いた。23日はキャンプシュワブ前を行脚し、辺野古へ。辺野古には何度も来ているが、辺野古浜のフェンスができてから初めての訪問である。分断された浜に切ない気持ちになった。
24日は宜野座村役場からスタートし、キャンプ・ハンセン、金武町役場、伊芸都市型訓練施設とめぐった。都市型訓練施設では、パンパンパンと乾いた銃声が少し離れたところから聞こえてくる。この辺りは米軍基地だらけである。1959年にジェット機墜落事故で18名の死者を出した宮森小学校の記念碑に手を合わせ、当時の話を聞く。
25日、うるま市役所から出発、沖縄市役所を訪問し、泡瀬干潟の埋め立て中止を求める。泡瀬干潟は、民間業者による埋め立てが進むところだが、沖縄市や県の意向によって揺れている。工事が進んでいる最中であるが、資料館の海エラ館では鳥の写真や貝のコレクションが並べられ、海の生物多様性を感じて面白かった。しかし、ここで初めて3機のオスプレイに遭遇。飛びたい放題、やりたい放題のオスプレイをまざまざと見せつけられた。
26日は読谷村役場を出発、チビチリガマで供養をし、嘉手納町役場を訪ね、沖縄防衛局で、戦争協力加担を止め米軍基地の撤去を求める要請文を手渡した。その後普天間基地のある宜野湾市役所を訪ね、元市長の伊波洋一さんの話も聞いた。砂辺の基地外の米兵住宅も見て回った。
27日、北中城村役場を訪ね、村長の話を聞く。そして27日午後と28日は普天間の野嵩ゲートの前で、基地撤去のご祈念。野嵩ゲートは9月30日座り込むおじぃ・おばぁ・市民を沖縄県警が強制的に排除した場所だ。太鼓をたたきながら、通過する車に向けて「NOオスプレイ」のプラカードを掲げ、出入りする米兵の車に「マリーンズ・ゴー・ホーム」と語りかけた。米総領事館の前でコールもした。沖縄国際大学ヘリ墜落事故現場にも立ち寄った。夜は那覇市内の法華経寺で、若き日から尖閣諸島で漁業に携わり、今は中国との交易をしている上里正俊さんのお話を聞いた。
29日は沖縄県庁を出発、那覇軍港や陸上自衛隊那覇駐屯地の前を行脚し、豊見城市役所を訪ね、糸満市役所まで歩いた。行脚最後の夜は糸満の長谷寺で、太平洋戦争中の慶良間の従軍慰安所のDVDを見せていただいた。
30日最終日、糸満市役所から、途中米須公民館にて昼食休憩を取りながら、まよなかしんやさんの歌を聴き、摩文仁まで行脚。摩文仁平和記念公園で法華経寺の住職によるアジア太平洋戦争犠牲者慰霊法要を行った。
行脚を終えて、団長の武田隆雄上人は「沖縄を再び戦場にしてはならない。そのために私たちは声をあげ続けなければなりません」と語った。
行脚といっても訪問する箇所が多く車移動の部分もあったが、それでも2週間でこれだけの場所を訪ねることができたのは、日本山妙法寺の方のご尽力によるところが大きい。沖縄戦犠牲者の慰霊をしながら、沖縄を縦断できたのは本当に心休まる時間だった。自治体への訪問はかなり興味深いものだった。基地が占める割合とともに対応も違う。そして基地の前で声をあげて、米軍基地撤去の意思表示をしたのは自己満足かもしれないが、充実した時間だったと思う。常々「沖縄に立つと世界が見える」と感じているが、今回も中国や韓国、そしてアメリカ、日本自身が見えた旅であった。
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基地の前で抗議のご祈念
沖縄戦の慰霊とは基地をなくすこと
団長の武田隆雄上人





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