私(安原)にとって得難い「心の友」、清水秀男さんから新年の心境を綴ったメールが届いた。題して「病縁で学んだ多くのこと」で、三つを挙げている。それは、生かされていることの有り難さ、「当たり前」こそが幸せの原点、残された生をお役に立つべく、―である。 「病縁」とは「歩行困難」という病魔との苦闘を指している。病魔には拒否反応を示すのが普通だが、彼はそれをむしろ「病縁」と前向きに受け止め、そこから「人を思いやる心を忘れないでいたい」という心境に辿り着いた。しかも気づいてみれば古希を迎える。病がのさばり、苦しんでいる人の多い時代である。「病縁」とどう付き合うか、参考にしたい。
「病縁によって多くの学びをさせて頂きました」という清水さんの心境を以下に紹介し、そして末尾に私の感想文を添える。
▽ 古希を迎える大きな節目
竹にも節があるように、人生にも節がある。今年は私にとって、古希を迎える大きな節目の年です。5年前病縁に出会い、4年間は手術の連続でありましたが、幸いにも天のご加護と多くの方々の暖かいご支援と激励のお蔭で、昨年来小康を得て、古希を迎えることが出来ますことは、誠に感慨深いものがあります。
*病縁を通じて学んだこと(その一)=生かされていることの有り難さ 病縁を通じて、多くの学びをさせて頂きました。本当に有難いと思っています。 一つは、多くの方々と物のお蔭で「生」があり、“生かされている”ことの有難さを実感したことです。 あらためて味わった阪神・淡路震災の記念碑文に書かれた言葉は胸に響きました。
「失ったものも 多かったけれど/大切なことも沢山学んだ/ 人は一人では生きていけない/一人の力では生きていけない/ 誰かを助け 誰かに助けられ 生きていくものだ/ 一人の生命の大きさを/人々の心のあたたかさを/ 人を思いやる自分自身の心を 忘れないでいたい」
*病縁を通じて学んだこと(その二)=「当たり前」こそが幸せの原点 二つは、食べたり、排泄したり、歩いたり、坐ったり、寝たり、笑ったり、泣いたり、呼吸したりする「当たり前」と思っていた日常生活は、実は「当たり前ではない」何物にも代え難い素晴らしいものであり幸せの原点であることに、傲慢な私は病によって初めて気がついたことです。 闘病中に深く共鳴・共感した詩があります。 それは、骨肉腫の為に右足を膝から下で切断、後に両肺に悪性腫瘍が転移したために32歳の若さで夭折された内科医の井村和清さんが、亡くなる約一ヶ月前に体験を踏まえ、自分の子供達にも「当たり前の大切さ」が分かる人間になって欲しいという願いをこめて書いた手紙の中の詩です。
その一節を紹介します。 「こんな素晴らしい事をみんなは何故、/喜ばないのでしょう/あたりまえである事を・・・手が2本あって、足が2本ある/行きたい所へ自分で歩いてゆける/ 手を伸ばせば何でもとれる/音が聞こえて声がでる/こんな幸せはあるでしょうか/ しかし誰もそれを喜ばない/あたりまえだと笑って済ます/ 食事が食べられる/夜になると、ちゃんと眠れ、/そして又朝が来る/ 空気を胸いっぱいに吸える/笑える、泣ける、叫ぶ事もできる/走りまわれる/ みんな、あたりまえのこと/こんな、素晴らしい事を、みんなは決して喜ばない/ そのありがたさを知っているのは/それを無くした人達だけ・・・」
*病縁を通じて学んだこと(その三)=残された生をお役に立つべく 三つは、今・此処に生きていることだけが確かな事実であり、人の一生は今・今・今・・・の連続であること。そして、死は生の延長線上にあるのではなく、死を背負って毎日生きていること。 従って、今・此処の瞬間を完全燃焼させて悔いなく生き切ることの大切さを身に沁みて感じたことです。
「今一度の命なりせば いとおしみ いとおしみつつ 今日を生きなん」
孔子(注)の古希に当たる七十の心境「心の思うままに振舞っても道をはずさなくなった」には程遠いですが、竹の様に如何なる状況にも耐えて“しなう”柔軟心を持ち、せめて「不惑」を目指して、折角頂いた残された生を、少しでもお役に立つべく、一歩一歩大地を踏みしめながら歩み、全うして参りたいと思っています。 本年が、“希望に満ちた安穏な年”であることを祈念いたします。
(注)孔子(こうし・前552〜前479)=中国、春秋時代の学者、思想家。諸国を遍歴し、仁の道を説いて回った。後世、儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた。弟子がまとめた言行録「論語」が有名。
▽ <安原の感想> 「病を友に」という心境に
清水さんからの新年のメールを読みながら、決して他人事とは思えない心境に浸っていた。実はわたし自身、病とは縁が切れない。縁が深いともいえる。 小学生から中学生の頃、関節リュウマチという病魔にとりつかれた。小学4年生から中学2年生の頃まで毎年冬になると決まって、1か月以上も寝たきりの状態で苦しんだ。両親が病床の枕元で涙に暮れていたのを、つい昨日のことのように思い出す。
病魔をどう追放するか。高校に入学した年の春から病気退治のために取り組んだのが毎朝の冷水摩擦である。父の「お前は身体が弱いから、冷水摩擦で鍛えろ」の一声で、納得し、始めた。当時は水道はなく、戸外の井戸水を汲み上げて使っていた。冬になっても上半身、裸になって励行した。当時は雪もよく降ったが、雪よりも寒風の方が辛かった。寒風に裸身をさらす、そのお陰と信じているが、高校3年間、病気で休むことはなかった。
病魔の方が恐れをなしたかと想いながら、古希も過ぎて、八十路(やそじ)の坂にかかる今、やはり現実は甘くはなかった。脚にしびれを感じるようになったのである。冬の寒い夜には外出を控えるようにしている。腰部脊柱管狭窄症という病名で、杖をつきながら歩いている、同病のご老体がいかに多いことか。私は最近「病と共に」、いやそれ以上に「病を友に」という心境になり始めている。
「病を友に」とはどういう含意か。 一つは若い頃と違って高齢者なのだから、病を無理に排除しようとはしないこと。それにこだわるとかえって苦しみが増すのではないかと思案している。 もう一つ、「人を思いやる心」を大切にすること。清水さんは、病縁を通じて学んだこと=生かされていることの有り難さ、を感じながら、「人を思いやる自分自身の心を忘れないでいたい」と述べている。同感である。 自分一人が頑健であっても周囲の人が病気に苦しんでいれば、決して幸せを味わえないだろう。むしろ苦しみを共有し、相手を思いやることによって、幸せも共有できると考えたい。
*「安原和雄の仏教経済塾」の転載です。
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