ドイツ文学の岩淵達治氏が亡くなられた。享年85。岩淵達治氏と言えば20世紀最大の劇作家、ブレヒトの研究では第一人者であり、個人訳で刊行したブレヒト戯曲全集訳はその最大の成果だろう。だが、それ以外に劇作家・演出家としての顔も持っておられた。戦後ドイツ演劇を肌で体験した貴重な演出家だった。こうして書いていると思い出されるのは岩淵さんが舞台上でアカペラで歌った「三文オペラ」の主題歌「マックザナイフ」だ。すっくと姿勢よくたち、朗々と歌われた。日生劇場でイタリアから歌手のミルバを招いてブレヒト作「七つの大罪」を演出した時の余興の一幕である。著名な知識人ながら、気取ったところはなかった。
ブレヒトが20世紀最大の劇作家と呼ばれる所以は彼が提唱し、実践した叙事的演劇という方法にあった。それまでの演劇が主人公に感情移入し、その運命にともに涙するようなカタルシスを求めるものが主流だったのに対し、ブレヒトは主人公に距離を置いて、舞台上の出来事を批判的に観客が見ることができる演劇を目指した。叙事的演劇であれば、観客の思考は劇場を出た後も継続し、「あぁ、面白かった」「感動した」だけでは終わらない。それはブレヒトが演劇に社会変革の、あるいは人間関係の変革のきっかけを求めていたことによる。岩淵さんが研究したブレヒトはこのような劇作家だった。
岩淵さんがドイツに渡ったのは1957年10月、ベルリンの壁が作られる4年前の西ドイツだった。帰国されたのは1960年だから、「あと1年滞在していたら僕はベルリンの壁も目撃できたんですよ」、と少し悔しそうに語っておられたものだ。ベルリンの壁ができたのは1961年8月である。しかし、すでに1957年の時点で西ベルリンと東ベルリンとでは物価も大きく違っていた。壁ができる前だったから、ベルリン市民は電車で東西を行きかうことができた時代である。岩淵さんも西から東に渡って、ブレヒト劇の牙城、ベルリナー・アンサンブルの芝居や東独のオペレッタを見ていたという。しかし、ブレヒト自身は1956年に亡くなっている。岩淵さんが出会ったのは未亡人となったヘレーネ・バイゲルだった。看板女優であった彼女はブレヒトの「母」や「肝っ玉おっ母とその子供たち」などに出演した。
1960年と言えば日本は安保闘争で燃え上がっていた頃。しかし、岩淵さんは「ドイツではそういう盛り上がりはなかったんですよ。同じ敗戦国でも、西ドイツは反共色が強かったです」と言っておられた。その頃、岩淵さんはまだ台頭してきたばかりの若き作家、ギュンター・グラスに注目し、インタビューも行っていた。グラスが「ブリキの太鼓」を世に出したのはまさに1959年、岩淵さんが西独に留学していた最中である。そういう意味ではドイツの戦後文学を見る上でいい時期に立ち会われたのではないだろうか。なぜならナチズムに向かうドイツを超現実主義的なユーモアを込めて直視したギュンター・グラスこそは初めて出てきたドイツの戦後文学と讃えられていたからだ。そういえばグラスも岩淵さんと同じ、1927年生まれ、今年85歳である。日独ともにファシズムの過去とどう向き合うかが問われていたのだ。
1999年、ブレヒト戯曲全集を翻訳した功績で岩淵さんはドイツ政府からレッシング賞を受賞された。その頃、僕は岩淵さんを取材しており、東京のドイツ文化会館で開かれた授賞式に招待していただいた。
レッシング賞はその前年度のドイツ書の優れた翻訳に与えられる賞である。正式にはレッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞である。会場には錚々たるドイツ語の専門家が集まっていた。賞を授与する側として、一人のドイツ人女性が講評に立った。この人はイルメラ・日地谷−キルシュネライトという名前で、相当に著名な教授なのである。
キルシュネライトさんは翻訳書を次から次に取り出しては、誤訳を指摘していった。「これなどは辞書を引いたらすぐにわかることです」など手厳しい。叱られているのは学生ではない。その道のプロたちである。「恐ろしや」と思った。講評を受けている先生たちはどんな思いで聞いていたのだろうか。
レッシング賞はドイツ政府が出している賞である。こうしてドイツ語の翻訳者たちを常に鞭打ち、同時に賞を与え、ドイツ書の翻訳レベルの向上を図っているのである。語学は厳しく終わりがない。そう思うと同時に、一方で僕の中に大きな解放感があった。それは語学のプロも誤訳をしてしまう、と知ったことである。この認識は僕に翻訳にチャレンジする勇気を与えてくれた。
ところでかくも厳しいドイツ女性知識人であるが、岩淵さんが翻訳した「ブレヒト戯曲全集」だけは「見事な訳」、「完璧」と確かに言ったのをこの耳で聞いた。こんなことは今更言うまでもないことかもしれないが、岩淵達治氏の名誉のために付け加えておきたい。謹んでご冥福を祈りたい。
■岩淵達治訳「ブレヒト戯曲全集」(全8巻、未来社) ブレヒト生誕100年を記念して刊行を開始した。岩淵達治氏の個人訳である。
■岩淵達治訳「三文オペラ」(ブレヒト作) ブレヒトには多数の傑作があるが、代表作は「三文オペラ」と言ってもよいのではないか。ロンドン警視庁のトップと盗賊が大の友人である、という破天荒なストーリーを持つ。ブレヒトが観念だけの劇作家でなく、エンターテインメント作家としても抜群の感覚を持っていたことがわかる。
■シリーズ一枚の写真から 〜岩淵達治氏がドイツに発った日〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201011062121486
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