練馬で独自の演劇活動を半世紀にわたって続けてきた東京演劇アンサンブルは今、ドイツの劇作家ボートー・シュトラウス作「忘却のキス」を上演している。ボートー・シュトラウスはドイツ演劇界では大物なのだが、日本の大衆にとっては未知数だろう。(実は小生も少し前まで知らなかった・・・。)だからこそ、今がチャンスと言えよう。というのも、この劇作家はドイツで相当注目され、人気が高いらしいからだ。ユーロ危機解決の鍵を握る現代ドイツ人が何に関心を持っているのかを考えるバロメーターになりうる可能性がある。
同劇団は3年前、やはりボートー・シュトラウス作「避暑に訪れた人びと」を上演している。この作品はロシアの作家マクシム・ゴーリキーの未完の戯曲をボートー・シュトラウスと演出家のペーター・シュタインが完成させたものだ。かつては革命家だった者たちが中年となり、小金を得て、不倫に美食に傾いていきながら、どこかでこれでは駄目だとも思っている。いったい誰がここから新たな一歩を踏み出して出ていけるか。そんな芝居だった。こんな話は居酒屋やバルで日々聞こえてくる。そうした筋立てであるから、当然ながら年齢層が高い観客にアピールする傾向がある作家のように思われた。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201009091411374 今回上演の「忘却のキス」は初老の男が若い女性に出会い、恋をする物語である。人によってストーリーの紹介の仕方は異なるだろうが、そうとしかいいようがない。男には妻もいるから不倫の関係とも言える。男は金を持っており、娘は庶民の、というか貧しいと思われる家庭の出である。偶然出会った二人は10年近くともに過ごし、男が先に死ぬ。金持ちの男が自分の娘くらいの若い女性と恋に落ちる・・・これは陳腐なパターンになりかねない素材である。しかし、シュトラウスはそういう描き方をしていない。僕が注目したのはシュトラウスが恋愛は国家より上に来るという思想を持っているらしいことである。ならば彼が描こうとする恋愛は国家や共同体(やはたまたテレビ)から「いい」とか「悪い」といったように価値づけられることから自由であり得るだろう。男は死んだ後もあの世から娘にコンタクトを取ろうとする。それはそうだろう。こういう図太い男女を描いている。
ついでに書けば、シュトラウスには「公園」という戯曲もある。こちらはシェイクスピアの「夏の世の夢」を下敷きに、現代ドイツの男女の事情を描くものである。「公園」においても、恋愛模様が軸になっているが、男女の絡み合いの向こうに現代ドイツの性的欲求不満や人種偏見、死への不安などが描かれる。シェイクスピアの清新さに比べて、どす黒く乾いている。しかし、今は感動の物語などより、身の回りの日常を違った風に見せてくれる劇が必要なのだ。
これらいくつかシュトラウスの作品を垣間見ると、シュトラウスが中年以後の人生をメインに描いている作家らしいことがわかる。日本なら、そろそろおじさんと言われる年代が登場人物の中心になっている。日本でおじさんと言えばまず劇場なんかにやってこない。しかし、ドイツで人気が高いのはもしかすると、中年たちの生活を描いているからかもしれない。中年については陳腐に見ようとすると何もかも陳腐に見えてしまう。しかし、実際に陳腐であるかどうかは色眼鏡を外さないとわからない。シュトラウスの作品は観客一人一人が色眼鏡をはずすための場のように思える。だからこそ、舞台上の状況はすっきりしないし、様々な登場人物が出て様々なことを言う。その中から、この物語をどう自分の頭で組み立てていくかが観客に求められているように思われる。僕らが日々抱えている問題にスポットを当て、ぜひ掘り下げてもらいたいと思う。
公演は3月1日〜3月10日。 場所は「ブレヒトの芝居小屋」 〒177-0051 東京都練馬区関町北4丁目35−17 電話:03-3920-5232
翻訳・大塚直 演出・公家義徳
■東京演劇アンサンブル
http://www.tee.co.jp/
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