最近僕は外国人の友人が多くなって、コミュニケーションも英語で結構やっています。上達した英語ではまったくありません。粗雑そのものです。それにしょっちゅう文法の誤りも犯しています。ですからもっと語数を豊かにして上達したいという思いは今も強くあります。そんな英語もままならない僕が同時にフランス語をやっているのは日本人はニュースソースを非英語圏からも1つ持っていた方がいいと考えているからです。
イラク戦争の時、アメリカとイギリスという英語圏の二国が戦争にのめり込みましたが、この時、戦争賛美の記事が多くなって英語圏の情報が信用できないという経験をしました。それまで英語圏の情報は常にお手本であり、常に正しいと信じていたのに裏切られた気がしました。時の日本政府はイラクに大量破壊兵器があるのかどうかもわからないまま、イラク戦争に賛同してしまいました。イラクに大量破壊兵器は存在せず、誤った情報に基づいて始まった戦争で数十万人のイラク人が殺されてしまいました。この時、どんな国もどんなメディアも誤りうる、しかも繰り返し誤りうると考えるに至りました。
そこで「文化の三角測量」という着想のある文化人類学と同様、「ニュースの三角測量」ということが僕の目標となりました。1つの出来事を最低3つの違った位置から見つめることです。この場合の「位置」とは国レベルの大きなくくりを指しています。つまり、ある出来事を最低でも3つの国の新聞やニュースソースから複眼的に読み解こうというものです。そのためには語学力も必要になってきます。
英語は義務教育でやっているから当然として、もう一か国語、ロシア語でも、中国語でも、韓国語でも、タイ語でも、フランス語でも、スペイン語でも、アラビア語でも・・・何か1つやっておくとニュースを3つの文化圏から読むことができ、それが対象となっている事象をよりシャープに、より立体的に照らし出してくれるのです。この方法が優れているのは自身の立ち位置を客観的に照らし出してくれる、ということです。ニュースに熱くなって理性を失ってのめり込む自分を抑え、クールな視点を持ちうるのです。そしてニュースの説明の仕方は1つしかないと考えるのが妄想であることも認識できるでしょう。
たとえばインドという言葉を日本で考えると、インドへ行く前に中国など東アジアを経由して西方にインドが立ち現れる空間認識がありますが、フランスでインドというと中東を越え、パキスタンを越えて東方にインドが立ち現れてきます。同じ言葉でもそこに付随するイメージが随分違います。空間認識だけでなく、インドの歴史や文化に対する認識も大きく違っています。その地域にどう過去に進出し、住民と接してきたか、それぞれの国の歴史が大きく関わっています。ですから同じ出来事でも所変われば受け取り方が随分違います。事件や出来事に対する認識の違いが地域や文化圏によって大きくあります。
日本は戦後、一貫してニュースの価値判断はアメリカに依存してきました。しかし、グローバル化して様々な勢力が台頭している今日、1か国の新聞より2か国の新聞を通じて見た方が世界の声を認識しやすいですし、3か国になるとよりよいのです。そうすることで我々には見えなかった各地の人々の願いや思いが見えてきます。また我々が常識としているグローバル資本主義とは違った地域の視点も持ちえます。沖縄の新聞なども、もはや日本の新聞であると同時に、ニュースの三角測量の対象となりうると思っています。英語、日本語、そして日本語であるけれども沖縄の新聞という三角測量もありうるでしょう。というのは東京発の新聞が無視している貴重な情報が詰まっているからです。
かつては第二外国語も必修でしたが、最近は大学であまり第二外国語に力を入れてやっていないというような話もあり、残念です。日本の国益がどうのと大言壮語している政治家が外国語の勉強を軽視しているのには驚かざるを得ません。日本が今後どのような道を進むにせよ、第三の視点を持っておくと必ず役に立つと思っています。
■三角測量
「三角測量(さんかくそくりょう)は、ある基線の両端にある既知の点から測定したい点への角度をそれぞれ測定することによって、その点の位置を決定する三角法および幾何学を用いた測量方法である。その点までの距離を直接測る三辺測量と対比される。既知の1辺と2か所の角度から、三角形の3番目の頂点として測定点を決定することができる。」(ウィキペディア)
■「文化の三角測量」
http://www.mfj.gr.jp/agenda/2013/05/16/debat_francois_laplantine_et_k/index_ja.php 5月16日、日仏会館で「文化の三角測量、レヴィストロース、日本」と題したシンポジウムが行われます。
「「文化の三角測量triangulation des cultures」は、日本の民俗学的研究から出発し、フランスで人類学とアフリカ研究を学び、フランス諸地方の伝統的職人と、西アフリカとくにブルキナファソの旧モシ王国について、長年現地研究をした川田(順造)が唱えて来た文化研究の方法である。対比的な二文化の比較に、全く異なる第三の文化を加えることにより、研究者自身の視点を是正し、それぞれの文化の隠れた性質を立体的に浮き彫りにすることを目指す。」(出典:日仏会館)
この方法が優れているのはなんといっても観測者自身の偏見や視点をチェックできる方法である、ということです。
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