政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が4月28日、東京都内で開かれ、安倍首相は「未来へ向かって希望と決意を新たに」と述べた。一方、沖縄では政府式典に抗議する「屈辱の日」大会が開かれた。いうまでもなく沖縄では広大な米軍事基地が今なお沖縄県民の自由と権利を奪い、日常生活に苦難を強いているからである。 この苦難からの脱出口はどこにあるのか。座談会<15歳と語る沖縄>が問いかけている「基地をなくすにはどうしたらいいのか」に正面から答えることである。それは、日米安保の呪縛から自らを解放すること、いいかえれば日米安保体制に終止符を打つこと以外に妙策はない。
朝日新聞(2013年4月19日付)オピニオン欄掲載の座談会<15歳と語る沖縄ー「しょうがない」っていう大人にはならない>を読んで、米軍基地問題を改めて考える。この座談会はライター・知念ウシさん(那覇市生まれ、本土と沖縄の関係を問う運動をしている)、哲学者・高橋哲哉さん(福島県生まれ、震災後の著書「犠牲のシステムー福島・沖縄」で国策のために一部が犠牲になる現状を批判)と中学生たちとの意見交換である。中学生は奈良県山添村立中学校の3年生たちで、修学旅行で沖縄を訪ねて、沖縄戦や米軍基地問題に大きな関心を抱いている。
(一)座談会でのやりとり
その内容(要旨)は以下の通り。 *自分の問題として考える <高橋哲哉>:みなさんの村が沖縄と同じ状況になったら、と想像してほしい。近くに巨大な米軍基地があるとか、米兵がたくさん周りにいるという状況です。みなさん、どう感じますか。遠い沖縄の問題ではなく、自分の問題として考えてみてください。 みなさんは沖縄に関心がないわけじゃない。多くの日本人も、実は関心がある。でも、関心がある沖縄と、関心がない沖縄がある。これはどういうことなんだろうか。無関心って何だと思いますか。 <中学3年A>:いまの日本は、考えてはいるけれど自分から言い出したり動いたりするのはいや、という人が多いと思う。沖縄の基地問題だって「あかんと思うけど、よくわかんないからええわ」みたいな。 <中学3年B>:好きなことにはすごく関心があるけど、難しいことは理解できない、だから無関心になっていくんじゃないでしょうか。 <中学3年C>:大半の人と違う意見を言ったら、浮いた存在になってしまう。日本人は、みんなと一緒がいい、そういう意識が強いという印象があります。基地は元からあるからしょうがないとか、国が決めたことだからしょうがないとかいうのは、やっぱりある。でも私はそういう大人にならないようにしようって思いました。
*自分自身に気づくこと <知念ウシ>:そんな大人になりたくないというの、すごくうれしい。気になるのは、みなさんから「難しい」「わからない」という言葉が出ること。全部知って、初めて意見が言えるとか行動できるということではないと思う。「これっておかしい」だけでいい。 おかしい、ショックだ、悲しい、逃げたくなった。まずそういう自分自身に気づく。そこから考える。伝える。 <中学3年B>:知念さんに質問があります。どうして米軍基地反対運動をするようになったのですか。 <知念ウシ>:どうして? みなさん、もし沖縄に生まれたらどう育ったか、想像してみてください。私は、基地は生まれた時からあって、当たり前に思っていた。反対運動をするようになったのは自分が子どもを持ってからです。 私たちの先祖も苦労させられたのに、次の世代、後輩たちにまでこんな苦労、難儀が当たり前のように引き継がれるのはおかしいと思った。 <中学3年D>:沖縄は独立するのが一番いいと思いますか。 <知念ウシ>:一番いいとは思っていません。私が目指しているのは、安全に暮らせて、こんな世の中を作りたいと思ったら、沖縄のみんなで議論して決めて実現できる、誰も抑圧しない、抑圧されない社会です。その手段として独立ははあるかもしれない。でも沖縄が独立して幸せになるには日本も変わらないと。
*「日本人としての責任」とは <中学3年E>:高橋さんに質問です。(ある対談記事の中で)「本土に基地を持って帰ることが日本人としての責任」と語っています。何に対しての責任ですか。 <高橋哲哉>:沖縄に米軍基地があれだけ集中して、しかも何十年と続いているのは、基本的には日本人がやってきた結果です。沖縄で戦争したことも、米国が施政権を持ったことも。日本に主権が戻った後も沖縄の基地負担率は上がった。つまり日本人が選択して、沖縄の人たちに押し付けてきた。だから日本人として、責任をとらなければいけない。そういう意味です。 <中学3年B>:問題は沖縄の米軍基地じゃないですか。移設しても、移した先の人たちはまた同じ問題を抱えるから、根本的な解決にはならない。基地をなくすにはどうしたらいいのか、どうすれば問題を解決できますか。 <知念ウシ>:解決したい、そのためにはどうしたらいいのか知りたい、という気持ちはすごくうれしい。何か特別のことではなく、日常生活の中で、おかしいと思ったことは家族や友人や周りに話す。それをみなさんが今いるところで続けていってほしい。考えながら動き、動きながら考える。そういう大人になってほしい。
(二)<安原の感想> 「諸悪の根源」としての日米安保
「沖縄の米軍基地をなくすにはどうしたらいいのか、どうすれば問題を解決できますか」。中学3年Bのこの質問は適切である。これに対し知念さんはつぎのように答えている。 「沖縄が独立して幸せになるには日本も変わらないと」、「おかしいと思ったことは家族や友人に話す。(中略)考えながら動き、動きながら考える。そういう大人になってほしい」と。 この回答ではどうもすっきりしない。答えになっていない。具体的にどう変わればいいのかが分からない。不思議なのは、なぜ「諸悪の根源」として日米安保があることに触れようとしないのか、である。日米安保から目を反(そ)らすことは、真実に耳を塞(ふさ)ぐことを意味する。
ここで日米安保体制(=旧安保条約を改定した現行日米安保条約の正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」、1960年6月23日発効)の概要を紹介したい。
(1)日米安保体制は軍事同盟と経済同盟の2本立て *日米の軍事同盟 軍事同盟は安保条約3条「自衛力の維持発展」、5条「共同防衛」、6条「基地の許与」などから規定されている。1996年の日米首脳会談で合意した「日米安保共同宣言―21世紀に向けての同盟」で「地球規模の日米協力」をうたった。「安保の再定義」といわれるもので、解釈改憲と同様に条文は何一つ変更しないで、日米安保の対象区域が従来の「極東」から新たに「世界」に広がった。 この点を認識しなければ、最近、なぜ日本の自衛隊が世界各地へ自由に出動しているのか、その背景が理解できない。 *日米の経済同盟 経済同盟は安保条約2条「経済的協力の促進」で規定されている。2条では「自由な諸制度を強化する」「両国の国際経済政策における食い違いを除く」「経済的協力を促進する」などを規定しており、新自由主義(市場原理主義)を実行する裏付けとなっている。 1980年代から日米で始まり、特に21世紀に入り、顕著になった失業、格差、貧困、人権無視をもたらす新自由主義路線から転換し、内需主導型経済の再生に取り組まない限り、日米両国経済の正常化はあり得ない。
(2)「対等の日米新時代」へ向けて *日米安保の終了は可能 今注目すべきは、日米安保条約は、国民多数の意思で一方的に終了させることができることである。10条(条約の終了)に「この条約が10年間効力を存続させた後は、いずれの締約国も終了させる意思を相手国に通告でき、その後1年で終了する」と定めているからである。この条項を活用して日米安保を終了させて、新たに日米平和友好条約への転換を促すときである。 安倍首相にみる異常な対米従属振りから脱するためには、日米安保の呪縛から自らを自由に解放することが必要条件である。これは反米を意味しない。むしろ「対等の日米新時代」構築への大きな歴史的一歩を意味するだろう。
*「安原和雄の仏教経済塾」からの転載。
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