先週フランスのオランド大統領と安倍首相が日仏共同声明で「原発の重要性」を認め、原子力発電の共同開発をうたった。日本の多くの人は驚いただろう。福島第一原発事故の処理すら未だ終息していないからだ。
フランスは現在、電力の約75%を原子力発電に依存する欧州一の原子力大国である。2011年3月11日、東日本大震災により福島第一原発事故が発生した。施設の建屋が爆発する映像は世界に衝撃を与え、ドイツは早々と原子力発電からの撤退を決めた。フランスでも反原発のデモが発生し、当時のアンケート調査では国民の過半数が原子力発電からの撤退を希望した。ところが、同年秋に行われたフランス社会党の大統領候補者選びでは原子力発電からの完全撤退を掲げたオブリ候補が敗れ、財界の意をくんで縮小にとどめるオランド大統領が勝利した。
以下は欧州で反原子力発電を掲げる団体Sortir du nucleaireが見た二人の候補者像である。
■オブリ候補について
フランス社会党で初めて、原子力発電撤廃の立場を表明した大統領候補者。移行のための猶予期間は20年から30年(10月7日のナンシーにおける声明では30年から35年)と言っているが曖昧である。また、現在、マンシュ(Manche)県のフラマンビル(Flamanville)に建設中の第三世代原子力発電所EPRについては建設継続を表明している。 Sortir du nucleaireはオブリ候補に撤廃までの期限をより具体化することを求める。
■オランド候補について
オランド候補は2025年までに現在の原子力発電への依存率を現在の75%から50%に低下させるとしている。一見、その後、撤廃に向けて進めるような印象も与えているが、実際どうなのか曖昧で正体が見えない。2025年の50%という数字も高い依存率である。また、オランド議員はフラマンビルの新世代原子力発電所EPRについて建設継続の立場だ。これは原子力発電所の新設に道を拓くものである。 Sortir du nucleaireはオランド候補に、原子力発電所新設の立場か、脱原発の立場か、曖昧さを捨ててはっきりした立場を表明することを求める。 sortir du nucleaireは脱原発は技術的に可能という見通しを持っており、フランスの政治家の決断次第で今後5年で撤廃、10年で撤廃、20年で撤廃などの道筋があるとしている。
これを見ればオランド大統領は2025年までに原発依存率を現在の75%から50%に低下させることを公約しているだけで、原子力発電から撤退する意向は表明していない。
そして、今回の日仏共同声明でわかったのは財政難のフランスにとって高級ブランド商品とは別に、武器輸出(日仏の武器共同開発も声明に盛り込まれた)と原子力産業が外貨獲得の柱であるということである。武器と原子力という組み合わせから思い浮かぶのは核兵器だが、フランスは核弾頭を300持つ核兵器大国である。このフランスと武器と原子力で協力体制を敷くと言っているのだから、それを日本の周辺国はどう受け止めるだろうか。
フランスのそのような兵器産業よりの国家政策は与野党間で大差がない。サルコジ大統領の時代に行ったリビア軍事介入では多量の武器を北アフリカに送り込み、サハラ地域を軍事的・政治的に不安定にした。その結果、高性能の武器をリビアから入手したイスラム原理主義勢力がマリ北部を制圧した。それに対し、社会党のオランド大統領が今年1月、マリに軍事介入しイスラム原理主義勢力を空爆し、マリ北部の都市から駆逐した。すると今度はアルジェリアの天然ガス関連施設でテロ行為が発生した。またマリ軍事介入に対する報復としてマリの隣国ニジェールではアレバ社のウラン鉱山施設が襲われた。さらなるテロの予告も行われている。
それだけではなかった。イスラム原理主義勢力によるフランスに対するテロ活動が今後はアフリカからフランス本土へ転移しようとしており、現在、フランス治安当局はその対策に追われている。これまでならいわゆる「マグレブ地方」と呼ばれる北アフリカのイスラム圏出身者だけに網をかけていればよかったが、今ではナイジェリアやマリなどアフリカ中西部の出身者も監視対象に入ってきており、その結果、監視対象となる移民はこれまでの比較にならない数に上ってきている。彼らを監視しようとすれば人権国家の看板も下ろさなくてはならなくなる可能性もある。
中でもフランス政府にとって最もナーバスなものがフランスに58ある原子力発電所であろう。大都市から10数キロ〜50キロ圏にこれらの原子力発電所や廃棄物貯蔵庫があるからだ。たとえばもし、西部のLe Blayais原発で事故が起きればボルドーワインの輸出がストップすることになりかねない。政治家のコリーヌ・ルパージュ氏(所属:CAP21)によれば過去に比較的軽易な原子力発電所事故が起きただけで、巻き起こった風評被害からあるワインの銘柄を変更する事態にまでなったことがあったという。 2001年の9・11同時多発テロは金融資本主義の象徴だったNYのワールドトレードセンタービルが狙われた。フランスが狙われるとしたら、やはりフランスの象徴である可能性があるのではないか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80 フランスが国策としている兵器産業と原子力事業がフランスのリスクを高めているのである。欧州では近年政治家の質が劣化していると言われており、物事を長期的に俯瞰することができなくなっている。オランド大統領にもかつての大政治家のイメージを投影するのは控えた方がいいだろう。
■「ボルドー、ロワール、ローヌ……。フランスの原発はなぜかワインの産地に多い。原発には水が不可欠だから大河の流域に立地し、そこにはもともとブドウ畑もある、ということだろう。」(朝日新聞GLOBEより)
http://globe.asahi.com/feature/110417/01_3.html ■フランスで年830件以上の原発事故・故障ー仏原子力安全規制庁/フィガロ紙(4月16日)
http://franceneko.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/83010416-03f2.html フランスの政治団体「CAP21」(21世紀市民行動Citoyennete Action Participation pour le XXIe siecle)に所属するコリーヌ・ルパージュ(Corinne Lepage, 1951−)氏は過去にフランスの環境大臣をつとめたこともある女性政治家だが、その著書「原発大国の真実」の中で、フランスの原子力産業は事故があった場合に住民に補償する資金はないだろう、とリスク管理体制の欠如を指摘している。さらに、原子力産業であるアレバ社やフランス電力がテレビやラジオの大スポンサーになっており、ゴールデンタイムには原子力発電の実像を描く番組は放送できないと書いている。そして日本と同様に、原子力産業側に立つ解説者が原子力発電の安全性をPRしているという。
■ニジェールのウラン鉱山では健康被害が・・ 「現代の遊牧民〜「モダン・ノマドの日記 5」 アンドレイ・モロビッチ
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201203192354201 ハムは愛想がよく、社交的で頭のよい男である。ウィットに富むと同時に幸運にも恵まれている。ハムはアルリットのウラン鉱山で25年も働いた。最初は下級労働者であり、その後、かなりの期間を巨大なウラン掘削機の操縦者として過ごした。最後にはその勤勉ぶりが評価された結果、職場の安全性を管理するポストに就くことができた。
このポストについたおかげでハムは特権的な立場から単眼鏡で世界を垣間見ることができるようになった。ニジェール北部には他に1つとして病院がないが、この小さな町、アルリット(Arlit)に病院が3つ以上あることに気づいたのはしばらく時間がたってからだった。さらに奇妙なことは妊婦たちが巨大なお腹になるにもかかわらず、生まれてくる子供たちがまるでネズミのように小さいことだ。労働の終着駅には悲嘆と静かな涙があるのみ。男の労働者の多くが喫煙者でもないのに肺を患っている。
他の鉱山では労働者を守るための様々な防護用具が使用されている。ところがアルリットではそうしたものはない。パイプ、はかり、厚板、台車など、ウラン鉱山で使った古い道具を他の鉱山でも使いまわしている。だから義務になっている作業後のシャワーもさして防護効果がない。アルリット周辺の遊牧民たちがシャワーを浴びても、飼っている家畜たちが放射性物質が付着した草を食んでいるため、さしたる防護効果がないのと同様である。
ハムも内部被ばくしていた。鉱夫、その家族、さらにはアルリット周辺の人々、そしてアルリットのウラン鉱から2000キロ続く道路に沿って暮らす住人たちはみな常時被曝している。その2000キロの道路はウラン鉱を積んだトラックが24時間ひっきりなしに走り、コトノウ(Cotonou)港まで続いているのだ。
もちろん、ハムは仕事を辞めることもできたろう。しかし、ニジェールにおいては払いのいい仕事を辞めることはできない。というのもそれが唯一のものだからだ。さらにハムがやめられない理由は彼の生まれ故郷アウデラス(Auderas)の牧歌的なオアシスに観光客向けのビオガーデンを作ろうとしており、それには金が必要だからだ。ハムは自然と文化が保存された地域を守るためにNGOを設立し、懸命に闘ってきた。アルリットの放射能汚染調査を実施してもらおうと、世界中で放射能汚染を測定しているフランスのNGOを招聘しようとしたが、実際に彼らがニジェールに来るまでに1年の歳月を費やすことになった上に、NGOの携えてきた計測機器はニアメイ空港で没収される始末だった。
それにも関わらず、携帯用ガイガーカウンターと肉眼による観察によって、周囲の放射性物質による汚染状況はハムが予想した以上に悪いことがわかった。アルリットに病院がある真の理由はウラン製造に伴う被ばくをカモフラージュするためだったのだ。
だからこそ、放射能について話すことが重要なのだ。健康被害を受けている人々の大半が内部被ばくの怖さについて認識がない場合はなおさらのことだ。専門家によって制度化されはしたが、何も変わってはいない。ただ1つ変わったのはハムの姿が不思議なことに作業場から消えた事だった。ハムの名前は蒸発したのだが、ハムは今も報酬を得ている。それが今のハムをめぐる事態である。雇用されており、労働していない。ハムは今、どうすればもっと地を這う活動をしているNGOを引き付けることができるか考えているところだ。ハムはビオガーデンとキャンプ場を完成させ、ニジェールに帰ることを考えている。まずは家族からだ。」
■アルリット(arlit)
http://en.wikipedia.org/wiki/Arlit
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