昨日7月20日(土)の新聞でアメリカ・ミシガン州デトロイト市の破産が報じられた。負債総額は180ドル(約1兆8千億ドル)を超えるとされ、アメリカの地方自治体の破産としては過去最大のケースだと朝日新聞で報じられた。
朝日新聞の見出しを見ると「自動車の街 無一文」「みんな出て行った」「工場は移転」「殺人年400件」「荒廃」とこれでもか、と言わんばかりである。確かに、デトロイトの経済は苦しい。しかし、昨年デトロイトに2回取材に行って僕が現地で見て、感じたことと何かずれている。
デトロイトは石油の世紀と呼ばれる20世紀に入り、自動車産業の街として飛躍的に発展した。特にフォード自動車工場のラインが人種の壁を撤廃したことから、黒人労働者に門戸が開かれ、南部の黒人が続々と北上し町に流入した。自動車会社はもとよりその裾野の部品関連会社も含めて多くの雇用を生み出した。だからデトロイトは黒人の割合が高い。そのデトロイトの荒廃が激しくなるのは工場が海外流出していった1980年代以後だ。
ドキュメンタリー映画「華氏911度」でカンヌ映画祭のパルムドールを受賞したマイケル・ムーア監督の初期の作品に「ロジャー&ミー」(1989年)という映画がある。これはアメリカの大手自動車会社GMの城下町だったミシガン州フリント市がGMのメキシコへの工場移転を転機に空洞化していく姿を3年間追いかけた映画だった。フリントもデトロイトと同じく自動車産業の街だった。映画で描かれているのは1980年代の後半、空洞化が進展していた時代である。工場が移転すれば当然ながら労働者も町から出ていったり、浮浪者になったりする。3年の間に町がどんどん寂れていく様がカメラで見事にとらえられていた。マイケル・ムーア監督はGMの株主総会にカメラを入れるが、カメラマンが屈強な警備員たちによって椅子ごと会場から運び出される。 映画のタイトルの「ロジャー」は当時のGM会長ロジャー・スミス氏である。一方の「ミー」とはマイケル・ムーア監督自身であり、工場のメキシコ移転の是非を直接聞きたいと、アポなしでどこまでもGM会長を追いかけていく映画だった。そして株主総会で会長の姿を目にするのである。マイケル・ムーア監督の家族も祖父の代からGM工場で働く労働者の一家だったのだ。
デトロイトの3大自動車メーカーは何度も小刻みな改革を繰り返していたが、グローバル化の波の中でますます縮小の道をたどる。その後、2008年のリーマンショックが引き金となって翌年には3大自動車メーカーの2社(GMとクライスラー)が破綻、フォードも倒産の危機と噂された。
それを救ったのがオバマ大統領だった。オバマ大統領は製造業こそ中流層復活の鍵だと考え、自動車メーカーに税金を投入して再生を図った。その時点で工場はいくつも閉鎖され、リストラも行われた。だから、「工場は移転」「自動車の街無一文」「みんな出て行った」という見出しが2009年の時なら理解できる。しかし、デトロイト市民は苦しい時代ながらも、工場の復活にかけ町の再生に取り組んできた。朝日新聞の記事ではデトロイトの崩壊ぶりを象徴すべく、リーマンショックの後で景気が最悪になった2010年6月のデトロイトの失業率=23.4%を紹介しているが、米労働省の統計によると、自動車メーカーの再起と共にデトロイトとその周辺地域(Detroit-Warren-Livonia)の失業率は今年5月の時点で9.0%まで改善されている。http://research.stlouisfed.org/fred2/series/DETR826URN 以下は日経BP関連のTech-Onの記事から。2012年1月、恒例のデトロイトの自動車ショーに関する記事である。
「米国における2011年の新車販売台数が2010年の約1150万台から約1270万台に若干回復する中で、GM社は2010年比で約13%増、Ford社は約11%増、Chrysler社は約26%増と3社共に2ケタ台の回復をみせています」
2012年1月のデトロイトのモーターショーではアメリカの3大自動車メーカーが復活しつつあると報じられた。つまりリーマンショックで落ち込んだ全米の自動車の販売が下げ止まっただけでなく、上昇に転じたのである。特に3大メーカーの3位だったクライスラーの復活ぶりが顕著だった。クライスラーがGMやFORDと違っていたのは経済危機にある欧州市場にコミットせず、ゆるやかながら回復基調に転じたアメリカ市場を軸にしていたことだ。
だからこれだけをとっても、朝日新聞の記事は一方的な書きぶりに僕には感じられた。確かにデトロイトは昔の繁栄した時代のデトロイトではない。市民の多くも出て行った。出ていくべきか、町に残るべきか迷ったという自動車工場の黒人労働者にも話を聞いた。会社が破綻して解雇された後、彼は南部に移住して、沿岸警備隊に転職しようと一時は考えたそうだ。しかし、自動車メーカーを再生させるという米政府の方針が実を結び、幸いにも自動車会社で再雇用されることになった。もし彼が移住していたら、彼の妻子と両親を含めて少なくとも8人が町から流出していただろう。でも彼は残った。そしてそれを感謝していた。リーマンショックで家を処分していたが、新たな家を手に入れてもいた。アメリカの労働者たちと話をすると、一家の生活ももちろんだが「コミュニティを再生したい」という声をよく耳にした。朝日新聞の記事にはこうした町の人々の思いは何一つ書かれていない。
リーマンショックと倒産の危機をきっかけに各メーカーでは無駄を省き、「カイゼン」に力を入れ、何とか町をこれ以上荒廃させるまいとして、努力してきた。工場の閉鎖を1つでも食い止めるために、全米自動車労組は「ベネフィット」と呼ばれる、かつて手厚かった諸手当もカットすることを受け入れた。さらに新人工員の給料を基準より低くする、二段階の給与体系も受け入れた。削れるものは何でも削った。それで何とか経営者たちに工場の移転をやめ、工場をアメリカに戻す方針に転じることに成功した。実際、過去30年で初めて大規模な自動車の部品工場も生まれていた。クライスラーでも新規の工場を増設していた。町に残って再生したい、という思いを持った市民は少なくない。人口が減少したのは事実だが「みんな出て行った」わけではない。
朝日新聞に限らないと思うのだが、何か出来事があると一方的にがーっとその時の瞬間風速で物事を伝えるのはよくないと思う。アラブの春の場合はリビアのカダフィ大佐が処刑された時の紙面だ。あの時、朝日新聞はエジプトのムバラク大統領やチュニジアのベン・アリ大統領ほか、アラブの春で倒された指導者の雁首写真を並べて<古い独裁者たちよ、皆サラバ>とでも言うような紙面だった。アラブの春を無条件に中東・アフリカ地域の「進歩」と見ていたのだと思う。独裁者たちがどんなに悪人だったかを市民の声で暴いていた。確かに、独裁者たちには非難されてしかるべき理由はあっただろう。しかし、物事はそんなに単純ではない。その後に起きた事態を見ればわかる。今のエジプトの混迷も、リビアの混迷も、イスラム原理主義やテロリズムの拡大も皆そうである。
■デトロイト市破綻の記事に寄せて 2
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201307241146013 前回、朝日新聞が書いたデトロイト市の財政破綻に関する記事を読んで自分が去年取材した印象と違っていることを述べた。その記事は多くの方に読んでいただいたようだが、1つだけ今更ながらだが補っておく情報があったのでここに記したい。
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