イスラム世界を揺さぶった「アラブの春」の仕掛けの1つにデジタルビデオカメラを使った映像がある。先日、朝日新聞でアルジャジーラテレビの元編集長ワダ・カンファル(Wadah Khanfar)氏が「アラブの春」の報道について語っていた。アルジャジーラはビデオカメラを市民に配布してトレーニングし、市民が撮影した映像をニュース番組に盛り込んでいたという。そのための準備は数年前から行われてきた。カタールの放送局、アルジャジーラテレビは最も初期から「アラブの春」を報じ、ある意味煽ってきたメディアでもある。
同じことはミャンマーの場合にもあてはまる。軍事政権を告発したドキュメンタリー「ビルマVJ」(2008)の監督はデンマーク人で、編集と仕上げも北欧のデンマークで行われた。ミャンマーとデンマーク。どんな関係があるのか?「難民映画祭」で来日した企画・脚本のヤン・クログスガード氏はミャンマーの市民数十人にビデオカメラを渡して撮影協力してもらう体制を作ったと語った。クログスガード氏はデンマーク人の自分がミャンマーの独裁を告発する映画を作る理由はこどもの頃、ドイツでナチに迫害されて北欧に移民したユダヤ人の父親の悲しい姿を見ていたからだ、と打ち明けた。だからミャンマーを旅した時、ミャンマー人の悲しみが重なって見えたのだと言った。
「ビルマVJ」では現地で撮影された映像を海外に持ち出し、デンマークに送ってそこで編集していた。市民記者の中心に位置する取材リーダーはミャンマーに近い国に退避しながら、ヤンゴンで起きている民主化デモと軍が対立している様子の取材を何人かの市民記者それぞれに携帯電話で指示していることになっている。しかし、このミャンマー人の取材リーダーは後からドラマ的に撮影された架空の人物で、真実のリーダーはデンマーク人の制作者なのだ。それは数十人の市民記者が撮影して送ってきた無数のビデオクリップを1つにまとめるための策であり、だからドキュメンタリーでありながら「脚本」というクレジットがある。その脚本を書いたのが来日したクログスガード氏である。
民生用のデジタル機器の普及は番組や映画作りを変えつつある。「ビルマVJ」を見て、その制作にまつわる話をクログスガード氏から直接聞いて、映像の制作に新たな波が来ていることを感じた。
実は日本にも「アラブの春」が起こる少し前に、それを想起させることがあった。ある放送局がホスト役になったのだが、欧米の放送局のプロデューサーが中心になって「デモクラシー(民主主義)」をテーマにしたドキュメンタリー映画を世界で10本ばかり製作をするから、企画の応募をしたい人は参加するように、という話が寄せられたのだ。世界で同時に呼びかけ、何本かセレクトして映画化するという。企画のコンペは欧州、北京、アメリカ、そして東京でも行われた。
筆者も東京で行われたコンペに参加したのだが、それまで人権問題や言論問題など各論ばかり報道してきたディレクターたちも「民主主義」というベタなテーマを与えられて大いに戸惑っていた。ムーブメントの中心メンバーとしてコンペの審査に来日したのは英国BBC、デンマークテレビ、そして南アフリカのインディペンデントのプロデューサーの3人だった。彼らが公開の場で企画のプレゼンにやってきた数十人のディレクターの企画を審査するのである。プレゼンは審査員だけでなく、競合する企画者たちも含めた全員の前で行わなくてはならなかった。
筆者が考えた「民主主義」のドキュメンタリー映画の企画はその頃参画していたある放送局のニュースルームに1か月間、密着するドキュメンタリーだった。ニュースがどんなメンバーで、どのように作りあげられていくのか、それを記録したらどうか、と考えたのだ。しかし、放送局が協力してくれない可能性があるとして、この案は見送ることになった。代わりにその頃増えてきたイスラム世界の自殺の問題をテーマにして企画案を書くことにした。イスラム世界では自殺はタブーなのだが、最近社会組織が崩れてくるに従い、自殺が増えているのである。自殺の問題は日本でも問題だったが、これを民主主義の問題としてどう提示するかが難しいところだった。さて、先述の通り、日本のディレクターたちは今までにない試みで当惑していた。だが、もっと驚いたのは、見本に見せられた英国人プロデューサーが携えてきたBBCのドキュメンタリー番組だった。
見たのは冒頭の3分ほどだったが、イラクのとある建物の地下で酔っぱらったような西洋人の男がだらだらピアノを弾いているのである。次に何が起こるのか、と思っても何も始まらない。そこに何の意味があるのか、会場の誰一人理解できなかっただろう。会場に集まっているのは番組枠こそ違え、それぞれ一線で番組を作っているディレクターである。ある若手は「こんな冗漫な立ち上がりじゃ日本では絶対放送できないですね」と言ったが、おそらくみんな同感だったに違いない。もっと先まで見るともしかすると天才的な番組だったのかもしれない。だが、そもそも英国はアメリカと並んでイラク戦争の戦犯国である。民主主義とイラク、どんな関係があるのか、はっきり見せてほしかったものだ。
BBCのプロデューサーが冷笑的な性格の男だったこともあるだろうが、全体に欧米人が日本人・中国人・韓国人の出す企画を審査する構図だったから〜彼らは単に直裁にモノを言っているだけかもしれないのだが〜僕等からすると欧米人がアジア人に教えを垂れている印象は拒めなかった。「あなたたち欧米の人は神の高さから、僕らを見下ろしているんじゃないですか」と述べたのは韓国人の映像作家だった。だが、今一度謙虚にこのことを顧みればプレゼンに臨んだ我々には「民主主義」をテーマに切り込む企画力がまだまだ不足していた、ということだろう。普段から番組作りで民主主義とは何かについて、せめぎ合ってこなかった証である。
後日談だが、最終的に映画に決定したのは我々がプレゼンしたこの時はコンペに参加していなかった「選挙」(2007)というタイトルのドキュメンタリーだったと知人から教わった。この国際的な企画コンペはいささか上から目線を感じたのが残念ではあったが、いい刺激になった。今までと違ったテーマ設定のモノづくりを考える機会を得られたことと、海外のプロデューサーと直接に触れ合う機会が得られたことである。日本にいながらにしてネットで読める新聞などの活字媒体と違ってテレビの場合はまだ外国の番組に日本から直接アクセスするのは容易ではない。だからこそ、海外の制作者との交流によって番組作りの刺激を受けることができるだろうし、場合によっては海外に販売することも可能となるだろう。その真の狙いやその影響の是非については見えない部分もあるが、すでに海外のプロデューサーたちがコンテンツを作れる人間を世界中駆け回って探しており、映像の世界にもグローバル化の波が押し寄せているのである。
5〜6年前のこの頃からとみに世界で政治変革のムーブメントが起き、2009年、アメリカではオバマ政権が、日本では民主党政権が生まれた。さらに2010年の暮れから「アラブの春」が始まった。2011年にはミャンマーが欧米寄りに舵を切った。その原動力の1つに民生用デジタルビデオカメラがあったことに今更ながら偶然ではないものを感じている。
■アラブの春の設計者たち〜NYT寄稿 'When Arabs Tweet'(アラブがツイッターを始めるとき)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201306250303382 「クーリ氏はヒラリー・クリントン率いる米国務省が中東・北アフリカの「民主化」を狙って、ツイッターやフェースブックなどのソーシャルメディアを使った変革を起こす計画を推進していたと書いている。」
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