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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2013年09月03日11時57分掲載
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地域
【安房海より】関東大震災と房総半島 田中洋一
地元で起きた歴史的な事実、それも重大事を、余りにも知らなかったことに私は恥じた。関東大震災から90年の昨日、館山市内で開かれたNPO法人主催の勉強会に参加した際のことだ。関東大震災(1923年)で房総半島でも大きな被害が起きたことは知っていた。だが千葉県内の犠牲者の9割を館山市と周辺地域の安房郡(当時)で占めるとは、全く知らなかった。混乱した帝都で逃げ場を失って大勢が焼死した−−そんな印象が私の中で育っていた。だから千葉県内の被害者も、東京と接する地域に多かったのだろう。そう勝手に思い込んでいたのだ。
そうではなかった。館山湾岸から東に伸びる一帯の被害が著しく大きかった。北条町や館山町(共に現・館山市街地)の写真を見ると、住宅はぐしゃっと潰れ、役所や学校はぺちゃんこに倒壊している。両町の家屋の被害率は97%を超し、犠牲者は計338人を数える(安房震災誌)。132人が亡くなった北隣の船形町(現館山市)では「本町の災害は実に激甚にして、家屋の倒潰に加ふるに枢要なる区域の大部分は火災の為めに烏有(うゆう)に帰した」。
「大正大震災の回顧と其の復興 上巻」によれば、千葉県全体の犠牲者は1345人で、安房郡の犠牲者1218人は90%もの高率だ。過疎化の進む安房地方の人口比率は現在、全県の2.1%に過ぎない。90年前はずっと高かったろうが、それにしても犠牲者の集中ぶりを物語っている。
勉強会で学びながら、気にかかっていたことがある。この地で朝鮮人の虐殺は起きなかったのか。主催した安房文化遺産フォーラムの愛沢伸雄代表は「この地域では伝わっていない」と言う。本当なのか、なぜなのだろう。無かったことを証明するのは一般に難題だが、彼は安房震災誌のこんな記述をヒントにあげた。
地震翌々日の9月3日晩。「北条の彼方此方で警鐘が乱打された。聞けば船形から食料掠奪に来るといふ話である」。そこで安房郡長は「食料は何程でも郡役所で供給するから安心せよ」との意味の掲示をした。「果して掠奪さわぎはそれで沮止された」
館山港に汽船が着く度に、朝鮮人騒ぎの噂が伝わってきた。そこで、直後に入港した水雷艇の艇長に尋ねると、「東京の鮮人(朝鮮人の蔑称)騒ぎを一切否定した」と言うので、郡長は「北条、館山、那古、船形に十余箇所の掲示をして、人心の指導に努めた」
朝鮮人襲来に備えて夜警を始めた地がある。郡長と警察署長は連名で、「鮮人襲来など決してあるべき筈でない。……若し鮮人が郡内に居らば、定めし恐怖してゐるに相違ない。宜しく十分の保護を加へらるべきである」とも掲示をした。
震災3年後に安房郡役所が出した震災誌。当局の不都合は記さなかったにしても、こうした記述をどう受け止めたらよいのか。
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