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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2013年09月09日07時12分掲載
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文化
【核を詠う】(121)高木佳子歌集『青雨記』から3・11以後の作品を読む 「むざんやな をさな子の手にほのあかきヨウ化カリウム錠剤ひとつ」 山芳彦
福島県いわき市在住の歌人・高木佳子さんの歌集『青雨期』(2012年7月 いりの舎刊)から、2011年3・11以後の大震災・福島原発の壊滅事故に関って詠われた作品を読ませていただく。同歌集は高木さんの第二歌集で約300首が収載されているが、1〜鶩の章のうち鶩の49首が3・11以後の作品である。この歌集は第13回現代短歌新人賞を受賞している。
歌集の「あとがき」で、高木さんは次のように記している 「昨年の三月に起きた震災はあまりにも大きく、わたしの立つ位置を揺るがした。自分が今まで過ごしてきた懐かしい福島はすべて毀れ、淡い被曝をしながら生きることになった。雨は、青葉を潤すものとしての雨から、汚染される悪しき雨へと変わった。私たちに、雨を再び美しく思える日が来るだろうか。今はただ不安で不透明な時間が目の前にある。だが、私は必ず郷土を立ち上がらせたいと思う。タイトルはそのような思いを込めて『青雨期』とした。」
また、高木さんは被災直後の様子を、総合歌誌「歌壇」6月号に作品8首と合わせて「点灯夫」と題する文章を掲載しているが、生々しい被災地の状況を文字通りの当事者として報告している。 「私の住むいわき市は中心部が原発から約40キロメートルに位置している。原発の水素爆発の後、放射能を恐れた人々が自主避難を始めた結果、我が家の周りでは人影を見かけなくなった。子どもの声が一つも聞こえない住宅地というのは不気味きわまりないものである。間もなく、物流は停止し、私たちは飢えた。ラジオからは身元不明の遺体の特徴をいう声ばかりが聞こえた。身近に死が溢れた。配給に並び、水を汲み、さらに食料を求めて歩くと一日が終った。混乱の中で、慟哭や憤怒、怒号をあちこちで聞いた。人間がこんなにもむき出しになっていくことが恐ろしかった。」 そうした緊迫し危機的な状況、過酷な被災地にとどまって生活した高木さんは、歌人・表現者としての自分と向かい合い、意志を確かめたのだろう。次のように続ける。
「全てが壊れた。震災前の価値観・思考も廃墟となった。それは被災地の人ばかりではあるまい。だが、私たちは言葉まで廃墟にしてはいけないのだ。もし、言葉の廃墟が目の前にあるなら、一人の点灯夫として、私たちはその廃墟を灯しつづけなければなるまい。」
小学4年の息子を連れて、毎日何時間も配給の列に並んだ。原発の爆発を知ったときもそうだった。子どもの分を減らされ、おにぎりは消費期限切れ。「情けなかった。人間扱いされていない、私たちは見捨てられたんだ」
十数年詠い続けてきた歌人として、生きた証しを残したいと歌を作った。(朝日新聞デジタル「原発事故を詠む決意 被災女性歌人「生きた証しに」 2013年3月9日付け記事から)
高木さんはインターネットブログ・壜(個人歌誌『壜』も発行している。)を開設していて、さまざまなことを発信しているが、そのなかに「佐藤祐禎氏『青白き光』を読む」と題しての記述があり、そこで原発について次のように記している。
「原発のことは廃炉まで3〜40年かかるということですので、生き続けられる限り、その行く末を見届けたいと思います。次世代に汚れたものを残さないように。 原発反対、脱原発という人がいます。(わたしも含めてですが)それは、根源的にはいつからそう言っていますか。 わたしは、震災の後です。事故があったからです。それ以前はそんなことは考えても居ませんでした。 そして、なぜ原発は反対ですか。事故が起こると重大なものとなり、現状のように危ないからです。 では(ここからは仮定の話です)他の発電方法の発電所で避難しなければいけないような事故が起こったら、〇〇発電は反対というのでしょうか。 わたしが危惧しているのはここです。脱原発の呼び声は、今回の事故から起因していて、事故が収束に向かい、あまり騒がれなくなるとやがて消失するのではないかと危惧しています。 当地に住んでいる人々は、時間の経過も報道も関係なく、現在も同じように健康不安と、さらなる状況悪化の不安におびえながら暮らしています。
こうした、わたしも含めての「にわか原発」派と一線を画して、当初から、原発の危うさを短歌に託して詠ってきた人がいます。 佐藤祐禎『青白き光」(いりの舎、2011年) 佐藤さんは現在83歳、大熊町に在住していましたが、今回の事故で避難され、いまはいわき市に住まれています。 『青白き光』は20年以上も前から、福島第一原発での事故や病気で亡くなっていく原発の作業員、あるいは原発によって分断された地域社会の様子をリアルタイムで歌にしたものです。(佐藤さんの短歌5首を紹介 略)」(以下略)として、「(こちらは、平成16年に短歌新聞社より出版されたものを文庫版にあらためたものです。)ぜひ読んでいただけますよう、おすすめしたいと思います。」としている。(佐藤祐禎さんは2013年3月12日逝去 筆者) 高木さんは自身を「にわか反原発」派と称しているところに、反原発・脱原発についての高木さんの思いが示されているのだろう。流されない、表現者としての構えの現れでもあるのだろう。
高木さんはいわき市にとどまり、過酷な現実の中で子、家族と共に生活し、その体験や被災地の現状を自身の目で見つめ、受け止め、作歌し、さまざまな方法で発信し続けている。その中で、詠うということについての主張、姿勢についても歌壇の中に問題提起し論じてもいる。いくつかの評論を筆者も読ませていただいて、共感する事も、また納得し難い感想を持つこともあるが、いまは、『青雨期』の中の49首を、読み、記録させていただく。読むほどに、高木さんの短歌表現の突き詰め磨かれた深さを感じる。詠う対象、事柄に向かい合い、深く感受したことに添わせて表現され成立した作品を読むとき、読者としての充足感は、揺らぎの残るものでもある。
◇� 見よ◇
2011.03.11 東日本大震災 ▼見よ、それが欠伸をすればをののきて逃げまどふのみちひさき吾ら
誰と問ふ、地震(なゐ)とぞ答ふ。わが裡を揺さぶりやまぬものの名前は
海嘯ののちの汀は海の香のあたらしくして人のなきがら
さんぐわつのひかりはみちて誰かの母だつたかもしれないそのひと
特徴はただ義歯とのみ奪はれしその人の名をたれも知らない
砂浜の人に尋ぬるけふのことしばしその人海指せりけり
見た筈である、漆黒の鴉は海の方より戻り来たれば
がらんどうの海は冷えゐて此処に立つ吾らのほかに彩をもたない
2011.03.18 ▼どうやつて生きていぐンだ嗟のこゑの瓦礫よりして正午きたれり
見ひらける眼くぼみて腐りたる骸のありぬおそらくは猫
給水の口より水はほとばしり春のひかりをうけて耀ふ
爆発後はじめての朝 ▼繊すぎる雨の降りきてをさなごのやはき身体を汚しゆくなり
むざんやな をさなごの手にほのあかきヨウ化カリウム錠剤ひとつ
てのひらに天道虫のゐるやうにふかしぎに見きそのひとつぶを
2011.03.29 被曝スクリーニング ▼どれほどに汚れてゐるかにんげんは篩はれてゆく砂礫のたぐひ
鳥がかう羽ばたくやうに両の手をひろげよといふ、吾はひろげぬ
底ひなき沼の感じにねんごろに探らるるあはひ目を閉じてゐる
ゆるやかに針の振れしをその人はしづかに告げて吾を離れぬ
わたくしの右の手のひら撫でながら生きてくださいと言ふ女のゐる
その人の双手握れば雨の地にやはらかくある泥濘のやう
ほのくらき春の朝をくれなゐに梅ひらくなり灯るごとくに
避難する人を見送る ▼この街を出てゆくといふ、をさなごをかばんのやうに脇に抱へて
その人は明日逃ぐる人明日想ひ明日を信じて明日逃ぐる人
逃げないんですかどうして?下唇を噛む(ふりをする)炎昼のあり
ぢやあこれで決めようと言ひ手のひらの銀貨を投げても決められぬこと
すぎゆきにおうい雲よと呼びとめし雲も去ににき磐城平を
それでも母親かといふ言の葉のあをき繁茂を見つめて吾は
2011.10.12 ホール・ボディ・カウンターで測定 ▼灰色の堅き椅子なりいにしへの王妃座りしごときその椅子
高いなと言ひたる男の右足の踵踏まれしままのコンバース
何が高いのかと問へば内部のですよと答へぬ鱶のごとくに
吾子もまた同じ椅子へと座ること怖がりて座らず吾は叱るも
スペクトル・データの末踏の山巓に雪はなくただ高く聳えぬ
熱傷も瘢痕もなきまつしろな曝されがあり垂るる白蓼
測らずとも分かつてゐたらう、雨降るごとくことばは傾ぐ
排出にバナナのよきとて朝なさな黄に耀けるバナナ食うぶよ
ママいいよぼくこのままでいいと吾子は言ふなり本当にいいか
卓上にバナナの皮は横たはり陽を触らむとする人のやう
2012.03.11 一年が経つ ▼いつしらにこゑ統べられて中指を立つるかたちに青蕨伸ぶ
ふきのたう、つくし、はこべら春の菜の人触れざればいよよさみどり
あをいろの雨はしづかに浸みゆきて地は深々と侵されてゐる
けふは濃い、この雨だから舗道も洗はれるものと思ってゐたが
薄つぺらなテレビはいつも消ゆるまでわたくしたちの苦を映せない
をのこごは散発反対と叫んでゐた原発反対に飽いたのだつた
目の前にぶらさがってゐる葡萄へは届く声高、だつたのだらう
積まれゐる土嚢破れて名を持たぬ青き芽ぐみが雨に濡れをり
小名浜港に誰かが看板を立てた ▼<心まで汚染されてたまるか> さうだとも、わたくしたちは真っ白な帆
漁りのこゑを失くしし港にもまた春が来てさぶしきひかり
深くふかく目を瞑るなり本当に吾らが見るべきものを見るため
魚(うろくづ)よ、まばたかざりしその眼もて吾らが立ちて歩むまでを見よ
歌集『青雨期』に収められている多くの作品に溢れあるいは沈潜している高木さんならではの感性と、それを表現するにふさわしい洗練された個性的な言葉の操りとそこから生まれる響き、この一冊を読みえたことの喜びは大きかったことを付記しておきたい。
次回からも原子力にかかわる短歌作品を読み続けたい。 (つづく)
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