パリのある芸術家のアトリエを訪ねた。パリ市の北東部に位置する10区。地下鉄を出て、サンマルタン運河の脇を通って地図を片手にラファイエット通りを歩いていくと彼のアトリエのある建物が見えてきた。建物の前から電話すると、出てきたのは白髪で、どこかアインシュタインに似た風貌の男だった。
「すぐにわかったかね?」
さっそくアトリエに案内してもらう。狭い階段を登っていくと、そこにはたくさんの立体作品が置かれていた。スピルバーグ製作総指揮の映画「バックトゥザフューチャー」に出てくる発明家みたいだ。
「仕事場は下なんだ。今は引越し準備中でね。彫像の多くは下の部屋ですでに梱包しているんだよ。10月から少しずつトラックで運び出すんだ。」
移動する先はブルゴーニュだという。パリの南東に位置し、距離はおよそ200キロだそうだ。パリを東京にたとえると、千葉とか茨城のような感じだろうか。
ゲノレは日常に使われているモノを組み合わせて立体作品を作っている。かつてシュールレアリストが「ミシンとコウモリ傘の出会い」と言っていたことがあるように、日常の用途を超えた組み合わせの可能性があるのだ。
「マザコン装置」と小生が名づけたのだが、風変わりな作品があった。穴を掘るためのスコップの先端が母親の頭になっていて、口は動物を捕まえるためのギザギザの歯がついた鉄の罠である。両手は細長い紙風船だ。下の足になぞらえた三脚の脇にある自転車の空気入れのポンプを上下に何度も動かして空気を注入すると、両手になぞらえた紙風船が横にぴゅっぴゅっとと伸びていくのだ。ハッスルしているのだろう。ゲノレはそれぞれの作品にタッグをつけていてそこに意図を記している。それによると、この作品は精神分析の精神科医フロイトとその母親のセックスをモチーフにしているものだ。スコップを母親の頭にする感覚に驚かされる。だが、確かにこんな感じの強力な母親がいるなぁ、と思う。
「自殺機械」もある。頭を台の上に置いて、両手でレバーを引くと、鉄球が頭の上に落ちてくる。ギロチンとか切腹は切ったり、刺したりだが、この装置は砕く。ゴキブリを新聞紙を丸めて砕くのに似ている。聖なる人間も叩けばぐしゃっと潰れるということだ。
「これで本当にうまく死ねるんですか?」 「試してみるかね?」
一階の作業場の奥にも作品が所狭しと置かれていた。
「狐と狼」という機械は装置の取っ手を回すと、歯車が回転し、ベルトにつけられた狐になぞらえたオブジェを、狼になぞらえたオブジェが追いかける。小麦粉の精製装置を土台にしているものだ。それぞれの動物のオブジェは靴の木型やブラシ、入れ歯などを組み合わせて使っている。 フランスの古典文学「ルナール」(狐物語)にインスパイアされたものだという。「狐物語」は狐と狼の永遠の闘争を描いている。だから、この機械でも両者の距離は縮まらず、永遠に狐は逃げ続け、狼は追いかけ続けるのだ(あるいはまたその逆でもある)。
こうして見ると、それぞれの作品は哲学的な含意を持っていることに気づく。ゲノレはブラックユーモアで知られる芸術家・作家・映画監督ローラン・トポールの仲間で、ゲノレ自身も短編映画を作って映画館で上映していた時代もある。また、コメディ・フランセーズなどの劇団やテレビの舞台装置を手がけてきた。フランスでは知名度の高い作家だ。
しかし、なぜパリから出ていくのだろうか?
「最近、このあたりは地価が年々上昇してきたからだよ。ボボがたくさんこのあたりに入ってきてからだね。」
ボボというのは政治的には左派でありながら、社会階層としては比較的リッチな層にあたるという。公務員や教員あるいは芸術家も少なくない。ボボは食べている食品も有機栽培であり、BIOと銘打った割高の食品を選んで買う。だから、環境意識が高く、福島の原発にも強い関心を持っている。汚染水が魚を汚染していることを知っているし、フランスの新聞が福島に関心が高いのも頷ける。こうしたボボと呼ばれる人々がかつては芸術家が低家賃で活動していた地域に入ってくることで地域の地価が上昇し、芸術家は移転する、ということのようなのだ。
ゲノレは携帯電話もパソコンも使わない。電子機器を使いこなす人が増えている中、ゲノレは古典的なタイプの芸術家なのかもしれない。だが、古いからと言って否定し難い魅力を持っている。そこにいわゆる「エスプリ」があるからだ。
■パリの散歩道 モノと人と言葉
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