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2013年09月24日11時06分掲載
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文化
【核を詠う】(123)「平和万葉集 卷三」から原爆・原発詠を読む(3) 「臨界の核もたやすく起るとは事故の日までは思ひみざりき」 山崎芳彦
前回に引き続き2000年に刊行された『平和万葉集』から、核、原子力にかかわる短歌作品を読むが、原発をテーマに詠われた作品が多いことに、いろいろなことを考えさせられている。
振り返ってみれば、1999年には東海村JCO臨界事故があり作業員の大内さん、篠原さんが至近距離で中性子線を浴び悲惨な犠牲死をとげるとともに、多くの人びとが放射線被曝するという重大事故があり、それをきっかけにして1986年のチェルノブイリ原発事故が改めて多くの人々に思い起こされただけでなく、原発が持つ危険な本質をわがこととして考えさせられたということがあった。そのことから、全国各地にある原発が広島・長崎に投下された原爆と本質的に同じもの、反人間的、反自然的な存在であることへの認識も広まった時期でもあったといえよう。
また、各地にある原発が、さまざまな事故を繰り返しひき起こし、そのことを電力会社や行政が意図的に隠蔽し続けていることが明らかにされることにもなった時期でもあった。1989年・福島第二原発3号炉の再循環ポンプ破損事故、1991年・美浜原発2号炉で蒸気発生器細管の破断事故、1995年・高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏洩火災事故、1997年・東海再処理工場アスファルト固化施設で火災、爆発事故・・・その他さまざまな事故、故障、機器の劣化、操作ミスなどが告発されもした。そして、原発の現場作業員の被曝による健康破壊、死亡も内部告発や、ルポライターによる現場取材などによって、あるいは原発労働者の家族による告発などが明るみに出た。
原発に対する社会的な関心の高まり、原発の危険な本質を明らかにする科学者による問題提起や原発批判、反原発の市民運動、原発立地地域での住民運動もあり、原発を阻止した地域も少なくない。しかし、これらの高まりも脱原子力エネルギー、脱原発を実現して行くことを目指す大きな社会運動、政治運動には発展できなかった。国策としての原子力エネルギー依存の拡大、既存の原発の稼働の当初の期間を延長のための措置・・・などが政経官学ジャーナリズムの強固な「原子力ムラ」というより原子力マフィアと呼称されるような体制が維持され、2000年の東海臨界事故、日本で初めての事故による被曝死、立地地域の人々の被曝という、チェルノブイリ事故に準ずるような事態を経験しても、残念ながら、脱原発を明確に志向する政治的、社会的、そして国民的な運動が、画期的な一歩を踏み出したとは言えなかった。
そして2011年3・11のカタストロフィを迎え、今なお多大なる犠牲を様々なレベルで、核放射能という人間、自然の存在を破壊する、将来にわたってリスクをもたらすほどの犠牲を、背負うことになったこの国が、その根源である原子力エネルギー依存社会からの脱却への方向を志向するどころか、核の拡散とも言うべき輸出商品にして他国にこの国の首相がセールス行脚をしていることを許している現状がある。そして、その首相を支えるかのような国政選挙の結果、これは単純なことではなく選挙制度、国民の選挙権に対する不当な不公平な扱いの仕組み、有権者の25%の得票で議席数では「大勝」するという不合理、国民主権を貶めるような諸制度によって、もたらしてしまった。
なぜなのか、国政選挙において、様々な政治イシューの中に埋没させられて、原発、原子力エネルギー問題は、事の重大性を口に出しはするけれど中心的な争点、国民の意思を問う争点として位置づけられなかった。いま現在重大な福島第一原発の事故が未収束の状態、つまりは事故が進行中で、今後どのような事態が起きるかもわからない状況であるとともに、50基の各地の原発が存在し、福島の経験と教訓を無視して再稼働に向かう状況、限りなく遠い将来に至るまで破滅の危険の可能性を「保証」するようなことが、具体化されようとしている事態に対する対応と態度を根源的に問うことを各政治勢力は有効に、前面に出し国民の原発に対する意向を確かめる、ダイナミズムを持った選挙戦は、自民党を中心とする原発勢力の思惑通り、避けられ、背景に退けられてしまったといえよう。脱原発を主張する政党や政治家の共同も実現しなかった。
いま、ドイツにおける脱原発プログラムが、政治・社会的な合意形成、市民の積極的な共同によって進められていることが注目されている。それは、1970年代に始まった原発に反対する市民運動が政治勢力として1980年に「緑の党」として結集され、政治を動かす役割を果たす力を持つまでに発展したことが基礎になっていると言われている。1983年に緑の党が連邦議会で初議席を獲得するに至るまでの市民運動の粘り強い、原発建設反対運動、全国的な反原発ネットワークを形成しながら、デモや集会、署名運動などを展開するとともに、具体的な自然再生エネルギー発電の実現への取り組みも様々なレベルで、草の根的な共同事業から進められたという。そして、緑の党は幅広い人々に「人間存在を自然環境の文脈の一部と考える総体的な哲学」(これは、日本でも高木仁三郎さんが深め、脱原発を目指す思想的な基盤、根拠としたことを思わせる 筆者)を訴え広め、市民層の結集に大きな役割を果たした。このような政治勢力の実現は、市民の政治参加に大きな力となったと考えられる。
実践とそれを支える理論的、倫理的根拠を持つ緑の党は、具体的に政治、政策を実現することを目指し、1983年には連邦議会で28名、さらに1987年には44名の議員を送り込み、1998年にSPD(社会民主党)と連立政権(「赤と緑」の連立政権―シュレーダー政権)を組むに至った。政権発足前に「原子力合意」―エネルギー産業との合意に基づき「原発なしの新しい将来性のあるエネルギーミックスの道」を切りひらく「脱原発を実現するシナリオ」で合意し、エネルギー供給公社4社との交渉を経て、2000年6月に「脱原発合意」、2001年に協定文書調印,2002年原子力法の改定―すべての原発は操業開始32年で閉鎖を決めた。脱原発に向けてのプログラムが、政権の政策として確定したのだった。 このドイツにおける脱原発プログラムの構築には、1986年のチェルノブイリ原発事故による放射能汚染被害がドイツに大きな影響を実際にもたらし、ドイツ市民に大きな危機感が広がり、核エネルギーが人間と共存できないものであることへの具体的な体験を通じての認識が深まり、脱核エネルギーを目指すために自然再生エネルギーを市民レベル、都市や市町村レベルで作り上げ、さらに省エネルギーへの取り組みも進めて成果を上げていることが報告されている。
そして、このような進展がある中でも、政権交代があり、2009年に誕生したメルケル政権は原発の延命を決定するという「揺り戻し」があったが、ここで2011年3・11の福島原発事故か起き、それに衝撃を受けたメルケル政権は3・11の3日後に老朽化した原発7基の停止を決めるとともに、8日後に「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」の設置を発表(この委員会には原子力に関与している人が一人もおらず、宗教家、政治家、研究者―政治学、社会学、企業家など17名で構成)し、5月30日には同委員会の報告書をを連邦議会に提出し、6月6日には閣議決定として①脱原発と再生可能エネルギーのシステム的構築、②原発8基の廃炉と段階的廃炉(2015年1基、2017年1基、2019年1基、2021年3基、2022年3基)を決め,この決定は6、7月に連邦議会、連邦参議院で可決され、ドイツにおける脱原発政策は確定した。2022年までに脱原発を達成するという、明確な国としての意思が確定したわけである。今、単純な一直線ではなく、試行錯誤や乗り越えなければならない課題を持ちつつも、ドイツでは中央、地方の政治的、社会的合意のもとで、人間のあり方に関わる倫理の道理による脱原子力エネルギー社会の構築に向かって、これまで積み上げてしまった負の遺産である放射能廃棄物の処理対策も含めて歩をすすめているといえよう。
この経過の中で注目すべきは、ドイツの国民、市民の運動が様々な取り組みによって政治を動かす力を蓄えるとともに、具体的に脱原発を実現するための実践に、主権者としての意識を持って取り組み、共同の力で果実を生み出してきているということだと思う。
いささか、短歌作品を読む前に長く、整理されていない文章を書いてしまったが、現に原発事故が未収束なまま、大量の放射能汚染水問題や、その他解決されないままの諸問題、被災者の苦悩、廃炉作業や、使用済み核燃料の処分問題などがなんの見通しも持てない中で、再稼働、輸出などと、脱原発とは真逆な方向を向いている政府、経済界、それを擁護する学者やジャーナリズムが蠢動し、あるいは少なくない原発立地地域自治体首長の「原発交付金欲しい」の稼働容認意向の表明さえある現状の中で、ドイツの経験、「原発利用には倫理的根拠はなく、脱原発が取るべき道」「原発エネルギーがなくてもそれに代わる再生可能エネルギーの開発や省エネルギーで社会は前進できる」という確信ある取り組みに、学ぶ、そしてもとよりこの国の多くの先達が「原子力マフィア」の迫害に抗して多くの脱原発の倫理的かつ科学的な論究を確立してきている土壌に脱原発の花と果実を実らせるため、何が今求められているのか、具体的に受け止め、この国の主権者として恥じない振る舞いを共同と連帯の事業の現実化によって示さなければならない時に、いま、私たちは生きていることを確認したいと考えているのだが、力不足で不明瞭なことを書いてしまった。もっと実践的に多くのことを学ばなければならない。
『平和万葉集』の核に関する作品は2000年に刊行されたものであるが、多くの人が詠い残した作品を、よく読んでいきたい。
《昭和を生きて(抄)》
▼あるまじき臨界事故のテレビニュース釘づけのまま夜を過ごしつつ 水抜きの決死作業で危機脱し胸なでおろすも被ばく痛まし (赤澤なつの)
▼被爆国日本であればいちにんの被曝死重たしチェルノブイリより (赤塚 堯)
▼核なくす想いあらたに広島の平和宣言夕刊に読む (浅尾 務)
▼原爆に死にたる学童十二歳形見となりしシャツの小さき (阿部澄子)
▼八月の暦は悲しき日の多し終戦記念日原爆記念日 (石川 京)
▼原爆は国の威力と変りつつ地球はおのず狂い始めり (和泉てる子)
▼バケツにてウランの溶液かきまぜる作業に恐れをいだかざりしか 臨界のかくもたやすく起るとは事故の日までは思ひみざりき (今泉 操)
▼アインシュタイン・オッペンハイマーの負の栄誉二十世紀の悔かぎり なし (内田利子)
▼「人類の英知」というか原発を心の浮腫に耐うる村びと (海野 佐)
▼世の不安取りのぞかねば原発のもたらす恵み届かざりけり(大内 全)
▼核分裂連鎖反応起せしは東海村JCO「裸の原子炉」ぞ 「私を最後に」と言ひ遺せし思ふ久保山愛吉を今中性子放射能に逝き にし君を (大塚敬三)
▼原爆のドーム背にして妻を撮る八月六日の惨たる景を 地下深く繰り返さるる実験あり核の閃光地球を侵す (大塚崇史)
▼もともとはちょっとした間違いだっただろう高速増殖炉と軽水炉の溶液 プルサーマル原料高浜の港に着く頃に東海村の青い閃光(大津留公彦)
▼水・水・水をクダサイと被爆者の声々埋まるあの日あの夏 諫早海軍病 院 (笠原美代)
▼「核兵器、戦さをゼロの世紀に」と女らの腕地球を抱け (柏木文代)
▼臨界事故作業員の死報ずる街に電力消費のイルミネーション 核物理専門とせし夫の言う脱原発のエネルギー源をと (勝守 恵)
▼ニューズウィークの誌上賑はす吾娘の論やがて核なき青きこの惑星 (河村壽美子)
▼われの血につながる命また一つ生まれんとする核ある地球 ヒロシマに燃え続く聖火目に浮かぶ人の世の未来思わねばならぬ (菊 一子)
▼茨城の臨界事故に改めて福島原発の増設憂う (草野キヨ子)
▼兵送る日の丸振りし宇品港 老いたる被爆者われのまぼろし (近藤幸子)
▼「原爆の図」こそ現実(うつつ)ぞ悲しみの憤怒(いかり)は平和の 鐘と鳴りゆけ 目に見えぬ核の恐怖 憤り 臨界事故に土下座は効かぬ (佐藤朝子)
▼東海村の次は何処ぞ怖れつつ泊の海に闇ふかみゆく この星を汚し行くもの汝(な)の末も荒れし地球の衰へを見む (澤田登美子)
▼若者に委ぬる多き次の世やたとえば反核また自然保護 (塩見 梢)
▼わが胸に聳(そび)え立ちたるモニュメント己(おの)がじしなる「爆 心地」かな 足下より死者らの声の立ちのぼりナガサキの地に合唱の夏 (杉崎愛史)
▼故郷の砂丘をつぶし原発を七基もたてし浜を歩みぬ (鈴木美奈子)
▼原爆の被爆国たる日本の惨禍は永久に語りつがまし (関 文雄)
▼「悪魔の火」となるかも知れぬ原発を国策とするわが被爆国 紙一重修羅場と化する危惧もなく電気の便利に浸りていたり (瀬戸俊子)
▼『火垂るの墓』新潮社よりのアニメ見る 忘るな奢るな今日原爆忌 (高橋紀代)
▼球形のあをきオアシス尚あをく育てむ核の慘を告げつつ (高瀬紀子)
▼被爆者手帳待ちこがれたる君逝けりリンゴ農家の先暗きまま (高橋豊治)
▼ケロイドの腕に血圧計を巻く分厚き被爆者カルテの脇に いく度も救われましたと診察室にカンパ差し出すケロイドの手よ (たなせつむぎ)
▼臨海の青き火の果て襲い来し痙攣いかに苦しかりしか すさまじき被曝の腸ゆ体液を垂れ流しいる枯れ行くがまま (寺田公明)
▼安全宣言のみの早かりきこの国に後を断たざる汚染広がる 放射能を人は逃れしも繋がれて鳴く犬見ればあわれなりけり (長沢君子)
▼やすやすと青年一人死に逝けり闇の手作業の臨界被曝 (中下熙人)
▼炎天下抗議をこめて待ち受ける国道一一六号に核燃料の列を (長嶋あき子)
▼文殊炉もプルサーマルも受け入れて豊かさ一位と故郷の街 (中村美代子)
▼大内氏の臨界事故死怒るごと血汐もみじは染まり散り逝く (野口晶子)
▼日本の核密約を明かすなく非核三原則と偽り言うか (長谷川悠)
▼究極の兵器としらず臨界のあおきひかりに作業者射らる (日浦摂雄)
▼若き母 幼らと共に鐘を撞(う)つ今日は広島に原爆落ちし日 (福田達雄)
▼大量の放射能浴びし大内さん八十三日傷ふさがらぬまま 大内さんの死と小二児童虐殺が朝刊に並ぶ我らの国を変えねばならぬ (伏屋和子)
▼チェルノブイリのとなりプリピヤチ村の子らゆっくり消えて漂う悲歌 (堀江典子)
▼対岸に核燃えゐるは明らかなり雨降れば上がるモニターの数値 検知器に大気の放射能を測るとぞ農民ら作物の汚染恐れて (増山和嘉)
▼原発反対の老漁夫逝きて三とせなり漸く決まる建設せずと (松井暁子)
▼大内さん臨界事故で逝きし朝安全神話の崩れゆくみる (松沢ひろみ)
▼核兵器廃絶願う講演者 時間終われば妻の介護へと (宮良信永)
▼くりかえし臨界事故を告ぐる日々炎となりて彼岸花咲く 原発を安全なりと説く大臣の父ゆずりなる巧言むなし (宮守八重子)
▼日本語で「ふるさと」歌うナターシャのチェルノブイリの故郷消えぬ 今日生れし孫の未来は如何なるやチェルノブイリの事故より十年 (弥田利枝)
▼向日葵と向き合う彼方の空晴れて核廃絶を願う藍色 (山田富美子)
▼此の星に生まれ育った人間よ恩を仇で返す事なかれ 我が人生最後の叫び核廃絶愛の証を子や孫たちに (山本尚代)
次回も引き続いて『平和万葉集』から、核を詠った作品を読んでいきたい。 (つづく)
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転載について
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