善人もいれば悪人もいる。双方が混在しているのがこの世の常でもあるだろう。しかし日本という国の政治、経済、社会に大きな影響力を行使する政権の座に、仮にも悪人が居座っているとしたら、「現実はそんなものだ」と笑って済ますことができるだろうか。国民1人ひとりは血もあれば、ときに涙も流すいのちある存在である。 「わるいやつら、わるい政治」に寛容であるわけには参らない。告発していくことが求められる。そのための重要な視点が「貧困と格差を解消する政治」をどう育んでいくかではないだろうか。
宇都宮健児(注)著『わるいやつら』(集英社新書・2013年9月刊)が話題を呼んでいる。 (注)宇都宮氏は弁護士で、1946年愛媛県生まれ。日弁連多重債務対策本部長代行、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長、反貧困ネットワーク代表、「年越し派遣村」名誉村長、日弁連会長などを努める。この経歴からも分かるように異色の弁護士として知られる。
その異色振りは本書のつぎのような目次からもうかがえる。 序 章 私は、なぜ「わるいやつら」と闘うのか 第一章 サラ金からヤミ金まで 第二章 新型詐欺のバリエーション 第三章 整理屋と提携弁護士 第四章 跋扈する貧困ビジネス 第五章 「わるいやつら」を生み出す「わるい政治」 おわりに
以下、その要点を紹介する。
(1)年収200万円未満が1000万人、貯蓄ゼロ世帯26% 1990年代以降、貧困と格差が広がり、特に非正規労働者が激増した。2013年時点で、年収200万円未満の人が1000万人を超え、非正規労働者は2000万人を突破して全労働者の38.2%、すなわち3人に1人以上が非正規労働者になっているという現実がある。
また金融広報中央委員会の統計によれば、1980年代は全世帯のうち「貯蓄ゼロ世帯」が5%前後だったのが、1990年代は10%前後となり、現在は26%を超えている。つまり4世帯に1世帯は貯蓄ゼロだ。年金だけでは生活できない高齢者も急増している。
このような状況下では借金を整理しただけでは生活を再建することはできない。一度は借金から逃れられても、新たな生活資金を得る必要に迫られて、再び悪質なヤミ金に狙われてしまう。こういうケースが続出するようになった。
(2)労働者よりもトヨタ自動車社長の税負担が低い 高額所得者の税負担は、相対的に低い。そのことが非常に問題である。元大蔵官僚が書いた『税金は金持ちから取れ』という本に次のような驚くべきことが書いてある。
トヨタ自動車社長の2010年の年収3億4000万円のうち、所得税、住民税、社会保険料の負担率は20.7%で、一方、同じ2010年の給与所得者の平均年収は約430万円で、その負担率は34.6%である。年収430万円の労働者の方が、年収3億4000万円のトヨタ自動車社長よりも税負担が高い。
なぜそうなるのか。同社長の収入のうち、3分の2は持ち株の配当金だからだ。この配当金にかかる税金は、所得税と住民税を合わせて一律10%にすぎない。小泉政権のときに「証券優遇制度」がつくられ、10%しか払わなくていいことになった。このため普通の給与所得者よりも大企業社長の方が負担率が低くなるというわけだ。そういう事実を私たちはあまり知らされていない。それが問題だ。
(3)横行する貧困ビジネスと日米の違い 貧困と格差が広がる中で、生活困窮者、貧困当事者の窮状と無知につけ込んで利益を上げる「貧困ビジネス」も広がっている。このような貧困ビジネスを根絶するには、厳しく取り締まるとともに、それらを規制する立法の強化などが必要となる。
しかし悪質商法・詐欺的商法の取り締まり・摘発は主として警察だけに任されているのが現状だが、取り締まりを警察だけに任せておくのは、限界にきている。
米国には警察のほかに、詐欺的商法などを監視している行政組織として連邦取引委員会(FTC)があり、疑いのある業者に対し、業務内容の開示命令や詐欺的商法の差止命令を出すことができる。さらに訴訟手続きにより悪質業者から回収した金銭を被害者に配当することができる。
日本では悪質商法・詐欺的商法によって蓄えを騙し取られた被害者は、泣き寝入りしたくなければ、原則として自己負担で弁護士に依頼し、被害回復を行わなくてはならない。同じような被害にあっても、米国と日本とではずいぶんと置かれた状況が違っている。
(4)憲法に書かれていることが現実化していない いま政治課題として「護憲か改憲か」というテーマが俎上(そじょう)にのぼっている。ただ憲法については少し違った角度から考えたい。護憲や改憲を言う前に、そもそも今の憲法の条文に書かれていることが現実化されていないのではないか。
例えば生活保護とは、憲法25条の「生存権の保障」を具体化した制度だが、その制度を受けるべき人のうち、8割が受けていない。 学校では憲法で掲げた権利を実現するための具体的な方法を教えていない。ただ「憲法を守れ」と言うだけでは憲法の中身は実現できない。
憲法28条は「労働者の団結権と団体交渉権その他団体行動権」を規定している。しかし労働組合のつくりかたや団体交渉のやり方を具体的に教える教育はなされていない。だからいくら「労働者には権利がある」と言ってもそれだけでは役に立たない。
問われているのは「護憲」という理念ではなく、憲法が保障している基本的人権を「現実化」「具体化」するような運動が行われているかどうかである。率直に言って、市民運動の世界にも、理念が先走っている人が多い気がする。大事なことは理念よりも具体的な実践である。具体的実践のひとつが「政治参加」ということなのだ。
より根本的には、「貧困と格差の広がりを解消する政治」こそが求められているのだ。
<安原の感想> 安倍政治は「貧困と格差の拡大」を転換できるのか
「貧困と格差」を解消するためには何が求められるのか。ここではまず朝日新聞社説(2013年9月24日付)「賃金デフレの根を絶て」の要点を紹介する。
政府と経営者団体、労働団体の代表からなる政労使会議がスタートした。来年4月の消費税増税までに賃上げ機運を盛り上げ、経済全体の好循環を促すのが安倍政権の狙いだ。 首相は今年の春闘で財界に賃上げを要請し、一部の企業が反応した。今度は春闘の仕込みの段階から働きかける。賃上げがアベノミクスの成否を左右すると思い定めているようだ。
業績は改善しているが、賃金は上がらず、企業は内部留保をため込む。ここに政府が割り込み、空気を変えられれば意味があろう。 好業績企業からは賃上げ容認論も出始めた。ただ賃金デフレは根深い構造を持っている。しっかり斬り込まなければ、働く人々は将来に明るい展望は持てない。(中略)経団連は人件費削減の「横並び」に余念がないが、そこに安住する危うさを自覚しなければならない。
以上の社説は目配りが利いている。まず注目したいのは「首相は賃上げがアベノミクスの成否を左右すると思い定めている」という指摘である。本来のアベノミクスは賃上げにはむしろ背を向けていた。それが賃上げのすすめに転換してきたのであれば、歓迎できるが、安倍首相の本音はどうか。
一方、社説は財界主流派の経団連にも注文を付けている。<経団連は人件費削減の「横並び」に余念がないが、そこに安住する危うさを自覚しなければならない>と。要するに社説は、賃上げ容認に転換せよ、と言いたいのだ。
私(安原)は賃上げ容認は重要だと考える。非正規労働者が労働者の約35%にものぼって、低賃金を強いられている現状は、生活無視にとどまらず、人権侵害の残酷物語というほかない。日本経済の発展にとってもむしろマイナスである。「貧困と格差の拡大」からの大転換こそが日本経済の正常な発展のためには不可欠であることを強調したい。
*「安原和雄の仏教経済塾」からの転載
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