「その後の生を虚しくするようなトータルな破局を破滅と私は呼ぶが、このような破滅的な事故が絶対に許されてはならないと私は思う。確率という概念をあえて用いるならば、破局的な大事故の確率は十分に小さくなくてはならないが、破滅的な事故の確率は絶対的にゼロでなければならない。つまり、どんなにわずかでも破滅の可能性が残るような技術は、究極の『死の文化』であり、そのような技術の選択はすべきでない。」(高木仁三郎『巨大事故の時代』、弘文堂、1989、P210)。これは、原子力市民委員会が発表した『原発ゼロ社会への道―新しい公論形成のための中間報告』(2013年10月)からの孫引きであるが、この文章に続けて上記の中間報告では、「福島原発震災は、原子力推進論者の安全確保の努力にもかかわらず、破滅的事故が訪れたことを意味している。原子力技術のはらむ危険性を制御できなかったという痛切な経験をした日本社会にとって、将来の安全と繁栄を可能にする大前提は、脱原発を選択することである。」と述べている。
筆者は、最近になって同委員会(2013年4月設立、座長・舩橋晴俊法政大学社会学部教授)について知り、上記の中間報告を読んで、共感しつつもまだ十分に理解できているとは言えないのだが、その趣旨と「脱原子力政策大綱」を市民の公共利益の観点に立って、脱原発を目指す広範な人々の参加、共同によって、2014年3月までに作成するため、精力的に取り組んでいることに賛同する。この取り組み、成果が広がり、脱原発、原発ゼロへの道を切り拓いていくことに期待したい。中間報告の内容は、読み応えがある。なお、より多くの各界各層の脱原発の立場に立って、さまざまな経験を蓄積している人々、団体・グループが実らせている果実、地道でねばりづよく生活の現場に生れている経験があるのを踏まえて、意見交換を重ね、さらに検討を加え、市民の運動の糧になる、さらには政治の変革の力になる「原子力政策大綱」となるよう、同委員会のダイナミズムを持った取り組みを望みたい。望むだけでなくできる形で参加したいと考える。ジャーナリズムもこの市民委員会にもっとスポット当て、多くの媒体が世に知らせることも大切なことであろう。
ところで、政府は、予想されていたことではあるが、原発重視のエネルギー政策を推進していく姿勢をより明確に打ち出している。経済産業省は12月6日に「エネルギー基本計画」の原案を総合資源エネルギー調査会基本政策分科会(会長・三村明夫新日鉄住金相談役)に示したが、そこでは原発について「重要なベース電源」として、需要のうごきにかかわらず一定の電力供給を担うものとの位置づけをし、必要とされる規模を確保することなどを記した。核燃料サイクル事業の「着実な推進」も原案に入っている。国民の多くが原発に対する不安、脱原発を望んでいることを無視した計画案だ。 これを受けてエネルギー調査会基本政策分科会は、同13日に会議をもち、原発の位置づけがこれでは不十分だとして、「基盤となる重要なベース電源」と修正することによって原発の必要性をより強調する内容にして政府の最終案とし、年明け後に閣議決定するレールを作った。
「基盤となる」とする文言は、原発以外の電源には付されておらず、原発を特別に重要な電源、なくてはならないものとの位置づけを明確にしたものであり、脱原発、原発ゼロと真反対のエネルギー政策を推進していくことを表明し、「なくてはならない」のだから、既設原発の再稼働はもとより、原発の建て替えや新増設を事実上認めるものであると言わなければならない。早速、電力会社からは歓迎の声があがっているという。もっともなことであろう。
安倍政権の下では、このような原発政策が打ち出されることは既定の路線ではあるが、考えてみれば、福島第一原発の壊滅事故によってもたらされている現状、福島はもとより広範な地域の人々の生活と将来不安の現実を見れば、少しでもこのことについての想像力を働かせれば、このようなエネルギー基本計画による原発の「再生」があってはならないことは、まさに人間の、社会の倫理からして当然であるはずだろう。 この連載の中で、かなりの数の原発、放射能にかかわる短歌作品を読んできているが、原発事故がもたらした災害による苦悩、怒り、あるいは原発を持ってしまったことへの反省などの思いが表現された作品がほとんどであった。原発をエネルギー源として維持・強化することを望む作品に出会うことは、きわめてまれなことであった。
世論調査の結果や、さまざまな人々の意思表明をみても、脱原発、原発ゼロを求める民意が大勢であるといえよう。しかし、現政府、安倍政権は民意、人々の声に対して、自らの政策に反するものであれば、きわめて挑戦的、挑発的である。国家主義、権力主義的な姿勢をますますあからさまにして、人々の口をふさぎ、耳を塞ぎ、きわめて危険な方向へとこの国を運ぼうとしている。いま、安倍政権が進めている、さらにこれから本格的に推進しようとしていることを数え上げていけば、明らかになるであろう。看板にしている経済成長戦略の大企業優先、国民負担の増加、「国防・安全保障・外交」政策に色濃い軍事力増強と戦争体制、教育、人権・・・どの分野をとっても強権・国家主義の政治によって、国民主権に対立し押しつぶそうとするものである。「国家安全保障戦略」(「わが国と郷土を愛する心を養う」と愛国心を明記している。)の策定、「新防衛大綱」、「中期防衛力整備計画」の閣議決定、武器輸出三原則は武器の開発(他国との共同開発も含む)、製造、輸出を促進するものに変質させられる・・・集団的安全保障を認める実質的な改憲、秘密保護法による言論の統制、国民生活を際限なく圧迫する経済政策、雇用・労働法制の改悪による労働者支配の体制、まことに恐るべき政府、政権が歯どめ無く動き出している。
だからこそ、福島原発事故がもたらしている現状に対して真正面から取り組もうとはしないし、人間の生きていく現在と将来を見ない原子力政策、原発維持・強化路線を進もうとしている。 この政治に対して、原発について言えば「原発ゼロ」、脱原発をめざす国民的な合意を形成する取り組みの重要性、そして実際に政権の暴走を食い止める主権者の力の実効ある闘いの構築を考えなければならないが、冒頭部分でも触れたが、「原子力市民委員会」が進めている「脱原子力政策大綱」(政府の原子力政策大綱にたいするもの)の提起に注目したい。今年10月に「原発ゼロ社会への道−新しい公論形成のための中間報告」を公表し、各地での意見交換会を開催しながら、2014年3月までに「脱原子力政策大綱」を作成する取り組みをしている。このような取り組みが、脱原発、原発ゼロをめざす署名や集会、デモ、さまざまな地域での運動とともに進むことが、いま必要なのだと思う。 原子力市民委員会については、筆者も不勉強で、最近になって前述の「中間報告」を同委員会のウェブサイト(http://www.ccnejapan.com/) により読んだばかりである。(A4版115ページ、同委員会について知ることができた。) 今回も、短歌作品を読む前に多くのことを記し過ぎた。
今回が最後になるが『2013年版現代万葉集』から原子力にかかわって詠われた作品を読む。
○東日本大震災②○ ▼田植ゑせる夢に覚めしと便り受く原発事故に遭ひし友より 原発事故の近きより筍戴きて「美味しかった」と嘘便り書く 目に見えぬセシウムとぶを恐れつつ原発廃止を肩組み叫ぶ (山形 蜂谷 弘)
▼住まふべき復興ならねば原発の廃止やむなし人間の知恵 (福岡 花田恒久)
▼目に見えず音なき香なき原子炉の知らぬ事多し畏れつのり来 (広島 早川政子)
▼フクシマで二重に傷つく人々にあぶり出されるわれらの時代 遠くへと逃げし人々指さすは誰にもできぬ誰ができよう (東京 藤木倭文枝)
▼巨大地震・津波・原発にさまよえる人間の無力さ身に沁みて識る わが裡に熄(や)むことのなき声ひとつ核の処分地いずこに成すや (青森 古舘千代志)
▼この星に広まりし言葉「FUKUSHIMA」(フクシマ)を我ら負いつつ新年(に いどし)迎う 子供らにせめても詫びよ線量計持たする国になりてしまいぬ 雪深きわれらが街に避難せる幼らよいかに年越したりや (山形 松崎泰樹)
▼被災地へふたたびの春哀しみを噴くごとくひらく桜の大樹 ▼原爆ドーム仰ぎて佇てり反原発の行進に来し浪江町の人と (広島 三浦恭子)
▼反原発の人の波にし穏やかにやさしく寄する海の日今日は 原爆の炸裂はあの高さにてスカイツリーのつひに完成 (千葉 三浦好博)
▼八戸(はちのへ)の水揚げマダラに放射能出でし一部が売切れしとぞ セシウムの検出されしマダラ五トン焼却処分されぬ一般ゴミとして 脱原発に反対多き下北の人らの日日の生活(たつき)を憶ふ (青森 道合千勢子)
▼渡り来しツグミが選ぶ公園はシーベルト数値の測定地点 (千葉 光田美保子)
▼放射能恐れて摘まぬ無花果の実は熟れてをり義母のふる里 台風も放射能もわれに力無しただ過ぎゆくを堪へて待つのみ 除染済み町の広場に園児らの声が戻りて夕やけこやけ (福島 皆川二郎)
▼原発にて荒るる故郷に若きらは何時の日還るその言葉無し ためらはず幼ら土に手足触れよく遊ぶ日々疾く来よと待つ 滋賀県の幼ら送り来し落葉あまた被災地の子らよろこび遊ぶ (福島 宗像友子)
▼浪江町二・二マイクロシーベルト若き雌牛がまた仔をはらむ セシウムをカリウムと思い取り込むか今年の緑はいっそう茂る 線量の少なき餌をと持ち来たる草に浪江の牛は群がる (宮城 百瀬和子)
▼原発は任せて置けと言いし人国会中継に姿映らず 山菜も川の魚も大被害セシウムの恐怖早よ忘れたし 北側にどっさり残る屋根の雪東北の根性試せとばかりに (福島 山口キヌイ)
▼みちのくに摘むさ緑の蕗のとう放射線量ふと思えども 「セシウム」と言う恐ろしきものの名をて八十路の坂に近づく (東京 山下 勉)
▼フクシマより姪帰り来ぬ線量計を生後二ヶ月の児のために持ち 防護服の人ら映るは悲しかり「夜の森公園」に万朶の桜 みずみずと柿の若葉が萌え出ずる除染に樹皮を剥かれたるまま (宮城 山本秀子)
▼原発に対応すると言ひながら何も出来ない多分誰にも 電圧が瞬時下がりて原発の注入機能が無くなる怖さ 新聞はどうとでも言へる学者らも苦しまぎれか原発論じて (東京 横瀬美年子)
▼福島の子らの書きたる短冊にガンにならないやうにとありぬ 節電に明かり疎らな街行けり寒の北斗の光受けつつ ビルの照明消えて乏しき街明り節電しながら春を待つらし (埼玉 吉弘藤枝)
▼少しでも力とならむ復興の香にたつ三陸わかめを買ひぬ セシウムの検出もなく弾む声朝の納屋に出荷米つむ (栃木 若林榮一)
▼「ありがたう」貼られて被災の宮古より海の色した秋刀魚の届く セシウムの雨降る街と君の詠む福島けふも傘のマークに (山梨 渡邉美枝子)
○芸術・文化・宗教○ ▼被爆せしマリア像の目穿たれてゐるゆゑわれを近づけやまず (東京 春日いづみ)
次回も原子力にかかわって詠われた短歌を読む。 (つづく)
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