かつてインターナショナルヘラルドトリビューンのベルリン駐在記者として健筆をふるっていたジュディ・デンプシー(Judy Dempsey)記者は現在、Strategic Europeという媒体の編集長に就任している。彼女が最近こんな寄稿をしていた。「メルケルのプーチン問題」(Merker's Putin problem)と題する分析記事である。
デンプシー氏によると、社会民主党との連立政権を余儀なくされた第一党のドイツのメルケル首相(キリスト教民主同盟)はロシアを巡って頭を痛めているというのである。その理由は前回連立を組んでいた自由民主党が票を減らしたため、連立の相手が社会民主党になったことだ。それに伴い外務大臣の席が自由民主党党首のギド・ヴェスターヴェレから、社会民主党のフランク=ヴァルター・シュタインマイアーへ移ったのである。このことがメルケル首相の対プーチン/ロシア政策に影響を与える可能性があるという。
デンプシー氏の分析によると、メルケル首相は最初の就任以来、一貫してロシアへの強硬な姿勢を崩していない。ジャーナリズムの抑圧やNGOつぶし、あるいは政治腐敗などへの批判である。メルケル首相のこうした姿勢には彼女が旧東独出身で、ソ連の支配下で若い時代を送ったことが関係していると見る。そして、ウクライナの新政権がロシア寄りになったことが緊張を高めている。
そんな時に社会民主党のフランク=ヴァルター・シュタインマイアー外相は1960年代にビリー・ブラント首相が掲げたソ連・東欧に対する「東方外交」(Ostpolitik)を踏襲し、ロシアに対する宥和政策を行う可能性が高いとみている。「東方外交」はソ連との友好的な交易がむしろソ連の自壊をもたらすという考え方だった。しかし、デンプシー記者は東方外交の実効性に疑問を投げかけ、ソ連を崩壊させたのは東方政策ではなく、ゴルバチョフ大統領の信念だったと見る。こうした見方から、ドイツ国内の足並みのふぞろいはプーチン大統領に利用されるだろうと警告している。デンプシー氏は明らかにメルケル首相の対ロシア外交を支持する側に立っている。
デンプシー記者の考え方に違和感を持つ人もいるだろうが、この論考が興味深いのは日本と同様にかつて全体主義国であり、敗戦国だったドイツが連合国側にいたロシアにどう向き合うか、という問題を扱っているからである。欧州人にとって戦後巨大な力を持つソ連とどう向き合うかということが一貫した外交の課題だった。だから、この記事は日本人から見れば否応なしに日本と中国との関係を連想させる。中国が事実上、アジアの超大国になるからである。だから日本国内のタカ派も、ハト派もいずれにせよ、中国とどうつきあうかという課題に向き合わざるを得ない。それが日本の外交政策の最大の課題となるのである。
もし日本にメルケル首相がいたとすれば中国の人権問題の批判となるのだろうが、ことはそれほど単純ではない。まずドイツが戦後責任問題に向き合ってきた国であること、そして現在も欧州連合にあって平和への姿勢で域内諸国から信頼を得ていることである。メルケル首相のロシアへのタカ派的姿勢は過去にドイツが行ってきた積み重ねの上に立っていると考えさせられる。さらに、メルケル首相のタカ派的な姿勢の理由としてデンプシー氏はメルケル首相が東独出身で、つまりはソ連の支配下に暮らしていたという事実である。これもまた、戦後東西分割を免れた日本にはない状況である。ドイツではナチス時代にソ連を侵略した負い目もあって、メルケル以前の歴代政権は右派政党であっても公式の場でのソ連批判を控えてきたという。
・戦争責任に対する姿勢 ・東西分割の当事者となった ・欧州連合に加盟した
これら3つの点でドイツは日本と大きく異なる。同じかつてのファシズム三国同盟の国同士でも、戦後に随分大きな違いがあったということである。特に日本のように戦後一貫して米国の傘下で外交方針も米国任せで来たのと異なり、ドイツは国が東西に分割され、鉄のカーテンの向こう側も体験しているのだ。それでも、ロシアに対する姿勢のみならずドイツの外交政策は日本から見た時に想像力を刺激する何かがあると思える。
■Judy Dempsey
http://carnegieeurope.eu/experts/?fa=693 著書に「メルケル現象」(’The Merkel Phenomenon’ ;Das Phänomen Merkel, Körber-Stiftung Edition, 2013)
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