大手紙の元旦社説のキーワードとして、民主主義、日本浮上、長期の国家戦略、人間中心の国づくり、などを挙げることができる。これらのキーワードは「強い国」志向にこだわる安倍首相の姿勢と果たしてつながるのか。率直に言えば、首相の鈍感さはもはや限界に来ているのではないか。その一つが靖国参拝である。さらにアベノミクスという名の景気対策も、二千万人にも及ぶ非正規労働者らには無縁である。賃上げや消費の増大にはつながらないからだ。 東京新聞社説は「人間が救われる国、社会へ転換させなければならない」との趣旨を指摘している。これは人間の存在そのものが否定されかねない地獄のような現状への告発ともいえる。われら日本人が喜びと共に「未来への希望」を語り合えるのはいつの日なのか。
まず大手5紙の2014年元旦社説の見出しを紹介する。 *朝日新聞=政治と市民 にぎやかな民主主義に *毎日新聞=民主主義という木 枝葉を豊かに茂らそう *讀賣新聞=日本浮上へ総力を結集せよ 「経済」と「中国」に万全の備えを *日本経済新聞=飛躍の条件伸ばす 変わる世界に長期の国家戦略を *東京新聞=人間中心の国づくりへ 年のはじめに考える
なお1月3日付5紙の社説見出しを参考までに書き留める。 *朝日新聞=「1強政治と憲法」 「法の支配」を揺るがすな *毎日新聞=文化栄える国へ 自由な社会あってこそ *讀賣新聞=(上向く世界経済) 本格再生へ「分水嶺」の1年だ 先進国と新興国にくすぶる不安 *日本経済新聞=飛躍の条件<創る> 産業社会をモデルチェンジする *東京新聞=障害を共に乗り越える 年のはじめに考える
以下、各紙元旦社説の要点を紹介し、それぞれに安原のコメントをつける。 ▽朝日新聞社説 行政府は膨大な情報を独占し、統治の主導権を握ろうとする。その結果、多くの国民が「選挙でそんなことを頼んだ覚えはない」という政策が進む。消費増税に踏み込んだ民主党政権、脱原発に後ろ向きの現政権にそう感じた人もいるだろう。議論が割れる政策を採るなら、政治は市民と対話しなければならない。 いずれも投票日だけの「有権者」ではなく、日常的に「主権者」としてふるまうことを再評価する考え方ともいえる。そんな活動はもうあちこちに広がっている。新聞やテレビが十分に伝えていないだけだと批判をいただきそうだ。確かに、メディアの視線は選挙や政党に偏りがちだ。私たち論説委員も視野を広げる必要を痛感する。
<安原のコメント>自己批判する論説委員 にぎやかな民主主義に育てていくためにはまずなによりも新聞社の論説委員自身の自己批判から出直す必要があるとも読めるユニークな社説である。ひとむかしも前の論説委員なら自己批判とは無縁であった。大上段に振りかぶった論説が主流となっていたような印象が強いが、それに比べると昨今の論説委員の物腰は激変といえる。皮肉を言いたいのではい。謙虚であることは無論大切なことである。しかし謙虚さは読者や市民に対して必要であるが、政財官界の権力の座にある群像に向かっては無用であるだろう。この姿勢を曖昧にすることは疑問である。
▽毎日新聞社説 「統治する側」が自分たちの「正義」に同調する人を味方とし、政府の政策に同意できない人を、反対派のレッテルを貼って排除するようなら、そんな国は一見「強い国」に見えて、実はもろくて弱い、やせ細った国だ。全体が一時の熱にうかされ、一方向に急流のように動き始めたとき、いったん立ち止まって、国の行く末を考える、落ち着きのある社会。それをつくるには、幹しかない木ではなく、豊かに枝葉を茂らせた木を、みんなで育てるしかない。 その枝葉のひとつひとつに、私たちもなりたい、と思う。「排除と狭量」ではなく、「自由と寛容」が、この国の民主主義をぶあつく、強くすると信じているからだ。
<安原のコメント>良識ある筆致の効果は? 一読しての印象では工夫を凝らした社説である。良識ある筆致ともいえる。しかしその良識なるものが、批判の対象である安倍首相という人物にどこまで通用するのか、その肝心なところが今ひとつ合点がいかない。勝手な想像で恐縮だが、この社説については論説委員の間でも異論があったのではないか。もし異論がなかったとすれば、活気を失った論説陣という印象が否めない。 社説の締めくくりである次の指摘には同感である。<「排除と狭量」ではなく、「自由と寛容」が、この国の民主主義をぶあつく、強くすると信じている>と。
▽讀賣新聞社説 デフレの海で溺れている日本を救い出し上昇気流に乗せなければならない。それには安倍政権が政治の安定を維持し、首相の経済政策「アベノミクス」が成功を収めることが不可欠である。当面は、財政再建より経済成長を優先して日本経済を再生させ、税収を増やす道を選ぶべきだ。 対外的にはアジア太平洋地域の安定が望ましい。日中両国の外交・防衛当局者による対話を重ねつつ、日米同盟の機能を高めることで、軍事的緊張を和らげねばならない。今年も「経済」と「中国」が焦点となろう。この内外のテーマに正面から立ち向かわずに、日本が浮上することはない。
<安原のコメント>讀賣らしく日米同盟強化で一貫 讀賣新聞はかなり以前から保守政権を支える役割を担ってきた。特に安倍政権の発足と共に熱の入れようも高まっている。特に今2014年元旦の社説は1ページの3分の2のスペースを占める超大型となって、異様な雰囲気をただよわせている。 その大型社説に盛り込まれている主張は、まず安倍首相の経済政策「アベノミクス」賛美論に始まり、対外政策では日米同盟の機能強化論で一貫している。讀賣社説は「日米同盟の機能を高めることで、軍事的緊張を和らげねばならない」と指摘しているが、軍事同盟の強化はむしろ緊張激化を誘発する恐れがある。軍事的に威勢がよすぎるのは危険というほかないだろう。
▽日本経済新聞社説 世界の変化の最たるものは、世の中に影響力を及ぼす地域が米欧からアジアへと移行、その傾向に拍車がかかっていることだ。地球規模でものごとがうごいていくグローバル化によるものだが、百年単位の長期サイクルで考えると、別に驚くに値しない。「アジアへの回帰」そのものだからだ。 国際社会の構造変革が進んでいるのである。その中心をなすのは、膨張する中国だ。軍事、経済などのハードパワーの増大を背景に、世界の力の均衡がゆらぎかねないところまで来つつある。米国で内向きのベクトルが働いているとすればなおさらだ。日本として、日米同盟というハードと、日本の文化と価値観というソフトのふたつの力をうまく使い分けるスマートパワーで、中国と向き合っていくしかない。
<安原のコメント>日本はスマートパワーを発揮できるか 一読後の印象は、なかなか示唆に富む社説といえる。「地球規模のグローバル化」と「百年単位の長期サイクル」で考えると、「アジアへの回帰」が顕著だというのだ。「アジアへの回帰」とは、中国を主役とする国際社会の構造変革の進行にほかならない。それに拍車をかけているのが「内向きの米国」の動向である。 以上のような「地球規模の大変化」という新潮流のなかで日本の果たすべき役割は何か。 ここに「日米同盟というハード」と「日本の文化と価値観というソフト」をうまく使い分ける「スマートパワー」なるものが登場してくる。しかし軍事中心の従来型日米同盟に執着する限り、有効なスマートパワーを果たして発揮できるだろうか。
▽東京新聞社説 強い国志向の日本を世界はどうみているか。昨年暮れの安倍首相の靖国参拝への反応が象徴的。中国、韓国が激しく非難したのはもちろん、ロシア、欧州連合(EU)、同盟国の米国までが「失望した」と異例の声明発表で応じた。戦後積み上げてきた平和国家日本への「尊敬と高い評価」は崩れかかっているようだ。 アベノミクスも綱渡りだ。異次元の金融緩和と景気対策は大企業を潤わせているものの、賃上げや消費には回っていない。つかの間の繁栄から奈落への脅(おび)えがつきまとう。すでに雇用全体の四割の二千万人が非正規雇用、若き作家たちの新プロレタリア文学が職場の過酷さを描いている。人間が救われる国、社会へ転換させなければならない。 何が人を生きさせるのか。ナチスの強制収容所で極限生活を体験した心理学者フランクルが「夜と霧」(みすず書房)で報告するのは、未来への希望であった。
<安原のコメント>「未来への希望」は期待できるか 「強い国」志向にこだわる安倍首相の鈍感さはもはや限界に来ているのではないか。その一つが昨年暮れの靖国参拝である。これには同盟国であるはずの米国が「失望した」と声明したほどだ。アベノミクスという名の景気対策も大企業は歓迎できても、二千万人にも及ぶ非正規労働者らには無縁である。賃上げや消費の増大にはつながらないからだ。上述の東京新聞社説は「人間が救われる国、社会へ転換させなければならない」との趣旨を指摘している。これは人間の存在そのものが否定されつつあるという日本の地獄のような現状への告発といえる。日本版「ナチスの強制収容所」から脱出して「未来への希望」を語り合えるのはいつの日なのか。
*「安原和雄の仏教経済塾」からの転載
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