ニューヨークタイムズには今年2月ロシアで開かれるソチの冬季オリンピックにちなんだ風刺漫画が掲載された。戦車に乗り、銃を肩にしょった兵士が壁に五輪のポスターを糊付けしている。そこには’A celebration of the joyous human spirit!'(楽しい人類の心の祝典!)と書かれている。戦車の腹部には大きくSECURITY(セキュリティ)と書かれており、兵士4人が周囲を監視している。ソチの五輪前にロシアではテロ事件が複数起きている。楽しい祝典と、ものものしい警戒態勢が矛盾していることを描いた1枚。
これを見て、想起されるのは2020年の東京オリンピックだろう。日本は確かにイラクや湾岸地域に自衛隊を派遣したものの、自衛隊は誰一人現地の人間を(たとえテロリストと見なされた人間であれ)殺していない。チェチェンに侵攻したり、アフガニスタンに侵攻したりしたロシアとはまったくイスラム圏の人間の<恨み度>は異なるはずだ。それでも安倍政権は6年後の東京オリンピックのテロを防ぐと言う名目で、今年の通常国会に「共謀罪」法案を提出する方針だ。いったいどんな事態を想定しているのだろうか。
共謀罪では未遂も処罰される。日本弁護士連合会によればちょっとした目配せでも共謀と解釈される恐れすらある。「黙示の共謀」と呼ばれるものだ。だから共謀罪が成立すると、デモもできなくなるかもしれない。政府の「テロ」の定義がはなはだ怪しいものだからだ。このことは特定秘密保護法案の審議の過程で顕著になったことである。もしデモがテロと見なされたとしたら、ツイッターでデモを呼びかけた人や、それを見た人も「テロの共謀」と見なされるかもしれない。石破幹事長は大きな声で訴えるデモをテロの一種と書いたウェブサイトの文言を削除したが、将来その運用を担当する担当官がどう解釈するかは不明だ。法案の条文が不明確だからだ。
以前に書いた記事の繰り返しになるが、特定秘密保護法案に書き込まれたテロリズムの定義に次のような文が含まれる。「政治的意見やその他の原則あるいは意見を国や他の人々に’強要’する行為」何をもって強要となるかは不明だ。これは現在のテロリズムの定義から大幅に範囲を広げるものである。この法案は国家が市民の思想・良心の領域に干渉することを許容する危険性を持っている。むしろ、与党はこのような曖昧さを残しておくことで直接逮捕取締りをしなくても、国民が委縮する効果を狙っているのかもしれない。市民を思想的な理由で逮捕すれば国際世論で叩かれるリスクがあるが、委縮させて自発的に行動しないようにできればそれに越したことはない。そのために、ちょろっと脅しめいた言葉を露見させておく・・・。
しかし、共謀罪の取締対象はテロに限らない。日弁連によると日本の刑法で共謀罪があてはまる犯罪は600に及ぶ。その意味で共謀罪は思想犯の取り締まりにも通じるものだ。だから、特定秘密保護法案以上に恐ろしい法案なのである。
戦前戦中の治安維持法を思い出させる「共謀罪」を新設するくらいなら、たかだかひと夏の祭典、オリンピックなどしない方がよほど楽しいと思えるのだが。どう見ても、「共謀罪」はオリンピックの警備という目的以上のものがある。どうしてもオリンピック(パラリンピック)の警備にこだわるのなら2020年の7月・8月・9月とその開催前後の時期だけ期間限定の特別法を制定したらどうなのか。
たまたま東京オリンピック開催が決定したから、それにかこつけているのだろうが、共謀罪が提案される背景には国際条約の批准が関係している。日本弁護士連合会のウェブサイトでは共謀罪がどのような背景で導入されようとしているのかということと、共謀罪の危険性について記している。
■日本弁護士連合会(日弁連)「日弁連は共謀罪に反対します」
http://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/icc/complicity.html 「政府は、共謀罪新設の提案は、専ら、国連越境組織犯罪防止条約を批准するためと説明し、この立法をしないと条約の批准は不可能で、国際的にも批判を浴びるとしてきました。法務省は、条約審議の場で、共謀罪の制定が我が国の国内法の原則と両立しないことを明言していました。刑法では、法益侵害に対する危険性がある行為を処罰するのが原則で、未遂や予備の処罰でさえ例外とされています。ところが、予備よりもはるかに以前の段階の行為を共謀罪として処罰しようとしています。どのような修正を加えても、刑法犯を含めて600を超える犯罪について共謀罪を新設することは、刑事法体系を変えてしまいます。現在の共謀共同正犯においては、「黙示の共謀」が認められています。共謀罪ができれば、「黙示の共謀」で共謀罪成立とされてしまい、処罰範囲が著しく拡大するおそれがあります。」
未遂や予備を広範な犯罪に適用したら、刑法の体系が大きく変わると日弁連は指摘している。共謀罪は過去にも法案が提出されたが、野党や国民の強い反対で廃案にされてきた。日弁連はウェブサイトで新たに共謀罪を制定しなくても、既存の法律で国連越境組織犯罪防止条約に対処可能だとしている。そもそも特殊な越境組織犯罪の取り締まりのために、日本人を対象にした国内法体系全体を激変させる必要があるのか、そのバランスが問われているのである。組織的な越境犯罪にからむ犯罪に限定すればよい、と考えるのが普通だろう。
「我が国においては、組織犯罪集団の関与する犯罪行為については、未遂前の段階で取り締まることができる各種予備・共謀罪が合計で58あり、凶器準備集合罪など独立罪として重大犯罪の予備的段階を処罰しているものを含めれば重大犯罪についての、未遂以前の処罰がかなり行われています。刑法の共犯規定が存在し、また、その当否はともかくとして、共謀共同正犯を認める判例もあるので、犯罪行為に参加する行為については、実際には相当な範囲の共犯処罰が可能となっています。テロ防止のための国連条約のほとんどが批准され、国内法化されています。銃砲刀剣の厳重な所持制限など、アメリカよりも規制が強化されている領域もあります。以上のことから、新たな立法を要することなく、国連の立法ガイドが求めている組織犯罪を有効に抑止できる法制度はすでに確立されているといえます。」
すでに予備や既存の共謀で逮捕できる犯罪が60近く存在しており、大半がこれで対応できると日弁連は主張しているが、提案されようとしている新たな共謀罪ではその10倍の600もの犯罪に適用されることになりかねない。未遂とか予備で逮捕できるということは犯罪の「現実の危険性」よりも、犯罪を犯そうとする「主観」を取り締まりの対象にする方向に向っているということだ。現行刑法では「殺してやる」と口走ってもそれだけでは殺人未遂にはならない。しかし、主観重視の方向に刑法の運用が進んでいくと、その人の思想に「危険性」があると判断されたら、実際に行動を犯していなくても、状況だけでそう解釈される余地を生みかねない。これこそ共謀罪法案が万一可決されたら日本の刑法体系を大きく変えると日弁連が主張している理由である。このような法案をまともな審議もなく、与党は再び強行採決の多数決で可決させてしまうのだろうか。
■「共謀罪のこと」
刑法学者・中山研一氏は共謀罪の危険性について書いたブログの中で元大阪高検検事長・東条伸一氏の危惧を引用している。共謀罪の新設によって警察庁が日本の刑事捜査体制も変える可能性があるというのだ。
「「法執行機関が相手にしているものは、ほとんどの場合、結果(あるいは未遂)が発生している犯罪である。捜査は、これらの結果が出た犯罪については、行為者から始まって、その背景には何があるのかということで進んで行き、共謀共同正犯にまでたどり着く。ところが、今後の共謀罪というのは、後ろの結果の部分がない。いきなり共謀のみが問題となる。結果から遡って捜査を進めてきた現場の捜査官とすれば、共謀というのは非常にやりにくい。本気になって捜査する気なら、特別の捜査官を作らざるを得ないだろう。」」(中山研一の刑法学ブログより)http://knakayam.exblog.jp/5736928/
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