アメリカの文物は10年か20年かはともかく、少し遅れて日本に入ってくると言われてきた。今日本に力づくで導入されようとしているのが「テロとの戦い」である。その前例は米国のブッシュ政権時代に生まれたテロ対策の一連の法案であり、また言論統制である。
この時代に抗して作られた映画がジョージ・クルー二―監督の「グッドナイト&グッドラック(Good Night and Good Luck)」だった。アメリカで公開されたのはイラク戦争開始から2年後の2005年。「グッドナイト&グッドラック」が描いたのは冷戦勃発を機に、アメリカで思想・良心・言論の自由を抑圧した時代=1950年代前半のいわゆる「赤狩り」と戦った1人の放送ジャーナリスト、エド・マローとその仲間たちである。マローらは赤狩りの中心となっているジョセフ・マッカーシー上院議員(共和党)の発言を分析することでマッカーシー上院議員のペテンの手法を1つ1つ暴き、彼を追い込んで行った。この映画でも、記録フィルムを相当量使ってマッカーシー上院議員の嘘や矛盾を暴露していく検証プロセスが映画の核になっている。
しかし、この映画は政治を扱っているにも関わらず、わかりやすい。ここからは憶測なのだが、クルーニー監督は主演のマローを演じる俳優にデヴィッド・ストラザーンという人を抜擢した。この人は決して無名ではないにしても、日本人からするとぱっとわかる俳優ではない。あの独特のきりっとした苦み走った顔はブラッド・ピットとは違う大人の顔である。その系譜をたどれば「ハイ・ヌーン(真昼の決闘)」で悪漢3兄弟に1人で立ち向かう保安官を演じたゲイリー・クーパーではなかろうか。クーパ―とストラザーンが似ているのである。クルーニー監督はこの類似をあえて狙ったのではないか、というのが筆者の憶測である。
仮にそうであるならば、アメリカ人の大衆の中に潜むヒーローへの待望をうまく利用してこの映画は構成されている。テーマは政治を扱っているけれども映画の仕組み自体は、つまり構成的にはヒーローである保安官が悪漢を倒す西部劇なのである。これがわかりやすさの原因ではないかと思えるのだ。高度に政治的な論戦を西部劇の構成に落とし込んでくことで大衆が共感できるドラマに仕立てたのではなかろうか。この映画を西部劇風に見てみよう。
当初は無法に力をふるまう悪漢たち(赤狩りを行う面々)によって、町の住民に被害が出ている。彼らは弱い者いじめが大好きだ。しかし、皆恐れおののいており、誰も抵抗できない。そんな中、ついに1人の保安官が立ち上がる。彼を支える仲間たちもいる。保安官の行動に悪漢が怒り、決闘を受けるという(これが放送での両者の対決となる)。その準備の段階における保安官らの葛藤や恐怖、そして孤立。ついに決闘の日が来る。保安官は悪漢を倒す。しかし彼の仲間も殺されたり、傷を負ったりする。
こうした西部劇の伝統に政治劇を落とし込んでいるので、アメリカ人の観客なら、次にどのようなアクションが来るかは肌で理解できるはずだ。クルーニー監督はその対決=クライマックスに向けて映画を盛り上げていく。「真昼の決闘」もまた決闘に至る過程で様々な葛藤が描かれるが、最後に撃ち合いが始まり、保安官が勝利する。クルーニー監督は革新的な内容のこの映画を、「西部劇」に仕立てることによって最も保守的なメンタリティーの持ち主でも共感できる映画に仕上げた。映画のクライマックスの直前で、マローの仲間の放送ジャーナリストの夫婦がこんな会話をベッドで交わす。
夫「もし僕らの戦っている相手が正しいとしたら?何が正しいかなんて簡単にわからないだろう?」 妻「だとしても人権や憲法を失ったら終わりなのよ」
最終的に問われているのはイデオロギーではなく、力の横暴、圧制に市民が立ち向かうという物語である。これは民主党や共和党といった党派を超えて、アメリカの原点である独立宣言を想起させるものである。アメリカが独立したのは宗主国である大英帝国の横暴と圧制に植民地の市民が集結して力で打ち勝ったからであり、米国民は独立と建国以来、いかに自由を勝ち得たかという、その物語を原点にしているのだ。
1953年〜54年当時の共和党はソ連と戦う必要性を盛んにを訴えていたが、そのためにスパイの摘発を行うと称して、共和党自ら米国民の思想・良心・言論の自由を奪い、ソ連に似てきた。だから、エド・マローは「自由を訴える国が自由でなければ同盟国がどうしてついてくると思うのか」と語りかけている。この同盟国にはもちろん日本も含まれている。
アメリカ人の映画評論家オーディ・ボック氏は米国の脚本教育では「西部劇」、「恋愛ドラマ」、「アクション映画」といったように分類してそれぞれのパターンに沿ってシナリオを書けるような職人教育が行われていたと語っている。大切なのは技術と型であり、個性は教えるものではないのだ。だから、ひとたび型=ドラマの構成作法を習得していれば素材が何であれ、型に落とし込んでいくのは難しいことではない。
赤狩り時代にパージされ(業界を追放され)、実名で作品を発表できなくなった脚本家にドルトン・トランボという人がいる。彼が赤狩りに抗しつつも、生き延びることができたのは商業作品を仕上げるテクニックを持っていたからだ、とどこかで語っていたのを読んだ記憶がある。赤狩り時代、彼は変名で脚本を書いていたのだ。トランボは後に自らメガホンを取り、反戦映画「ジョニーは戦場へ行った」を監督している。しかし、彼は映画で主義主張をストレートに語ったのではなく、映画の基本は娯楽性=面白さにあることをよく知っていた。
■マッカーシズム
「第二次世界大戦後の冷戦初期、1948年頃より1950年代前半にかけて行われたアメリカにおける共産党員、および共産党シンパと見られる人々の排除の動きを指す。1953年より上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務め、下院の下院非米活動委員会とともに率先して「赤狩り」を進めた共和党右派のジョセフ・マッカーシー上院議員の名を取って名づけられた。」(ウィキペディアより)
実際には共産党と直接関係のない人はもとより、一度でも集会に顔を出したというだけでも嫌疑の対象となった。また、国務省だけでなく、映画業界でも赤狩りは進められていった。この赤狩りで特徴的なのは他人を告発すれば免罪されるという方式であり、これによって多くの人が喚問され、自殺者も多数出ている。余談ながらエロ雑誌と揶揄された「プレイボーイ」が創刊されたのが1953年であり、創設者のヒュー・ヘフナー氏はこのとき、思想の自由を擁護するため、未来型独裁国家の悪夢を描いたレイ・ブラッドベリのSF小説「華氏451度」を連載した。
■ボック先生 〜日米のシナリオ教育の違い〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201205031452044
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