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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2014年02月03日10時28分掲載
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検証・メディア
「2ちゃんねる化」する議論 藤田博司
2014年年頭の安倍晋三首相はご機嫌上々のように見える。年明け早々、中東・アフリカ4か国を訪問、「首脳外交」を軽々とこなしている。昨年暮れには靖国神社を参拝し、懸案の国家安全保障会議(日本版NSC)も始動した。特定秘密保護法は、年内の施行に向けて着々動き始めている。首相にとっては万事思惑通り、晴れ晴れとした気分かもしれない。
しかしそれとは裏腹に、世間の空気はいまひとつすっきりしない。尖閣諸島や歴史認識をめぐる中国、韓国との関係はいっこうに改善の手がかりも見つからない。靖国参拝については米国や欧州連合からも批判された。そうした問題をめぐるメディアの報道や議論にささくれ立ったやりとりの目立ち始めていることが気にかかる。
▽靖国参拝に賛同する声 首相の気分を良くする材料はいたるところに転がっている。首相が暮れの26日、靖国参拝の事実をフェイスブック上に「報告」すると、「いいね」のボタンを押したものが4時間余りで3万件を超えたという。靖国参拝を問う世論調査では、「評価する」38・1%を「評価しない」53・0%が大きく上回ったが、20代、30代の若年層では賛否が逆転して「評価する」声が大きかった。参拝を批判した中国、韓国政府に対しては「納得できない」とする声が67・7%と多数を占めた(産経新聞1月6日)。
同じ靖国参拝についてヤフーがインターネット上で年末年始の10日間にわたって行った「意識調査」(世論調査ではない)では、首相の参拝を「妥当」とするものが76・3%、「妥当ではない」とするものが23・7%だったという。
また昨年12月に秘密保護法を強行成立させた後、世論調査で一時50%を下回った安倍内閣の支持率が、新年に入って各社の調査で反転、回復傾向を見せている。いずれをとっても、安倍首相にとっては好ましい結果だろう。
しかしこうした数字を支えているのがどういう人たちかを見ると、正直なところ気鬱にならざるを得ない。首相のフェイスブックにアクセスして「いいね」のボタンを押したりコメントを書き込んだりできるのは、首相の「お友だち」として承認された人たちばかりだから、首相にもともと好意的であることは疑いない。したがって「いいね」の数が多いことにも不思議はない(そもそもフェイスブックには「だめね」のボタンがないから批判的な反応は示しようがない)。当然、靖国参拝について書き込まれたコメントも参拝に賛同するものが圧倒的に多数を占める。「戦争で亡くなった英霊にお参りするのは国民として当然」「(中国や韓国など)他国からとやかく言われる筋合いはない」「外国の反応を気にすべきではない」「(参拝で)毅然とした態度を示した。ブレがなくていい」などといった意見が並ぶ。
▽寛容さ欠く一方的主張 こうした意見に対して時折「(過去の戦争に思いをいたして)相手国の立場にも配慮しては」といった指摘もあるが、たちまちそれに反発する書き込みに埋もれてしまう。「(参拝を)批判するものは日本人ではない」「お前は在日(朝鮮人)だろ」「日本が嫌いならさっさと出ていけ」などといった、口汚い非難が浴びせられる。
残念ながらここには、日本の首相が靖国神社に参拝することの意味や問題を考え、冷静に議論する空気はない。批判的な人がその意見を述べようにも、首相はもちろん、賛同者にも耳を貸してもらえる余地はゼロに等しい。首相やその取り巻きの人々はこうしたフェイスブックへの書き込みから一体何を読み取っているのだろう。圧倒的な数の賛同者とその意見に満足し、自分の行動(あるいは政策)が多数の国民の支持を得ている、と確信を深めているのだろうか。
だとすれば、この国の民意が誤解される心配が小さくない。少なくとも、ここに表れた意思表示からは、政府に批判的な人たちの声はほとんど完全に抜け落ちているのだから。
インターネット上の意見交換や議論は、多くの場合匿名で行われるため、とかく過激になりやすい。極端に攻撃的になり、一方的な非難、罵倒が繰り返されがちになる。靖国問題などの議論では「ネット右翼」(ネトウヨ)と称される人たちの)側から、首相の参拝を批判する側に「反日」「アカ」「非国民」などのレッテルが投げつけられる。相手に対する寛容さはかけらほどもない。
フェイスブックは実名が原則なので、匿名の投稿サイト、2ちゃんねるやツイッターでの発言に比べれば抑制が効いている。が、それでも議論によっては、罵詈雑言の類も紛れ込んでくる。本来なら冷静に理性的に尽くすべき議論が、相手の立場を理解しようとする姿勢もない、一方的で独りよがりな主張の応酬になっている。議論の「2ちゃんねる化」が進んでいるように見える。
▽ささくれ立つ空気 議論の「2ちゃんねる化」は報道の世界にも忍び寄っているように見える。今年元旦の産経新聞の論説「年のはじめに」は、中国の軍事力拡大の脅威を指摘して国を守る「力」の必要を強調し、集団的自衛権行使の容認と憲法改正を訴えた。そのなかで、特定秘密保護法をめぐる報道で戦前の「治安維持法まで引き合いに出して不安をあお」った「一部メディアの論陣」を「噴飯ものだった」と決めつけ、「ナンセンスな議論」と一蹴していた。この表現に表れた論者の姿勢は、対立する意見を尊重する、あるいは理解しようとする意思をまったく持たない、不寛容さを示している。
昨年12月、政府・与党が強引な国会運営で成立させた特定秘密保護法をめぐる報道では、法案を支持するメディアと、これを批判するメディアの立場が明確に分かれ、ニュースの扱いにも際立った違いが生じた。メディア、とりわけ新聞がその政治的主張や立場を異にするのはありふれたことだが、批判をする場合にも通常は相手の立場にも敬意を払い、表現にも一定の配慮がなされる。「噴飯もの」といった表現が論説のなかで相手の批判に用いられるのは、冷静な議論が放棄されて、ささくれだった「2ちゃんねる的」状況がはびこりつつあること示しているのではないかと思われるのである。
単に表現だけの問題ではなく、議論の姿勢にも「2ちゃんねる的」空気が読み取れる。同じ産経新聞の12月27日付社説(主張)は、安倍首相の靖国神社参拝を「国を守る観点からも必要不可欠な行為」と言い、中国、韓国からの批判を「いわれなき非難」と一言で片づけている。相手の立場や言い分に耳を貸す意思はまったくないし、まして近隣諸国との外交関係に配慮して対処しようという慎重さも読み取れない。そうした社説子の姿勢は、フェイスブックの「いいね」に励まされて元気いっぱい、強気の政治を推し進めているかに見える安倍首相のそれと二重写しに見えてしまう。
▽気が付けば笑えぬ事態に このほど封切られた山田洋次監督の映画「小さいおうち」(原作は中島京子著、直木賞受賞作)は、昭和前半の中流家庭の家族模様を女中の目を通して描いたものだが、支那事変から始まり敗戦に至る15年戦争の時代背景がうまくとらえられていて興味深い。当初は日本軍の勝利の報に国民は提灯行列だの百貨店の大売り出しだのと浮かれているうちに、やがて物資の統制や配給、食糧不足に見舞われ、気が付けば言いたいことも言えない息苦しい社会になっていた。軍国主義は多くの国民がそれと気づかぬうちに忍び寄り、国民をがんじがらめにしていたのである。
特定秘密保護法案をめぐって、多くの新聞は戦前の治安維持法につながる恐れを指摘して批判した。日本が戦前の社会に後戻りしていることを懸念する声も強かった。法案を支持した人たちはそうした恐れや懸念を杞憂だと言った。産経の元旦論説は「噴飯もの」と笑った。しかし「小さいおうち」はそれが笑って済ませられないことを教えてくれる。
*『メディア展望』2014年2月号からの転載記事
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