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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2014年03月02日03時50分掲載
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コラム
「戦争の美しさ」を語る物語 〜感動と昂揚の戦争物語は戦後一貫した売れ筋商品〜 そして再び戦争は始まる
安倍政権が戦争に向かっていると危惧する人々がいる一方で、依然安倍政権の支持は高い。東京都知事選でも安倍政権が支持する舛添候補が圧勝となった。そして、安倍総理は特攻隊員の物語を英雄的に描いたとされるベストセラー小説を書いた百田尚樹氏をNHKの経営委員に推した。
戦争について高齢者から今の若者たちは戦争の本当の怖さを知らない、という声が出ている。しかし、一方で高齢者の中にも戦争を辞すべからず、という人はいる。戦後、戦場に出かける若者たちを英雄的に描いた戦争映画はヒットしてきた。私の父なども戦争映画のファンで、戦争映画ならハリウッド製だろうが、日本製だろうがおかまいなしだった。
そこには過酷な戦地での友情や愛国心が感動的に描かれている。賛美されるのはアメリカなどの連合軍の側である場合が多いのだが、いずれにせよ、そうした戦争文化を戦後、ずっと継続してきたことは事実なのである。私も子供の頃、少年漫画誌で零戦の戦いや特攻隊員を描いた感動の漫画を読んだ記憶がある。本土空襲から日本を守るためにB29に命を捨てて体当たりする零戦の戦いはカット割りまで思い出せるくらいだ。反戦物語も少なくなかったが戦争を英雄的に描く物語も多かった。だから何も最近になって急に戦争ものが増えたわけではなく、実際には昭和30年代とか40年代の映画や漫画にはたくさんのこうした戦争ものがあったように記憶するのである。
また、デジタル技術を使ったゲームの世界でも敵と戦う物語に日常若い人々はいそしんでいる。それらのゲームもパンチが炸裂すると赤い血が飛び散るなど、日々リアルさを増している。報道やドキュメンタリーでも戦場ものは商品価値が高い。
人類の内面の中にある戦争好きの傾向を直視せよ、と警告してきた作家の一人がイタリアのアレッサンドロ・バリッコである。戦争は悲惨だが、同時に戦争は美しくもあり、日常では体験できない昂揚感もあると説く。そこを直視せず、戦争は悲惨だ、とだけ繰り返し説いてもアピールする力は弱いというのだ。
若者の心の中に日本に頑としてあるヒエラルキーの拘束から逃れたいという欲望はないのだろうか。もちろん、軍隊に入ればそのヒエラルキーはもっと堅固なのだが。戦争も悪くない、戦争もやむなし、と考える人々は今に限ったわけではなく、人類が始まって以来脈々とその好戦的な文化は受け継がれてきた。そこで再び拙稿ながらバリッコの「イリアス」という戦争物語について書いたものをここに採録したい。バリッコは戦争を愛する文化に代わる文化が生まれない限り、戦争はなくなることはないと説く。しかし、逆に言えば現代は戦争文化なのだから戦争はこれからも繰り返し起きるだろう。
■アレッサンドロ・バリッコ著「イリアス〜トロイで戦った英雄たちの物語〜」
「イリアス」はもともとは古代ギリシア時代にホメロスが書いた詩から構成された戦争の物語である。近年、ブラッド・ピットが英雄アキレスを演じたハリウッド映画「トロイ」のもとになった物語と言った方が早いかもしれない。ギリシアの連合軍が難攻不落だったトロイアをついに陥落させる話である。しかし、攻めるギリシアの軍勢もアキレスをはじめとして英雄たちは次々と命を失っていく。
この話を現代イタリアの作家アレッサンドロ・バリッコ(Alessandro Baricco)が脚色して現代に蘇らせようとした。劇場で全編朗読したら40時間もかかってしまう話をテンポアップし、普通の劇の長さまで刈り込んだのである。そして実際に2004年にローマとトリノで朗読劇として上演された。なぜ、そんなことをしたのか?バリッコはその動機をあとがきに付されている「もうひとつの美―戦争についての覚書」の中でこう記している。
「今日、わたしたちは「イリアス」を読むことが、あるいは今回わたしが行ったように「イリアス」を書き換えることが、特別な意味を持つ時代に生きている。すなわち戦争の時代だ。・・・「イリアス」は戦争の物語、しかも中途半端でない正真正銘の戦争物語だ。戦う男たちを歌い上げるために、子々孫々いつまでも歌い継がれるような見事な手法でもって書かれた物語なのだ。ここに歌われているのは、厳粛な美の世界であり、究極の昂揚感だ。そしてそれらは、今までも、これからも、戦争を通してしか得られないものなのだ。」
「イリアス」は戦争を称える記念碑だという。では、なぜバリッコはそれを現代に蘇生させようとしたのか。戦争フリークなのか。そうではない。バリッコは様々な戦争物語がある中で、なぜ自分が「イリアス」に惹きつけられるのか、その謎を解明したかったと執筆の動機を語っている。
「思うに、この物語だけでなく、すべての戦争の物語とわたしたちの関係を根底から解明しない限り、そして、語るという行為を一瞬たりともやめることができないわたしたちの性について根底から理解しない限り、真の答えを見つけることはできないのではないだろうか。・・・今日、大半の人類にとって戦場に赴くということがほとんどありえないことになった時代にあっても、いまだに、職業軍人たちによる代理戦争という形で昔ながらの闘争精神は燃えつづけている。このことは、戦争の昂揚感がなくても生きる意味を見つけるということがわれわれには根本的にできないのだという事実を示している。ここ最近の欧米やイスラム世界における軍事的出来事を見ると、隠そうとしても隠しようのない、力を誇示しようとする男性的な側面が露わで、人間の戦闘本能が1900年代の悲惨な戦争体験によってもどうやらまだ消滅していないということがわかる。」
このことは現代人も身の回りを振り返ってみればわかるだろう。世界を制覇しているハリウッド映画の多くは戦争や暴力をモチーフにしている。そこには感動が満ちている。「プライベート・ライアン」のような反ファシズム的内容を持つ映画にしてもそうである。主演のトム・ハンクスは一人のGIを無事アメリカに連れ戻すためにドイツ軍と戦い、命を落とすことになる。命を救われたGIは後年年老いてこう自問する「私の人生は彼の犠牲に値するだけの価値ある人生だったのだろうか」と。シンプルで胸を打つメッセージである。戦争の中で生きる意味や友情の価値が見えてくるのである。こうした映画は数多く、しかも感動を呼ぶ作品が少なくない。バリッコはそうした我々の心を直視する必要がある、という。
「「イリアス」がわたしたちに教えてくれることは、今日、いかなる種類の平和主義も「イリアス」が語る戦争の美しさを、あたかもそのようなものは存在しなかったように、忘れたり、否定したりしてはならないということかもしれない。戦争は地獄だ、とだけ教育するのは虚偽であり、害をもたらす。むごく聞こえるだろうが、戦争は地獄ではあるが美しいということを、忘れてはいけないのだ。」
バリッコは人類がその灰色の日常から解放される唯一の方法としてこれまで戦争をとらえてきたという。「わたしたちがほかの種類の美学を創出できないかぎり、戦争の与えてくれる昂揚感がなければわたしたちは生きていけないのだということを理解する必要がある」としている。
こう語るバリッコはリアリストである。バリッコは今日の平和は必ずしも思想としての平和が人類に定着したからあるわけではなく、それは現実の力の均衡によって保たれてきたに過ぎないと考える。
バリッコは数多くある戦争物語の中でも「イリアス」に惹きつけられる真の理由として、「イリアス」が戦争賛美の物語であると同時に、そこには戦争を回避しようとする心があるあらだと指摘している。トロイ戦争の一番の英雄、アキレスは「イリアス」の中で、実はもたもたと戦いを一番避けようとしていた人物だというのだ。軍勢もあれこれ理屈をこねまわしながら戦争突入になるのを引き延ばそうとする。バリッコは「もうひとつの美―戦争についての覚書」で、アキレスを戦争の悲惨さから救い出してやることを考えよう、そのための別なる美を創出しよう、とこの論を結んでいるのである。
■アレッサンドロ・バリッコ「イリアス〜トロイで戦った英雄たちの物語〜(Omero, Iliade)」(草皆伸子訳、白水社)
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