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2014年04月17日14時13分掲載
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文化
【核を詠う】(150) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(7) 「ああ原発 人の脳もぽろぽろと事故の風化が進みゐるらし」 山崎芳彦
福島の歌人グループ(翔の会)による季刊歌誌『翔』(編集・発行人・波汐國芳)の第35号(平成23年4月発行)から読み始め、今回は第45号、第46号(平成26年2月発行)を読ませていただくが、2013年3・11の東日本大震災・福島第1原発の壊滅事故発生直後から今日に至るまでの期間に「翔の会」に参加する福島の歌人たちが詠い続けてきた作品から、原子力詠を抄出してきたことになる。「翔の会」の諸氏のご好意によるものであり、筆者の力不足から意に添わないことも少なからずあったことと、感謝しつつお詫びもしなければならない。今回で、この一連は一応の区切りとし、今後発行されていく『翔』をまた読ませていただく機会を待ちたい。「翔の会」に拠り、福島の地にあって作品を発表し続ける皆さんの歌人魂により、なお続くであろう厳しい日々のなかで紡がれる作品の真実と、皆さんのご健勝を願う思いは切である。
『翔』の作品を読んでくるなかで、福島原発の壊滅事故が人々の生きる現実に何をもたらしたのか、とりわけ核放射能が人をはじめ命あるもの全てに、自然環境を汚染しながら、心身、生命活動におよぼした影響は、やはり深刻きわまりないものであることを痛感させられる。原発の破滅的事故の最も大きく深刻な災厄は核放射能の排出によって生命、健康、生活環境が汚染され、危険に満ちた状況の中に置かれて生きる、生活することへの底知れぬ不安と恐怖である。そしてそれはこれまで現実に人間が経験してきた、広島・長崎の原爆によるさまざまな被害やビキニ環礁における水爆実験による被害、チェルノブイリの原発事故による被災の悲惨にもつながる。それぞれの条件は同じではないから、同じことがあるとはいえないが、しかし原子力放射能による汚染と放射線被曝に身をさらさなければならない、生活のあらゆる場面でそのことを考えなければならないことは、容易に心安く生きることを許さないことである。多くの短歌作品は、その人々の思い、生活の具体を、さまざまに明らかにした。
そうした中で、今、「加害者」である政府や電力企業、原子力ムラの構成者達は何をしてきて、何をしようとしているのか。政府が4月11日に閣議決定した「エネルギー基本計画」は原発の再稼働にとどまらず新増設までをも進めようとするものであり、あの原発事故を起こし、人々に多大な犠牲を強い、苦難は今も続き、放射能は天に地に海に山にあって核放射線を出し続け、人間の体内においても破壊活動を続けている、福島原発の事故の原因糾明も、事故原子炉の実態も明らかでない・・・。再稼働する原発の安全性も結局は「神話」の中であり、基準適合審査を行う規制委員会は絶対安全を保障する事はできない。ことばでは、福島第1原発事故による深刻な被害などと書きはするが、放射線被曝問題については決して書かない。
そして、政府の関係省庁連名で「放射線リスクに関する基礎的情報」なる冊子を公表し、放射線リスクを「健康影響は無い」とすることを基調とするデータと解説をまとめあげ、人間生活の身の回りには自然由来の放射線があり、放射性物質のなかで生きている、などと、原発事故がなくても放射線被曝はあるのだなどという言説を流布している。学校教育でも、医学、保健、生活関係の講演会や、さまざまな機会に放射線リスクに関する「情報」を広め、「放射線安全神話」を定着させる組織的な取り組みが展開されてもいる。特に、福島県の避難指示対象市町村の区域見直し―避難指示解除後の早期帰還促進のための「帰還に向けた放射線リスクコミュニケーション施策パッケージ」には、原発事故被災者の生活の現実、置かれている状況、心情を迷路に追い込むような原子力ムラ発の情報、教育を進める手法が記されている。原発維持・再稼働のためには「放射線安全神話」が欠かせないということであり、福島の被災対策についても放射線リスクについての「不安解消」による「合理化」を図ろうとしている。
3月25日付の毎日新聞には、内閣府の原子力被災者生活支援チームが、避難指示解除予定地域で昨年実施された個人線量計による被ばく線量調査結果について公表を見送っていた事実を伝えたが、その理由は「当初の想定より高い数値が出たため、住民の帰還を妨げかねない」という意見が強まったためだと言う。昨年9月、田村市都路地区、川内村、飯館村の3ヶ所で実施(原子力機構と放医研が支援チームの要請を受けて実施)した個人線量計を設置しての測定結果のデータが、予測していた数値より高かったのだが、それを公表すると住民の帰還を促したい政府の方針に合わないため、非公表の措置をとったわけだ。 その後、そのデータについて、生活パターンの屋外時間を短くする操作を行って推計値を低く抑えた報告書を作成して、3月に支援チームに提出されたという。避難指示解除の根拠として利用されるデータが「作られた」といえる。このようにして「安全神話」の素材が創られ、構成されて、情報として発信されることを思うと原子力社会維持を進める勢力の非道、理不尽の一端であるといわなければならない。
さらに、4月13日付の毎日新聞は、外務省が先月中旬(3月17日)に「報告書を作成中のIAEA(国際原子力機関)から要請された」として、福島県の自治体にメールで内部被ばくなどの測定データ提出を求めていたことを報じている。それによると外務省のメールには「他の国際機関より被ばくを小さく評価される」との見通しを示しているとされ、メールを受け取った自治体の半数が「健康影響を矮小化されかねない」「個人情報をメールで求めるのは非常識」として提出を断わったとも報じている。同紙はメールの抜粋を掲載しているが、「特に、内部被曝に関しては、実測地と被ばく量評価に、さまざまな過程や考え方があり、IAEAは自らWBC(ホールボディカウンター)で測定された実測値から被ばく量への評価を行い、他の報告書よりも現実の値が小さい、ということを検証しようとしています。」とされていることが明らかになっている。
福島原発事故の被災、人々の苦難はこのようにして、権力・原発推進勢力によって真実、実態を歪められ、隠ぺいされ、軽視されている。しかし、福島の歌人の多くが自らの体験や生活の実際や触れてきた事実を根底にして、原発・放射能禍にかかわる作品を詠い続けている。 『翔』の作品から原子力詠を読もう。7回にわたって読み続けてきて、今回がとりあえず最後となるが、今後発表される作品に接する機会を期待する思いは大きい。
◇『翔』第45号(平成25年11月30日発行)抄◇
▼鈴木紀男 向日葵は太陽の裔咲きながら悲しき夏にうなだれてゐる 暁の夢破れたるところには咲き乱れたる向日葵の花
▼波汐國芳 津波に遭ひ 被曝にも遭ひ死者ら今レントゲンから出て来たやうな 放射線多き街なれ 朝の陽に骨をも透きてや行き交ふひとら
▼伊藤正幸 震災の対策ひとつにまとまらず古里日々に遠退くばかり
▼橋本はつ代 セシウムにかかはりなきや亡き夫が育てし桃の実枝をしならす 放射能いまだ漂ふ菩提寺に聞く法話なり震へつつ聴くも わが作るトマト胡瓜の放射能ゼロにてあれど娘ら振り向かず 仮設住まひいつまで続くか終の場所失くしし友が声震へ告ぐ
▼児玉正敏 そこここに桃栗林檎の切り株がセシウム憎しと言ふが如くに 線量の数値横目に束の間を幼と遊ぶ青空高し いまいちど水も空気も産土も智恵子のやうに清らかになれ 食まぬゆゑ筍次々蹴飛ばしぬ足の親指痛みてもなほ セシウムの検査続けて三年目われの筍晴れるのは何時 電線よそなたに恨みなけれども流るる電気がぴりぴり叫ぶ くはへたる内視鏡なる怪物は生きてゐるがにわが腑を探る 公約を微分に微分に繰り返しかの政党の欺瞞を暴く
▼古山信子 避難より戻りし孫の運動会セシウム飛ばせと応援旗ふる
▼薗部晃 被曝して外に遊べぬ悠人君玩具の電車を部屋に走らす その父が名付けし電車の「セシウム号」に悠人はレール点検中なり 「セシウム号」孫の悠人の電車なり始発はいつも起床時にて
▼御代テル子 二年振り解禁なりし花見山被災の吾も癒されてをり 雪残る吾妻の山を眺めをり種まき兎が吾を招くや
▼桑原三代松 我が庭のセシウムはまだそのままに今日も隣町の除染か セシウムの付く表土なり剥ぎ取るも行き先の無くシートを纏ふ 鶯も止まりて鳴く故郷や除染の鍬を今日も打つなり
▼三好幸治 文明は原爆事故なる刃生み止血の目処なき惨事に喘ぐ 福島に除染の効果有らしめよ再生の神もしも在さば
▼上妻ヒデ 被災地の支援を終へて戻り来し教へ子なれば黙して語らず 被災地の教へ子よりのメールなり負けてはをれぬ頑張りますと
▼波汐朝子 原発の汚染水漏れに故里の水揚げいよいよ遠退きゆくも 古里の海開きとふを諾へず食へぬ魚泳ぐ それでもいいか 震災後三年ぶりの磐梯を映す瑠璃沼に迎へられたり 原発の風評ここ迄登りしやホテルの幾つ閉ざししと聴く オリンピック招致にまでを翳おとす原発事故の政治に焦ら立つ
◇『翔』第46号(平成26年2月1日発行)抄◇ ▼三瓶弘次 今さらに絡繰りあるを糺すまじ徒結びなる原発立地は
▼波汐國芳 髪燃えて老いらが雪を運ぶさへセシウム運ぶ音かと思ふ 雪深野セシウム深野 目つむればありありと立つ鬼火なりけり 雪下ろし 余剰なるもの次々に掻き下ろしゆく身ぬちの闇も 福島よ頑張れの声 被曝地のもつと怒れの声と曳き合ふ 「福島よ頑張らう」の幟を景として括りに夕陽のあかんべ置くも 鬼遣らひの豆もて打つを吹雪く中セシウムの鬼 福島の鬼 セシウムに差ししは水ぞセシウムを奮ひ起たさむ術ならざるに セシウムは悪霊なるを六十余年居座るとふそのしたたかさ セシウムは炎立つ鬼 闇深野分けつつ来るをわれの死後まで この国の深みに沈みをりたるを嘗てオキナワ 今はフクシマ
▼伊藤正幸 ああ原発 人の脳もぽろぽろと事故の風化が進みゐるらし 原発事故余所事なりや原発の避難者十五万余を抱へつつ 核発電の不安などなきあの夜の水底ごとき青き蚊帳恋ふ 微量なるセシウムと言へど取り込めば湿りに息づく黴のごとしも 孝の始めと古人言ひしを吾と子の身体髪膚にまでもセシウム 放射能に汚れし野山思ひつつわれの身体を湯殿に洗ふ デモクラシー 犠の如くに沖縄とわが福島に押し付けしもの 放射能帯ぶる獣ら跋扈する闇を折々目瞑り思ふ
▼橋本はつ代 香茸のセシウム高きがあばかれてわが古里に山の幸なし 採りて来し香茸の線量高ければ捨てつつ流す葬送の曲 昔ながらの有機栽培目指ししを山の畑はセシウムまみれ
▼児玉正敏 庭隅に福寿草三つ顔を出す放射能禍を払ふが如く 安寧を守るは国と信ずれど発する声は野山を越えず
▼古山信子 ただ一日桜木に来て鳴く蝉が除染まだかと声ふりしぼる
▼渡辺浩子 原発が攫ひし海にも虹かかりわが古里の空の広がり 「三歳になりましたあ」と階下より孫答ふるるに遠き被曝日 太麺の浪江焼そば食みし時避難生活の人等を想ふ 秋桜の咲いてゐる朝しづかなりセシウムさへも忘れさせるよ
▼薗部 晃 汚染田の草刈り済ませ明日はゆく「原発さよなら」目指す集ひに 帰還困難二十年とふ線引きに終の住処を探す友なり 原発事故「仮設」住まひの人らなり村人たちと溶け合はぬ 何故 私にはわからぬ一つこの国に原発事故の責め問はれぬを 判例に言ふ「放射能は無主物」『責任なし』納得しますか 原発の事故に放ちし牛たちの戻りきたるか群れなし歩く 野生化のならざる牛かとぼとぼと舗装道路をさ迷ひ歩く 避難区域と言へども信号灯りつつ六号線は牛の道なり 「牛身事故」とふ用語欲しかり野放しの牛と車の事故の多きに 老農の吾には届かぬ数値なりセシウム半減三十年は
▼中潟あや子 こぼれさうわたしの湖がいつぱいでいつまで水平たもてるだらう
▼三好幸治 水量と落差を誇る黒部ダム放射能などあらぬが誉れ
▼波汐朝子 庭占むる夕顔の花被曝禍に沈める吾を励ます如し セシウムのゆゑか今年も夕顔の花白々と大輪あまた 除染とぞざつくり庭土剥がされむ眠れる球根助け出さねば
次回も原子力にかかわる短歌作品を読み続ける。 (つづく)
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