5月5日は「こどもの日」である。この機会に「日本国憲法と平和」というテーマで考え、提言したい。未来の成人である、今のこどもたちのためにこそ、平和憲法は、守り、生かしていかなければならない。そこで憲法記念日に論ずべき「平和と集団的自衛権」というテーマをあえて「こどもの日」に掲載する。 安倍政権は集団的自衛権の名の下に、横柄な思い上がりともいえる姿勢で戦争を志向しつつあるように見受けられる。私はその昔、小学生のころ、あの大東亜戦争、米軍による本土空襲、広島・長崎への原爆投下による惨劇を目の当たりにした体験者(1935年=昭和10年=広島県生まれ)の一人である。軍事力行使を軽々に弄(もてあそ)ぶかのような振る舞いを許すわけにはいかない。(2014年5月5日掲載)
2014年5月3日の憲法記念日に大手紙社説は、安倍政権が目指す集団的自衛権と平和についてどのように論じたか。まず大手5紙社説の見出しは以下の通り。 *朝日新聞=安倍政権と憲法 平和主義の要を壊すな *毎日新聞=集団的自衛権 改憲せず行使はできぬ *讀賣新聞=集団的自衛権で抑止力高めよ 解釈変更は立憲主義に反しない *日本経済新聞=集団的自衛権めぐるジレンマ解消を *東京新聞=9条と怪人二十面相 憲法を考える (注)東京新聞社説の見出し「9条と怪人二十面相」という発想はいささか懲りすぎで、いかがなものか。遊び心が少し過剰とはいえないか。
以下、各紙社説の大意を紹介し、それぞれに安原のコメントをつける。 (1)朝日社説の大意 安倍首相は、今年は違うやり方で、再び憲法に手をつけようとしている。条文はいじらない。かわりに9条の解釈を変更する閣議決定によって、「行使できない」としてきた集団的自衛権を使えるようにするという。これだと国会の議決さえ必要ない。仮に集団的自衛権の行使を認めれば、どんなに必要最小限だといっても、これまでの政策から百八十度の転換となる。 真っ先に目につくのは国会の無力だ。論争によって問題点を明らかにし、世論を喚起する。この役割が果たせていない。対立する政党の質問にまともに答えようとしない首相。それを許してしまう野党の弱さは、目を覆うばかりだ。 安倍首相は国家安全保障会議を発足させた。だが議事録は公開されず、特定秘密保護法によって自衛隊を動かす政策決定過程は闇に閉ざされそうだ。集団的自衛権の行使をどうしても認めたいというのならば、とるべき道はひとつしかない。そのための憲法改正案を示し、衆参両院の3分の2の賛成と国民投票での過半数の承認を得ることだ。
<安原のコメント> 安倍政権のファシズム的体質 「集団的自衛権の行使」について末尾の「憲法改正案を示し、衆参両院の3分の2の賛成と国民投票での過半数の承認を得ることだ」という朝日の主張は誤解されそうだ。しかし憲法改悪をそそのかしていると受け止めるのは正しくない。むしろその逆で、多くの国民の意志、希望を無視する安倍政権への反論、警告と受け止めたい。集団的自衛権の行使を閣議決定によっていとも簡単に容認することは、安倍政権のファシズム的体質を露骨に示している。この一点を厳しく凝視するときである。
(2)毎日社説の大意 憲法9条によって、日本は戦争を忌避し、軍事に抑制的に向き合う平和主義の国、というイメージを国際社会に浸透させてきた。一方、日米安保条約は、巨大な基地と補給拠点を米国に提供することと引き換えに、外国からの侵略を防ぐ役割を果たしてきた。9条の理念を、安保のリアリズムが補う。一見矛盾する二つの微妙な均衡の上に、日本の国際信用と安全がある。軽々しく崩してはならぬ、「国のかたち」である。 安倍政権は。その憲法9条が禁じている集団的自衛権の行使を、政府の解釈を変えることで可能にする、という。条件をつけた「限定容認」であれば、憲法9条の枠は超えないだろうという理屈だ。 集団的自衛権とは本来、他国の要請で他国を守るため、自衛隊が出て行くことである。私たちはこれまでの社説で、解釈改憲は問題が多すぎるとして、反対し、限定容認論は、実際には歯止めがきかない「まやかし」と主張してきた。それでも集団的自衛権の行使が必要だというなら安倍政権は正々堂々と憲法改正を提起してはどうか。
<安原のコメント>「平和への性根」が試されるとき 毎日社説は次のように補足している。「集団的自衛権さえ行使できれば、抑止力が高まり平和が維持される、と解釈改憲に走るのは、憲法という国家の体系を軽んじた、政治の暴走である」と。この「政治の暴走」という認識は適切である。一方、末尾の「集団的自衛権の行使が必要だというなら安倍政権は正々堂々と憲法改正を提起してはどうか」という呼びかけも刺激的だ。「悪党集団」ともいうべき安倍政権によって、主権者・国民一人ひとりの「平和への性根」が試されつつあることを深く自覚したい。
(3)讀賣社説の大意 米国の力が相対的に低下する中、北朝鮮は核兵器や弾道ミサイルの開発を継続し、中国は急速に軍備を増強して、海洋進出を図っている。領土・領海・領空と国民の生命、財産を守るため、防衛力を整備し、米国との同盟関係を強化することが急務である。安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに取り組んでいるのもこうした目的意識からであり、高く評価したい。憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのが現実的な判断だ。集団的自衛権は「国際法上、保有するが、憲法上、行使できない」とする内閣法制局の従来の憲法解釈は国際的には全く通用しない。 集団的自衛権の行使容認は自国への「急迫不正」の侵害を要件としないため、「米国に追随し、地球の裏側まで戦争に参加する道を開く」との批判がある。だが、これも根拠のない扇動である。集団的自衛権の解釈変更は、戦争に加担するのではなく、戦争を未然に防ぐ抑止力を高めることにこそ主眼がある。
<安原のコメント>安倍政権を激励する社説 ジャーナリズムの存在価値は、政治・経済・社会のありようを左右する政権を批判し、苦言を含めて提言することにある。ところが讀賣社説はこれと一八〇度異なり、むしろ政権と同じ視点から政権を激励し、一方、国民に向かってお説教を繰り返している。讀賣のこの姿勢はすでに久しいが、讀賣としては「言論、思想の自由」のひとつのあり方と心得ているのだろう。反論を浴びてこそ、自分なりの意見も鍛えられることに着目すれば、讀賣の存在は反面教師としての役割をご親切にも演じてくれているのだろう。
(4)日経社説の大意 集団的自衛権に関する現在の政府見解の見直しを進めるにあたり、ジレンマがある。その解消に動くことが求められている。その一つは「安倍首相のジレンマ」。集団的自衛権の解釈変更は安倍首相が前面に出てくれば出てくるほど、抵抗が大きくなるという政治の現実がある。このジレンマを解消するには公明党の理解を得ることが何より必要になる。さらに「改憲のジレンマ」もある。もし政府解釈の変更によって集団的自衛権の行使に風穴をあけると、首相が掲げる改憲が差しせまった問題ではなくなり、むしろ遠のくという皮肉な結果をもたらす可能性をひめているためだ。 戦後政治をふり返ると、自衛隊の存在、日米安保条約のあり方、そして集団的自衛権の解釈と、憲法9条が常に争点となり、その攻防がひとつの軸になってきた。もし、ここで集団的自衛権の問題に一応の方向が定まれば、憲法論議は新たな段階に入っていく。
<安原のコメント>「集団的自衛権」突進の時代へ 日経もかなり以前から保守政党内閣の支持に傾斜した社説を掲げてきた。末尾の「ここで集団的自衛権の問題に一応の方向が定まれば、憲法論議は新たな段階に入っていく」とは何を指しているのか。私なりの読み方では、平和の衣(ころも)を脱ぎ捨てて、戦争という名の衣に着替える、という意味だろう。そこで今後の憲法論議は従来の「平和と反戦」ではなく、「集団的自衛権と軍事力行使」へと質的に大変化をして突進していく。だからこそ日経社説は「国民よ、覚悟はいいか」と問いかけているのだ。
(5)東京社説の大意 憲法九条が破壊されるのに国民が無関心であってはならない。解釈改憲も集団的自衛権も難しい言葉だ。でも「お国」を守ることが個別的自衛権なら、他国を防衛するのが集団的自衛権だろう。平和憲法の核心は九条二項(戦力の不保持と交戦権の否認)にある。日本は近代戦を遂行する戦力を持ってはいけない。ドイツの哲学者カントも「永遠平和のために」の中で「常備軍は全廃されなければならない」と訴えた。なぜなら常備軍は、ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからだ。中国や北朝鮮の脅威がさかんに唱えられているが、もちろん個別自衛権が使える。 でも他国防衛など、憲法から読み取るのは、無理筋なのだ。集団的自衛権行使を封じることこそ、九条の命脈と言っても過言ではない。でも政権はこの無理筋を閣議決定するつもりだ。米国は日本が手下になってくれるので、「歓迎」する。自衛隊が海外へ出れば、死者も出る。平和憲法がそんな事態が起きないように枠をはめているのに、一政権がそれを取り払ってしまうというのだ。ここは踏みとどまるべきだ。
<安原のコメント>平和憲法の核心は九条 「平和憲法の核心は九条」という東京新聞社説の指摘は正しい。まさに今こそ力説すべき「九条」である。ところが安倍政権はこの核心条項が気に入らない。しかし気に入らないからといって、子どもが玩具箱から投げ捨てるような気分で、破壊していいことにはならない。九条は今さら力説するまでもなく、「世界の宝」である。著作「永遠の平和のために」の哲学者カントが今生存していれば、最大級の賛辞を捧げるだろう。そういう歴史的「宝」を安倍政権は投げ捨てようとしている。驚くべき幼稚さである。
*「安原和雄の仏教経済塾」からの転載記事です。
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