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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2014年08月17日02時28分掲載
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コラム
外食チェーン店とアルバイト
最近、なにかと牛丼チェーンの「すき家」の従業員に対する過大な業務が問題化され、繰り返し報じられている。その中心はいわゆる「ワンオペ」と言われる問題で、たった一人で店を守らなくてはならない状態を指す。深夜の一人勤務の時に強盗に襲われた事件も年間数十件起きており、心身の疲労度は苛酷のようだ。そしてついに従業員不足から一時的に閉店を余儀なくされる店も出ている。
牛丼チェーンの中で、最も顕著なのがすき家のようだが、競合他社でもワンオペは時に生じるのだそうだ。たとえば2人勤務が予定されていても、当日、1人がドタキャンして出勤しなければやむなく一人勤務となる。個人営業のレストランなら、臨機応変に必要に応じて10分、30分などと店を締めることもできるが、24時間オープンのチェーン店となるとそれができない。そして、アルバイトの学生たちは従業員の不足を埋めるために、アルバイトでありながら拘束がきつく、なかなか自由に休みもとれないようである。他のチェーン店でもそのような実態はあるのだが、それでもすき家の場合は事態が深刻なようだ。全国に1900店以上を誇るNO1の牛丼チェーンでありながら、スタッフに最も過酷な勤務を強いなければならない実情があるのだろうか。
すき家を経営するゼンショーの小川賢太郎社長に10数年前、取材したことがある。その頃はまだ牛丼店の店舗数でトップに立っていなかった。丁度、春の感謝セールとして、牛丼1杯250円で吉野家に勝負をかけた時だった。吉野家も丁度その時、250円の特別販売を行っていた。当時は平時だと牛丼は1杯400円くらいだった。牛丼は200円台の商品だったのか。昔なら牛丼というとどこか高級な印象もあったのだが、これを機にイメージがぐっと変わったのを覚えている。当時はそこまで値を下げなくてはならない理由がよくわからなかった。
横浜の本社ビルを訪ねると、小川社長は丁寧に対応してくださり、ゼンショーの原点となった写真を見せてくれた。それは小さなホカホカ弁当の店だった。
小川社長によると、東大経済学部に在学中、社会主義運動に目覚め、大学を中退し、横浜で港湾労働をしながら運動を続けていたそうである。しかし、その後、牛丼の吉野家に入社した。これからの時代は外食産業だと思い至ったからだという。社会主義運動から外食産業へ、その転身にどのような思想の変化があったのか詳しくはわからないが、生きていくためには食っていく必要もあったのだろう。子供も生まれたばかりだったそうだ。取材で小川氏は牛丼について、こう話してくれた。
「僕は牛丼がとても好きなんです。日本の誇る米に、牛肉、たまねぎ、醤油。シンプルだけど、味わいが豊か。これだと思ったんです」
小川社長は外食の中でも牛丼と言う商品に着目した。しかし、入社した吉野家が経営難になったことがきっかけで、独立。その後、最初に立ち上げたのがホカホカ弁当の店だった。横浜の小さな弁当屋。あの頃、テレビでは「俺たちの旅」という人気シリーズが話題を呼んでいたのではなかったろうか。それまでの会社の奴隷になるような働き方をやめて、自分たちで小さな便利屋を立ち上げて今までになかったサービスを発掘する・・・「俺たちの旅」は高視聴率で、多くの日本人が見たはずである。小川社長がホカホカ弁当の店を開店したのもその頃だったのではなかろうか。
「夜中まで店で働いて、昼は営業。会社には机が1つ。そこに電話を1つ置いて。とにかく毎日眠かったですよ」
持ち株会社のゼンショーという名前の由来は全勝にあると言う。最初の弁当屋から牛丼屋へ。吉野家との競合を最初は避け、郊外に着目し、1店1店、絶対に負けられないと思いながら店を増やしてきたそうだ。
勤務の厳しい外食チェーンの社長の経験を聞くと、厳しい世界で発展を遂げるためには並々ならぬ汗と苦労を積んでいる。そうした経営者は自分がやってきた経験をベースに物事を考える傾向があるのかもしれない。若者たちはなんでこれくらいのことができないんだ、と。しかし、夢を持ってその店に賭ける人間と、道が敷き詰められて、制度化されてその道の中できまった労働を強いられる人間とではおのずとモチベーションにも差が出るのは当たり前のことだ。
取材からしばらくして、小川社長は「バイイングパワー増大」を掲げ、次々と他の外食チェーンを買収し、巨大化していった。他の業態の店も買収することで、大量に原料を買うことが可能となり、その結果、原料の買い入れ価格を低減することも可能となる。それが安売り競争を勝ち進む力になる。こうして続々と店舗を増やしたすき家は満を持して都心にも進出し、やがて吉野家を抜いて牛丼業界で店舗数一位の座を得た。かつて取材をさせていただいた経験から遠目で見ると、とにかく業界のNO1になりたかったのだろうと思えた。しかし、NO1の座を得た後、すき家の目標は何だったのだろうか。
これまですき家は低価格でしかも多様なメニューで他のチェーンに差をつけよう、とメニュー改革にも意欲的に取り組んできた。しかし、それに現場がついてこれなくなったのだろう。低価格で客に多様な料理を提供するためには経費をどこまで削れるかが勝負となる。その結果、「ワンオペ」に象徴される店舗でのオペレーション上の無理が労働問題として顕在化して今に至っている。今後どのように解決を図っていくのだろうか。店は客にサービスするものであると同時に、そこで働くものにとっても幸せを提供するものでなくてはならないだろう。ゼンショーのもとになった「全勝」、その真意が今問い直される時期に来ているのではあるまいか。経営者にとっていったい勝つとはどういうことなのか。
社会主義運動から、資本家への転身、そしてその後の歩み。小川社長にもしもう一度話を聞く機会があるのなら、その後の話を聞いてみたいと思う。伝記映画でも青春の時代、興隆する時代、そしてその後の波乱の時代とあるのだ。今、小川さんの夢はどこにあるのだろうか。
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