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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2014年08月19日13時56分掲載
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文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(3) 「水を欲る切なる願ひにそひかねつみとりする夜がまだ明けやらぬ」 山崎芳彦
歌集『廣島』の作品を読みながら、『日本原爆詩集』(太平出版社刊、1970年)をも時折開いて読んでいるのだが、それぞれを読んでいて、かつて読んだ濱谷正晴氏(一橋大学大学院教授・当時)の講演記録「原爆体験〜原爆が人間にもたらしたもの〜」(2009年9月19日、原爆体験聞き書き行動実行委員会)を思い起こした。プリントしておいたつづりを探し出して、その中の「証言分析1.“これが人間か?!”」の項を読みながら、いま読んでいる短歌、詩がいかに、筆者が実際には知らない原爆投下による悲惨の実態を写しているか、明らかにしているかを痛感し、その表現の持つつよい力について思った。原爆に関わる歌集、詩集、あるいは様々なジャンルの芸術作品が大切に残され、多くの人々によって読まれ、目に触れることは、核兵器、核エネルギーについての危険な論理による政策が陰に陽に、政府権力とその同調者によって進められている今、大きな意味を持つと考える。
前記の濱谷講演の「証言分析1」は、1985年に日本被団協が行った「原爆被害者調査」の結果の、特に自由記述の質問への回答を読み込み、分析・分類した内容で、そのうち「人間」という言葉を使って書き綴った「証言」によって構成したものだと濱谷氏は述べている。その部分を、長くなるが引用させていただく。(一部省略)
◇「証言分析1.“これが人間か?!”」濱谷正晴◇ 1 ≪これが人間か、あれも人間か≫。「人間とは思えない、見えない、言えない」、「人間の姿」「人間の様相」「人間の顔」とは思われない・・・人びとの「形相は別の人間に」変わり果てていた。
2 つい、その直前まで、人びとは確かに「人間の姿」をしていた。<原爆>は、「未だかつて人間の体験したことのない」巨大な力となって、「人間と万物すべてのもの」を破壊し、「我が町、我が家」「人間・・・心・・・草木」「虫や朝顔」「馬、牛、犬」を焼き尽くした。キノコ雲が、「人間の血・肉を吸い込む」ようにして立ち上った。
3 「ぐれんの地獄の火の中」から、「死んでいる子供を背にまるで亡霊そのもの」のような、「頭から体全体灰色で、両手を前に上げて背中の皮膚も手の皮膚もぼろぼろに焼かれてたれ下がった、まるで夢遊病者の」のごとき人びとがぞろぞろと現れた。「埃とちりにまみれた」「ボロの群れ」が、「ボロ布が歩いている」ように近づいてくる。さながら「幽霊」のような、「亡霊たちの無言の行列」。彼らは「人間ぼろ」とも言われた。 4 (略)
5 人びとの体は、「皮膚を全部はいだ人間の標本」そのままであり、「はれあがり、膨れ上がった」体もあれば、「焼けると小さくなる」ものもあった。「黒こげの彫刻」を見るようなものもあれば、「人間の炭」と化し、「吹いてみたら灰」になったドクロもあった。人びとは、「生木が焼け焦げ」た、「真っ黒な木の幹」、「薪の燃え残り」のような死骸となり、「黒こげのかたまりが散っている周りに油がにじんでいた」。 6 (略)
7 「一度に多くの」「こんなに簡単に多数の」人間が死んだ。焼け野原に、死体が「散乱」する。川に出ると、「人間がマグロのようにゴロゴロと」、「油ぎって横たわって」「生殺し」の目にあっていた。流れには「人間の死体に馬や牛が混じって」(略)「浮き沈みしている」。「橋桁に届くまで」死体が「山のよう」になっていた。防火用水には、「黒こげになってまっすぐ硬直し」た人間、「赤牛のごとく肥満」した人間が浸かっていた。井戸のところにも、「ボロ布としかいいようのない人」が・・・。その人達は、「どうやって歩いてきた」のだろうか。
8 死骸は、「全く人間を焼くとは思われない野外で」「道路わき」や「河原」で荼毘に付された。(略)人間は「虫けらのごとく扱われ、穴に埋められ」、「運搬中に息を吹き返し呻きだしているのに、そのまま土の中にほおりこんで」葬られた。もはや「人間というより“もの”」であった。「人々の修羅の巷」には、「人間が焼けるにおい」がたちこめている。一瞬にして、「生きた人間の集団火葬」をやってしまったのだ。
9 「此の世の」「本当の人間地獄」が現出した。「これが人間社会であるのか」「恐怖と憔悴した表情」の「生気を失った地獄にいる人間」がそこにいた。「あまりの衝撃」「あまりの大きな被害に出遭う」と、「意志や感情」「魂を抜かれた虚脱」状態となり、「平時の人間的感情を失ってしまう」。それは、「戦闘の経験」という「常識がはるかに及ばない人間の極限の姿」であった。「極限の中にいた人間」―「戦争という極限」=核戦争という「極限状態」の中で、人間はいつしか「何の恐怖も感じなく」なり、「自分のことしか考えない」「無関心で見て通るだけ」になっていく。
10 「人間のすることではない非道なことの明け暮れ」のうち、「人間の心はすさみ」「何の感情もなくなりかけていた」。「人間の死」にさえ「心動かされず」、「マヒして」「馴れて」「事務的に」なっていく。「他人のことをかまう気持ちになれず、隣で苦しんでいる人にも振り向きもしない」。(略)「怒りも恐怖も悲しみも」感じない、否、「怒りや恐怖や悲しみ」を感じていたら、それこそ人間は「どうにかなってしまう」からだ。
11 「人間の生に対する最後の努力」をみるように、「ほのおの中から生不動の如くカミをを振り乱し路上に飛び出した」女性。家族への連絡を乞う、火の弱い所を求めて移動しようとする姿。「人間の最後の力をふりしぼってなにか言おう」と、「足もとを引っぱ」る人。「助けを求め、水を求める」かすかな声、うめき、叫び。「兵隊さん、この子をたのむ」と、無傷の赤子をかばい、息絶えた母―「人間わざではなかった」。 12 (略)
13 「無意識の内に逃げようと、人間の本能のみ働く」とき、人間は「自分だけのことしか考えなくなる」。「自分さえ助かれば」、「自分を護ることで精一杯」。(略)「何もできない無力感に打ちひしがれながら」、人びとは「多くの死に立ち会った」。
14 「人間の持つ感情の極限を超越した」この心の状態は、「その後何年も」尾を引いた。「人間落ち着きが出てきて初めて、感じることが出来る」。「悲惨、無残、地獄であるということは、戦後、少しずつ『人間であること』を回復し、自覚する過程で“認識”するようになっていった」。
15 「やっと人間らしい気持にかえっ」てから思うのは、「人間の愚かさ」であり、「同じ人間が殺し合わなければならない」人間の業・定めである。けれども、「人間が人間の名をかりて惨酷な仕方で殺すこと」が許されるのだろうか。「人間の死が厳粛なもの」なのに、「人間の尊厳も何も踏みにじったあの地獄」。「正常な人間が見て残酷極まりない」「人間の尊厳を失われた死に方」。「人間が人間になし得る残虐に」これ以上のことがあるだろうか。(略)
16 「防空壕に入れてくれと泣きさけぶ」人の「希望を聞けず、自分だけ入ったこと」、「後で助けに来ると見捨てた」こと、「せめて最後の水一滴なりと与えてあげれば」・・・、折にふれて人は、「非人道的なことをした」と心がいたみ、「人間としてこれでよかったのか」という思いが「いつまでも心に残る」。
17 だが、「人間性を失わせ」「破壊」するのは戦争であり、戦争が「人間をアブノーマルな姿に変える」。「人間をそのような極限状況にまで追い込んだ原爆の非人間性をこそ問題にすべきである」。「人間として許すことが出来ない」戦争の悲惨さ、残酷さ。
18 「こんな兵器を絶対作らない」「我々のような人間を二度と作ってほしくない」。「人間らしく生きられる平和を」。「人間は戦争をするために生まれて来たのではない」。「人間同士がにくしみあってはいけない」「人間は戦争をしてはいけない」。「人間の生命」は無限であり、「地球より重い」。「何万人もの人を一瞬に殺せる武器を発明した人間が、なぜ、何万もの人の命を救えないのだろうか。」
濱谷氏は、「こんな風にしてまとめ上げてみると、『あの直後』に起こっていた状況を描き出すことができます。ひとつひとつの証言をもとにしながら、それを越えた先に、原爆像を描いていく。そのような作業を、『原爆体験の全体像を再構成する』と、我々は呼んでいます。」と述べている。 このような原爆体験が語る戦争・原爆の本質的な非人間性について、集団的自衛権の名のもとに戦争する国を目指し、特定秘密保護法を制定し、防衛装備移転三原則という兵器産業の強化・他国との共同開発・輸出への道を広げ、原発の輸出先国との原子力協定を拡大し、この国の原発再稼働を促進し、さらにそのことによって原爆製造能力を維持・強化し「核抑止力になる」などとしている安倍政権とその同調勢力、すでに実績を持つ「死の商人」大企業は、歯牙にもかけない姿勢であるだろう。
しかし、多くの主権者が、前記のような歴史的真実を知り、真剣に今現在に関わることとして受け止め、危険極まりない現政権勢力にノーを突きつけていく、具体的な為し得る行動に一歩ずつでも動き出せば、現状を変えることが出来る。考えてみれば、巨大与党などといわれていても、選挙制度のまやかしで成り立つ擬製多数派であり、主権者の強固な支持を持ってはいないのが実態だ。
広島・長崎の痛苦は、何よりも軍国主義日本の侵略戦争の拡大と、原爆投下国アメリカの第二次世界大戦後に向けての不当な戦略がもたらしたものだということは指摘されている通りであるが、当時の日本の侵略主義戦争のいきついた結果であることは間違いないだろう。今、その歴史認識について「自虐史観」などといって、現憲法を否定し、「戦後レジュームの清算」と称して許しがたい逆コース政治を展開している政権の暴走をストップさせることを考えながら、歌集『廣島』の作品を読み続ける。前置きが長くなりすぎたが、読み進めたい。
◇今井篤三郎 無職◇ 焼木材の如くに立ちて街路樹のいまはそよがむ枝もたずあはれ 街崩えて居ながら遠き山の見ゆ山なればかく焼けのこりたり 余燼くゆる巷もとほりうつつなし父よばふ声そこにあらぬか わが足にふれて動くと見し屍しかと焦土を抱くがにも伏す いづちゆき索めむ影ぞけふもくれてくづるる如く焦土に据る 焼原にうづまく煙くぐりきてあぎとふごとし河風を吸ふ 見送りし朝の姿の眼にありてその日に死にし児とおもはんや ああ妻はなほもたのむか陰膳も一月すぎてむなしけれども いまはかへらぬ児と思はむやとりいだす写真の顔はあどけなく生く あはあはと焦土の上に影ひきて雲ゆく見ればまたおもひいづ 六年の月日流れてつつましきけさのいのりに顕ちくる仏(原爆記念日) すでにして瓦礫ぬきつつ草の秀のそよげる見れば青たくましき 闇市きて買ひしすももと藷飴と入れて鞄がすこし重たく
◇今岡忠輔 国鉄職員◇ 結婚の言葉惨酷なりと云ふ原爆乙女のケロイドあはれ 被爆者の姿痛まし相生の橋のたもとに募金しをりぬ
◇今本春江 文選工◇ ケロイドの指に合せし手袋を賜ひし日より乙女歩まず 亡霊がナメクジとなりはふといふ基町宿舎塀はくさりて 羨望の的となりたる美貌さへ彼の日を境に顔そむけらる 旅順にてミイラを見たる驚きを我れ再びす原爆展に 梁(はり)の下逃げよと云ひし亡妻よその瞳故未だめとらず 我が鼻ももぎたき程の腐臭にて歩めば蠅がブーンと逃ぐる しかばねを見ざるが故にくりやべに母のまぼろし幾度も見つ 一杯の水が結びしえにしなりはかなき逢瀬がしばし続けり モルモットにされに行くなとǍ・B・C・Cの被爆調書をやぶりて捨つる
◇上杉綾子 無職◇ ふしぎなる橙(だいだい)色の空なりき打ちのめさるる瞬間に見し 今日も亦かしこの畑になきがらを葬るけむりの白う上れり 幾日も空をこがしてゴム工場燃えつづくなり呆然とみる 夜もすがらかそけき光たよりつつ夫を看とりて只祈り居り 地の底に吸ひよせらるる心地してともしびのなき夜夜を迎へぬ わが傷もややに癒えたりいつしかに秋のけはひのしのびよるらし 焼跡のここかしこより水道の水あふれ居て夕日あかるし あの日より三月を経たり何もかも消えにし街にたたずみて哭く
◇上野夕穂 無職◇ 一望の焼野が原を子を索(もと)めさまよひし日の歎かひ去らず たまゆらの爆発光が石段にうつしし人かげ年ながく消(け)ず 母といふものの哀しさ焼くる巷を子の名おらびて走りけらずや 灰燼の夜のまち行けど人かげなし破れトタンをはためかす風 街をのがれし友も死にけり火傷示しいきどほりゐし顔今も見ゆ 燈(ひ)なき駅に汽車待つ人らごめけり蚊を払ひつつ話声なし 炎天を焦して街は燃えつくし雨夜となりぬ大きむなしさ 焼け跡は夏の夜ながら雨さむしところどころに青き火の燃ゆ 帰りつき喜びてゐし村人もほとほと日に日(け)に死につぎにけり 雲の峰あふぎて焦土にわれ立てり空にみなぎりうつたふる声
◇潮 規矩郎 元校長・村教育長◇ 焼けゆきて十日へにけるけふもなほ横川のくらの米は焼けつつ わが眼路の限りの焼野こはれたる水道栓より水流れ出づ 焼野原かしこにここに赤焼けし金庫かたむき夕日あび居り 木片に居所連絡書きてある道つづきたり廃墟を歩む るゐるゐと倒れし墓塔ここに来てただ憤然と戦火をにくむ 義母と来て瓦礫のなかに焼けて立つ金庫の把手うごかして見る 河原の砂ほり義父のむくろをば荼毘(だび)に附したり風なき夕 三條河原火葬の穴が六つならぶ義父のひつぎをその中に置く
◇内田英三 教員◇ しはがれし声にてしきりに水を欲る子を叱るがに云ひては看護(みと)る 掘り出しし骸の血泥はらひやる此の友も今朝は元気なりにし まとひしもの焼けただれつつ路傍にてうめきゐし人今日は影なき 宇品港にあがれば既に火ぶくれの人人乗せしトラック行き交ふ チンクユ軟膏一面に白くぬれる人傷なき急援の吾らを見つむ 火ぶくれになりて裸に倒れゐる処女水欲る吾が足つかみて らふそくの灯ゆらぎて土間の上水欲る声ありうめく声あり 仮小屋に君を看護れる朝なりき脈なく既につめたくなりし 葉ずれする音に驚き身を臥すに友も来てをり此の葡萄畑に 声出でずうめけるみれば焼けただる腹部に小さきうじ虫動く 火ぶくれし肌へに既にうじわけりかくてこの人また死にゆけり 河土堤のここにも人を焼きたらむ残りし骨に朝の雨降る
◇枝松きみ子 農業◇ 明日は逝く身とも知らずにそばの種われにたのみし人もありしに 再軍備いかに聞くらん一瞬の閃光と共に逝きし魂は
◇越智紋子 主婦◇ 身に迫る焔も忘れ下敷きとなりし子の名を呼び叫ぶ母 もろ手みな前に垂してよろめきつ幽鬼にも似し人が逃げ行く 水を欲る切なる願ひにそひかねつみとりする夜がまだ明けやらぬ 転送の罹災者の群が一様に水を水をと喘ぎつつ言ふ 眼と口とに穴あけしのみ顔中を白布に包みさまよふあはれ 夜も昼も屍は積まれ次次と荼毘(だび)に附されぬ二中グランド 崩れ残る広島駅に降り立てばいきなり見えぬ焦げし福屋が くすぶりてまだ電柱は焼けて居り原爆投下六日目の朝 亡き人の御霊こもれる心地して崩れし壕に掌を合せ過ぐ 氏名不詳の骨のいくつもが紙袋に入れられてゐぬグランドの隅 傷口に蛆がわきしと口ゆがめ語りし人も今日は息絶ゆ たづねあぐみ又も来てみし焼け跡に見覚えのある皿のかけらが 悲しみのはた憎しみの言葉みな吐きて泣くなり老いの一人は うづ高き瓦礫の中に生命得て鉄道草はかくも繁れる 巡り来し八月六日汝が欲りしものみな今はありて切なし この橋をこの街並みをこのネオンあの日に逝きし子等に見せたし 二十万余の尊き命広島の街に川面にこもるをおもふ
◇越智 満 無職◇ 水底の屍あさるか満潮の猿猴川に魚の群り 盲ひたれど生き残る身は朝空に平和の鐘の高鳴るをきく 永久に見る能はねど広島の息吹き身近に感じて生きる 中学生となりしよろこびも四月余り友等は逝けり八月六日
◇越智もん 主婦◇ 線路つたひ焼けただれし裸の列はゆくいづれにゆかむ身重の吾の 比治山の上空を覆ふ乱層雲うからよりあひ仰ぎ呆け佇つ 火の手それれば崩えし家より釜掘りて身重の吾の命もりつぐ 燃えつぎて赤き夜空にねもやらずうから四人がよるこゑもなく 復員者に身重の吾もまじりたり無蓋貨車は発つ焼けし故郷を ともる灯のかぞふるばかりの街ながらつひの住み処と吾子負ひかへる ややめぐむ枯草少しかこひして地鎮祭のしめ縄今日風になる
◇小田富江 無職◇ 焼けただれ路傍に転ぶ人見れば既にして息は絶え果ててをり 冷(りやう)求め川に下りゆく人達はきざはしにして悉く死す ため池の汚水分ちて飯をたき火傷に苦しむ友に与ふる
◇大井静雄 弁護士◇ 土台石そのまま残る城跡に乱れて茂る夏草あはれ 城跡の野菊花さく草原に午後の陽射してひぐらし啼けり 国破れて山河ありとふいにしへのひとの言葉のいまあらたなり
◇大久保藤俊 教員◇ 焦熱の地獄に堪へし大楠に五月となりて嫩葉萌えたり 去年(こぞ)の今日地獄と化せし原爆の街にたくましひめむかしよもぎ 里子にとかどでする子に孤児あまた集ひ歌ふもかなしかりけり かりそめの貧血とのみ思はれし少女いたましや原爆症なり 一瞬の放射能深くをさなごの五臓おかせしを八年後に知る ひととせが程を輸血にささへ来し少女のいのち今し絶えむとす 原爆のいけにへとなりて死にゆくを東西の巨頭に見せたきものを 原爆につひえし城の天守跡に修学旅行の子らあまたみゆ ふたたびはあやまちせずとよき人らの誓もむなし再軍備のあゆみ
次回も歌集『廣島』の作品群を読み続ける。 (つづく)
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転載について
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