インターネット空間のブログやツイッター、フェースブックなどを通した自由な言論が盛んになったのはこの10年ほどの間である。かつて記者クラブ制度を通して、世間に出してよい情報と出してはいけない情報を官庁は統制していたのが、今ではそれができなくなってきた。新聞の記者クラブ制度は続いているとしても、その記事に対する批判あるいは付加情報として、記事の背景などやそれについて知っている関係者の声がインターネットを通して世に出るようになっただけでなく、ツイッターを通して瞬時に「拡散」されるようになってきた。
これらのデジタル技術による新たな言論は政治コラムニストのラミ・ジョージ・クーリ氏によると、米国務省が「アラブの春」を起動する際に使ったとされる。ヒラリー・クリントン国務長官(当時)は「アラブの春」が起こる少し前から、アラブ世界の民主化をデジタル機器を使って促そうとしていたと言うのである。ベイルート在住の政治コラムニストでアラブ世界に詳しいクーリ氏も米国務省から意見を求められて、「ソーシャルメディアだけでは民主化運動は鎮圧される。欧米が国軍への兵器提供と国への資金供与をやめて反政府運動にそれらを転ずれば可能性はある」とアドバイスをしたと言う。「アラブの春」と書いたが、実際にはクーリ氏のこの政治コラム’When Arabs Tweet’(アラブがツイートする時)がニューヨークタイムズに出たのは2010年の7月、つまり「アラブの春」が始まる半年ほど前のことで、その頃はもちろん「アラブの春」というネーミングもなかった。
ツイッターやフェースブックなどのソーシャルメディアはデモの呼びかけを瞬時に同時多発的にすることができる人類最初のツールである。そして、このデジタル言論ツールに、金と兵器が加味されると、内戦まで起こりうる。だから、今、湾岸諸国のサウジアラビアではインターネット言論の取り締まりに全力を注いでいる。これ以上、「アラブの春」が拡大することを阻止する国の統治権力者による意志である。中国においても同様である。
日本でも同じことが進行していると思われる。それは少なくとも2つのルートから行われている。
1つは昨年12月に法案が国会を通過した特定秘密保護法のテロの定義であり、それは他人に特定の政治的意見を強要するものはテロリストである、とする意味の条文である。これはいかなるケースがそれに該当するのか曖昧であると同時に、思想良心の自由、あるいは表現の自由の侵害という点で憲法に抵触している可能性がある。とはいえ、最高裁判所でこれを争うためにはまず権利の侵害を受けた事実が発生し、その当事者が訴え出るという形でしか、裁判で問うことができないしくみに日本の場合はなっている。そして、そもそもこの法案そのものが「秘密保護」を目的とする意味でインターネットにおける情報の交換と方向を逆にするベクトルを持っているのである。
もう1つは今、日米その他の環太平洋諸国で通商交渉が行われているTPPである。TPPの中に、著作権の厳格化が盛り込まれる可能性がある。これまで著作権は侵害された当事者しか「侵害行為」を訴えることができなかったが、将来は一般の誰でも侵害行為があると信じた場合は訴え出ることができる、という「非親告化」である。ネット言論においては新聞などの言論に対する紹介活動や批評活動が少なからぬ比重を占めている。だから、どこまでが著作権の侵害行為なのか、その線引きが、その定義づけがより厳格化される必要が出てくるだろう。それと同時に、言論活動そのものがリスクを大きくはらんだものになり、委縮する可能性も大いにある。現在、インターネットで語られているマスメディア批判も、マスメディアの基本情報に少なからず依存しているのである。そして皮肉にもネットにおけるマスメディア批判がマスメディアを10倍、面白く、魅力的にしているのである。だから、ネットの危機はマスメディアにとって他人事ではなく、マスメディア自身の危機でもある。
いずれにしてもネット言論が始まってまだせいぜい10年ほどしか経過していない。だから、ネットにおける討論のマナーやルールも未だ確立していない。もっと長い時間をかければこの世界がより堅実なものに成長していくのだろうが、その前に政府によって統制されて縮小する可能性もある。可能性と書いたが遠い先のことではなく、今年の年末には特定秘密保護法は確実に施行となる。今より、言論に大らかであり得た数年前なら、言論の有り方をテレビの番組で問うことは比較的難しくなかった。しかし、政治家のマスメディアへの介入がますます強まっていく傾向があり、言論について本当に問いかける必要が生じるであろうこれから先の時代、言論自体についてマスメディアで問うことが難しくなっていく可能性がある。
■クーリ氏のコラム’When Arabs Tweet’(アラブがツイートする時)
http://www.nytimes.com/2010/07/23/opinion/23iht-edkhouri.html?_r=1& この興味深い政治コラムはクーリ氏のサイト(アジャンス・グローバル)にも掲載されている。ただし、タイトルはニューヨークタイムズと異なっている。’Feeding the Prisoner, Paying the Jailor’である。和訳すると「囚人に食事を与え、看守に金を与える」になるが、つまり、ソーシャルサイトで民衆を励ましても、片方で看守(=国家、軍隊)に金と兵器を渡していたのではポリシーに一貫性がない、という意味である。
http://www.agenceglobal.com/index.php?show=article&Tid=2382
■特定秘密保護法の怖さ 〜ジャパンタイムズが警告〜思想・良心の自由に介入
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312121403484
■安倍政権の「ニュースピーク」 〜特定秘密保護法の「又は」と「かつ」〜 自民党と官僚の日本語に対する攻撃が続く
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201401130707231
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