1950年代初頭、冷戦勃発を期に、アメリカでは共産党員ばかりでなく、そのシンパをも摘発する「赤狩り」というものが始まっていた。中心になっていたのは米下院の中にあった非米活動委員会(the House Committee on Un-American Activities)なる組織であり、その中心人物が共和党のジョセフ・マッカーシー上院議員だった。国務省の官僚だけでなく、赤狩りはハリウッドの映画関係者にも及んだ。召喚されると、過去の行為について尋問にかけられ、他人を密告するか、監獄行きかを迫られた。たった一度、集会に参加したことがある、といったことだけでも摘発の対象とされ、絶望して命を自ら絶った人もいた。
この時代を生きたハリウッド関係者や劇作家による作品は少なくない。リリアン・ヘルマンの回想録「眠れない時代」(Scoundrel Time)や、魔女狩りを描いたアーサー・ミラーの戯曲「るつぼ」(The Crucible)などである。多くの作家や劇作家がこの苦渋に満ちたテーマを作品化しようと取り組んだ。それもそのはずで、本来「自由の国」であったはずのアメリカで、思想・表現の自由が抑圧されたのだ。自由にものが言えず、いつ友達に裏切られ密告されるかと恐れ、またいつ職場を解雇されるかと悩み、非米活動委員会の尋問を拒否すると刑務所に入らなくてはならなかった。劇作家のアーサー・ミラーは巻き込まれる人々の精神とその葛藤をドラマにした。この問題に誠実に劇作家として向き合おうとしたからであり、未だ赤狩りが終わっていない1953年1月に「るつぼ」はニューヨークで初演された。
映画でも様々な作品が作られた。特筆に値するのは「フロント」(The Front)という映画だろう。邦題は主演俳優の名前を冠して「ウディ・アレンのザ・フロント」というタイトル。監督は社会派のマーチン・リット。脚本家は赤狩りを体験したウォルター・バーンスタイン。俳優にもゼロ・モステルなど赤狩り体験者を起用しているため、鬼気迫る作となった。とはいえ、リットとバーンスタインはこれを小難しい理屈が前面に出る映画にせず、主演にウディ・アレンを起用して、随所に笑いを入れた。
「フロント」というタイトルはまさに赤狩り時代を象徴している。この時代、共産党シンパと見なされるとブラックリストに載せられ、テレビや映画などの仕事から干された。そんな時、ライターたちは偽名を使って仕事を続けるケースがあった。「ジョニーは戦場へ行った」を後に監督した脚本家のドルトン・トランボもその一人である。赤狩り時代に書いた名作でアカデミー賞脚本賞に名前が挙げられても、受賞式に出られなかったという逸話があったそうだ。そして作家の為に名前を貸していた人々を「フロント」と呼んだ。顔を表に貸している、という意味でだ。映画では、しがない競馬のノミ屋のウディ・アレンが困った友人の脚本家に頼まれて、ドラマ作者として名前を貸す。しかし、'作家'になってみると、放送局などいろんな場で創作上のことであれこれ尋ねられる羽目になる。そこで作家らしく、うまく取り繕うため、ドストエフスキーの「作家の日記」などを読むようになり、作家精神や良心に目覚めていくというコメディである。
「フロント」の中で喜劇俳優のゼロ・モステルは昔ちょっとした集会に出たと言うだけでテレビ界から追放され、地方巡業に。興業仲間に足元を見られギャラも下げられ・・・と苦渋の日々を送る。最後に窓から飛び降りる。その葬儀の様子、家族の悲しみをにわか同業者のウディ・アレンが遠くから見守っている。映画の中で「今時’友達’くらいやっかいなものはない」とアレンの友達の作家がため息をついていた。しかし、彼は間違っていた。友達が救ってくれたのである。
■ウディ・アレンの ザ・フロント(1976)
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=2525 ■アーサー・ミラー作「るつぼ」(The Crucible) アメリカのセイラムという田舎町で行われた苛酷な魔女狩り。1950年代のマッカーシズム(赤狩り)の最中、アメリカを代表する劇作家の一人、アーサー・ミラーは赤狩りを魔女狩りに象徴して描いた。この戯曲は今日も上演されている。排外主義と「テロとの闘い」の時代にますますその現代性が浮き上がってくるだろう。
http://www.oldvictheatre.com/whats-on/2014/the-crucible/ ■リリアン・ヘルマン著「眠れない時代」(Scoundrel Time) 原題のScoundrel Timeの’Scoundrel’とは悪党という意味だから、邦題の「眠れない時代」は〜それ自体は悪くないのだが〜原題と比べるとニュアンスが大きく違った印象を受ける。
日本でも赤狩り(レッドパージ)で放送界から追放された人がいた。1945年8月15日に流された玉音放送を軍人から守ったNHKの幹部だった人、柳澤恭雄氏である。
■柳澤恭雄著「戦後放送私見〜ポツダム宣言・放送スト・ベトナム戦争報道〜」
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201307122354505
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