写真家の菅原一剛氏が書いた「写真がもっと好きになる。」は本当に写真が好きになる本だ。表紙がオレンジで、上質な紙を使い、文章の中にはたくさんの菅原氏による写真が掲載されている。このリアルな紙の本の質感がたまらなくよい。このことは菅原氏が本書の中で説いている写真を紙焼きしてみることが大切だ、という言葉と通底している気がする。
「フィルムでもデジタルでも、プリントすることで、一枚の写真は一枚の’’もの’’として生まれ変わります。そうです、プリントした瞬間、あなたが撮った写真は手にとって確かめることのできる’’もの’’になるのです。」
デジカメで撮影することが増えている。というより、かつて写真を撮って町の現像屋で現像してもらうスタイルが少なくなっている。しかし、菅原氏は写真がマンネリ化してきたと思ったら、写真をプリントにしてみればよい、という。
「プリントという’’もの’’としての存在が、実感をもたらすのです」(以上、「プリントしてみないと、わからないこと。」の章から)
マテリアルなものとして、手に取って触れられるモノとなることで端末の中の画像データにはない何かがそこに生まれるという。
「写真がもっと好きになる。」では冒頭のあたりで菅原氏は青年時代、オランダの写真家エルスケンに見せられたと記されている。エルスケンが撮影してまとめた写真集「セーヌ左岸の恋」はバイブルのようなものだったらしい。セーヌ左岸の人々を写したそれらの写真は「ストリートフォト」と呼ばれたそうだ。
菅原氏自身もパリに渡って、町の雑踏で最初のポートレート写真を撮影した時のエピソードが書かれている(「びくびくしながらも、真正面」)。写真はきちんと被写体と向き合って撮ろう、と書いている。しかし、最初パリでポートレートを撮ろうとしたときは言葉も、知っている人もいない異国の町でカメラを手に、途方に暮れたと打ち明けている。
「パリの街はどこにもかしこにも雰囲気があって、いくらでもシャッターを押すチャンスはあります。しかし、なかなかシャッターを切ることができません。」
だが、そんな時、一人の男がちらと関心を向けてくれた。男にあなたの写真を撮らせてほしい、と言うと、快く受けてくれた。その男のモノクロームの写真が掲載されている。これがとても素晴らしい写真だ。菅原氏が書いていることに説得力を持たせる一枚。この時、被写体と正面から向き合うことの大切さを学んだのだと言う。だから、あれから何十年が過ぎても、この1枚を見ると被写体に真っ直ぐ向き合ったその時の心が現れているのだ、という。
「気にはなるけど、どう撮っていいかわからないとき、少しだけ勇気を出して真正面から向かい合ってみよう。」
筆者も人を撮影する職業だが、これを読んで改めて考えさせられた。菅原氏が本の冒頭にこのメッセージを置いた意味は深いのではなかろうか。きっと、今の時代、人と対面することが稀になりつつある。写真は人と向き合うものだが、それが希薄になってきている。とはいえ、同時にデジタルカメラで気軽に写真が撮れて、画像が堆積し拡散してもいる。手軽にとれる写真が氾濫していることと、人と真正面から向き合う事の大切さ、この二つはどう関係しているのだろうか。その違いは他者の存在だろう。真正面から向き合うものはどんな反応が返ってくるかもわからない他者なのだ。
デビュー当時のこと、写真の技術のこと、色のこと、写真集のこと、レンズのこと、三脚のこと、デジカメのこと (デジカメを否定する人ではない)。それから最近、毎日撮影している空の写真のこと。写真について様々な角度から優しい言葉だが想像力を刺激する面白い文章が満載されている。何度も読み返したくなる本である。
光は刻一刻変化している。同じ風景を毎日見ているわけではない。注意深く目を凝らせば見馴れた風景ですら、不思議で面白くなる。それは写真が光の芸術である、ということと同義だ。そのことは写真家であればだれ一人無視できないことなのだが、菅原氏はパリでそのことを人一倍考えたのではなかろうか。なぜなら印象派を生んだパリは光について考えさせられる町だからだ。そこには「方法意識」と哲学も充溢している。それが写真の技術論に留まらないこの本の隠し味になっているようだ。そして人もまた一瞬ごとに変化しており、二度と同じ人はいない。
■エルスケンのウェブサイト
http://www.edvanderelsken.nl/index.php?page=imgarch&subject=&count=10 ■菅原一剛著「写真がもっと好きになる。」(ソフトバンク クリエイティブ刊) ほぼ日刊イトイ新聞に連載しているものをベースにまとめたのだという。
■菅原氏のブログ
http://www.ichigosugawara.com/
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