アメリカの経済学者スティグリッツやアカロフらがノーベル経済学賞を授与された理由が「情報の非対称性」の研究だった。情報の非対称性とは売り手と買い手の二者の間に著しい情報の格差が存在することを指す。たとえば中古車について言えば売り手は中古車がどの程度、痛んでいるかを理解しているが、買い手は中身の機構の状態まで中古車店で知ることができない。情報の非対称性が経済にどのような意味を持つか、これを研究したのがスティグリッツ教授たちだった。このような情報の非対称性があると資源を最適に配分することができず非効率な経済になる。結果的に市場につまらない商品ばかりがあふれることになるそうだ。では政治とジャーナリズムに関してはどうか。
特定秘密保護法は特定秘密が何かを知っている官僚と、知りえないジャーナリストや個人の側で圧倒的な情報の格差を生み出す制度だ。そこには最高10年までの刑期もある。だから、官僚は圧倒的に優位な立場に立てる。政府もだ。ジャーナリストが寿司屋で与党政治家に群がる理由も1つにはそこにあるのではないか。情報が欲しい。あるいは他社と公平にしてほしい・・・。特定秘密保護法はこれまで批判的だったメディアを飼い馴らす打ち出の小槌となった。そして、政府に都合の良い情報ばかりが世の中に蔓延する。
このことはジャーナリズムに関せず、様々な場で進んでいる。国立大学の研究予算配分も文部科学省が研究内容を競争させて決めることになった。文部科学省が圧倒的な予算の配分権限を握ることで大学人の研究内容を支配することができる立場に立てた。さらに文部科学省OBが国立大学学長に天下りしたケースも出てきている。現政権や文部科学省に批判的な研究が予算を獲得できるだろか。天下りの社会学的研究に予算がつくだろうか。そういう研究プロジェクトはそもそも文部科学省のコンペティションに出てくることすらないだろう。
国民を管理する権限を持つ人々が金も情報も一手に握って、忠誠をつくすかどうかで人や企業を選別できる時代となっている。大学などの入試の場でも学力より、思想や信条を選別の対象とし始めている。これが何を意味するかと言えば国家に従順な人間しか出世できるポジションに立てなくなるということだろう。これで能力のある人間に最適に社会的役割を配分できるだろうか。東大の伊藤元重教授(経済学)は経済学の入門書の中で、ソ連など社会主義国家群が資本主義国家群に敗北した理由は情報の流れが悪かったからだとしている。情報の流れが悪ければ資源が効率的に配分されえない。計画経済の名のもとにソ連では官僚やその子弟が国の資源の配分権と情報を独占していた。情報が一部の人間に独占されると、人、モノ、金を最適に配分できなくなる。そもそもそのような社会体制では集まる情報も不完全になる。都合の悪い情報は上がってこない。その結果、無駄な事業が増えて誰も批判できなくなる。戦争は最大の公共事業である。
大手メディアの幹部は寿司ぐらい自前で食う金は持っている。会食するジャーナリストを批判するだけでは解決しない。その原因となっている特定秘密保護法の撤廃が必要だ。日本のジャーナリズムが弱いのは市民が支えていないからでもある。国立大学に関しても同じことが言えよう。
■2012年の記事から 秘密保全法案と民主党 〜どこから出てきた? 特定秘密保護法案〜
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201312080608240 「自民党(と公明党)が悪玉で、民主党は善玉・・・そうした二元論で今回の特定秘密保護法案を考えてよいのだろうか。今回の問題は民主党政権時代にすでに芽があったのではないか。もしそうだとすれば、その根源に二大政党制をうながす小選挙区制の問題があったと筆者は考える。小選挙区制によって実勢以上に国会で多数派を構成できた政党が数の力で法案を押し通す危険性は何も今回に限定されない。そして民主党の中には安倍政権と同様にタカ派のグループが存在していることは野田政権のこの法案の件を見ても明らかである。民主党政権は前半はハト派の顔をしていたが、後半にタカ派の顔になっていた。」
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