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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2015年02月17日21時09分掲載
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文化
【核を詠う】(173) 波汐国芳歌集『渚のピアノ』の原子力詠を読む(5) 「被曝物行き場の無きを被曝してあらばわれらも行き場の無きや」 山崎芳彦
福島市在住の歌人である波汐国芳さんの歌集『渚のピアノ』を読み、原子力詠(筆者の読み)を抄出させていただいてきたが、今回が最後になる。波汐さんの短歌作品を、歌集『姥貝の歌』、さらに波汐さんが編集人である歌誌「翔」、その他を通じて読ませていただき、この連載の中にかなりの回数にわたって記録してきたが、福島の歌人が東日本大震災・福島原発事故を詠いつづけ、詠い残していることの意味は、この国の短歌界にとどまらず社会的、歴史的に極めて大きく貴重であると思う。とりわけ原発事故、原子力にかかわって自らの体験、生活の具体を短歌表現し続けることは、すでに70年を経ようとしてなお続いている広島、長崎の原爆による被爆者・被災者の苦しみの歴史を考えても、その被災の態様は同じではないが、核災として同じであり、その現実とこれからの歴史の実態の真実を知ることができない原発災害であるだけに、詠うものが自ら背負うべき課題といえるとさえ考える。
もちろんこのことは、被災した、あるいは被災地に住む歌人にとどまるものではない。 それをなしている歌人は、世に知られている歌人だけでなく、いまとくに福島の地に、そして全国の原発立地地域に営々として作歌している少なくない人々がいる。さらに、核発電による核災が繰り返される危険を、いま原発再稼働、さらにはリプレース新設へのたくらみによって強まっているこの国の何処にも、いまの政治・政策が続く限り、安全地帯はないことを思えば、全国の短歌人にとって意識の中に、作歌活動の中に持つべきテーマであるのではないかと、筆者は思っている。 いま、核発電の問題は、人が生きることに密着した問題であると思う。原子力に依存する社会に、これからも生き続けるのか、そこからの脱却を求めるのか、脱却を可能にする生き方を、そして社会の仕組みを真剣に考え、できる限りのことをしようとする意思と自覚を問われている私たちであることを、詠う人たちはその作品をもって自らと他者に伝えきることを思いながら、生の現実と向き合う中で、一首をなすことの大切さを思う。
もとより、短歌界の問題だけではない。いま進められている、とりわけ安倍政権の政治の現状、これからについて思うとき、このまま進めばいかなる時代が、私たちだけでなくこれからを生きる人々に待ち構えることになるのか、思うだけでも安穏としてはいられない。憲法が、いま壊されつつある。すでにその中身が壊されている。改憲の発議、国民投票の以前に“壊憲”が進められていることは、、特に安倍政権が進めている政治・政策にあきらかだといえる。次々と「閣議決定」されたことがらの実効性が現実化されている。武器使用、外国の軍隊に対する武器など戦争用の物資の提供、武器輸出三原則の破壊、海外への自衛隊派遣、現行法の恣意的解釈による人権抑圧の容認、沖縄の辺野古における海上保安庁「公務員」による暴行の実態、福井地裁の判決などなかったように進める原発再稼働体制、歯止めのない「特定秘密保護」の運用、現憲法の下で行われている安倍政治の具体は、もともと憲法を敵視し、遵守しようとする意志のない政権の下で、実質的な“壊憲”政治が進行していることを隠そうともしない。言うだけでなく行っているのである。
前に触れたが、福島から川崎市に避難しながら、福島と首都圏の人々をつなぐための活動に積極的に取り組み、さまざまに福島の現状について発信している山崎健一さんは、自らまとめた資料集の中で「被災者は憲法で保障されている『人権』が侵されたままです」と記している。その内容を記したい。 1.「恐怖と欠乏から免れ、平和に生存する権利」(憲法前文)―放射能の恐怖から必死に逃げた原発周囲の人々、3年経っても放射能による健康障害への不安、まるで戦争と同じです。福島はもうすっかり「復興」したように受け取られていますが、全くの誤解です。 2.「個人としての尊重、生命、自由、幸福追求の権利(憲法第13条)―避難所の体育館や粗末な仮設住宅での不自由なプライバシーのない生活、人間の尊厳も人格も蔑ろにされ、生命の維持さえ困難で、まして幸福追求など望むべくもありません。人生を根こそぎ奪う状況です。 3.「法の下の平等」(憲法第14条)―「被曝しているのでは」「福島県民」ということで受けるさまざまな不利益や不平等や差別や偏見は想像以上に深刻で、現在も進行中です。東京電力の社内では、全国の原発立地県や地方を「植民地」と呼んでいたというが、これこそ中央が地方を見下した表現ではないか。 4.「居住・移転・職業選択の自由」(憲法第22条)―先祖代々の家にはもう数十年も、あるいは永久に住めなくなり、望みもしない遠隔地への移転。また自営業も、農業も漁業も林業も放棄せざるをえない状況に追い込まれ、不本意な職業に変る苦難を強いられた方々も多い。 5.「健康で文化的な最低限度の生活の保障・生存権」(憲法第25条)―この25条は、南相馬市小高区出身の憲法学者鈴木安蔵が起草したのですが、その故郷の人々の「生存権」がこんな形でおかされることになろうとは皮肉なことです。 6.「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」(憲法第26条)―原発事故の一番の犠牲者は子どもたちです。家族から別れて生活したり、通学していた学校を離れて学友たちとも別れたり、志望校や合格校を断念したり、決まっていた就職も避難のために取り消しになった生徒も多い。劣悪な環境の仮設や間借りの教室や校舎では、学習も学校行事も部活動も不十分な状態にあります。現在も進行中の悲惨な状況です。 7.「勤労の権利」(憲法第27条)―原発事故により、これまでの仕事もなくなり、勤労の権利が一方的に奪われてしまいました。その補償も不充分で、当然全国で訴訟が起こされています。 8.「財産権」(憲法第29条)―放射能の汚染地帯となり、不動産の価値はゼロに等しくなり、所有権や営業権、水利権、漁業権、鉱業権なども侵され、「正当な補償」もなされていない。 9.その他、環境権などの権利も蔑ろにされています。
以上、原発事故による被害、避難者である山崎健一さんが、「元福島大学長・福島県九条の会代表吉原泰助先生の論文にもとに考えてみました」としてまとめられたものだが、福島原発事故が「建設前からの警告や反対を無視し、傲慢とあくなき利潤追求のために、明らかな『人災』として引き起こされた福島第一原発の事故」(山崎健一さん)による被災によって憲法による諸権利が奪われたことを追及していることは、正当・切実な内容であろう。 憲法は、生かされなければならない。そのためにこそ護らなければならないのだと思う。憲法を護る力、生かす力は、いま進められている安倍政治を阻止し、その政権を倒す力でなければならないのだろう。原発再稼働の阻止も、辺野古への米軍基地移設と言う名での基地建設の阻止も、武力行使の歯止めなき拡大や武器の開発・製造・輸出の促進などを許さない力でなければならない。自衛隊の戦争訓練、武装強化はすでに度を越している。憲法の精神に反する法・制度が次々とつくられつつある。貧困と差別の構造も、教育の反動化も・・・。挙げていくときりがないほど安倍政治の逆流政治は激しい。
これを書いている今(2月17日午後2時前数分、午前にも地震が報じられた)、東北地方で大きな地震(震度5強)の発生が報じられている。原発再稼働など、どうして許されるだろうか。東北電力の女川原発、東通原発や、日本原電の六ヶ所村の核施設に影響が起きていないか調べているという。「今のところ異常は確認されていない。」と報じてはいるが…。
そんな中で、波汐さんの作品を記していく。
◇遠花火(抄)◇ 花火爆(は)ず その火明りの傾くにありありと見ゆるこぼるる人ら
花火爆(は)ず 私のマグマも爆ぜゆくを六魂祭の夜に見ており (六魂祭は3・11震災以後の東北六魂祭をいう)
ノーモア福島 花火に込めて夏空へ鬱籠りたる街を打ち上ぐ
◇馬(抄)◇ わが奔馬 遠野に消えしと思いしがみずみず光りて甦りたり
復興の街に野馬追の野馬追うを若きら己れの中からも追え
被曝地の古里興(おこ)しに踏ん張れよ野馬追の野馬 赤銅の馬
◇五輪招致(抄)◇ 原発事故 収束の道険しきに招致五輪の脚取られんか
福島の遠きを東京は安全という五輪招致の言に波立つ
五輪招致に人ら沸き立ちゆく中をずんずん沈む被災の心
◇風の道(抄)◇ 復興へ村を抜けよう車くれば車と走れサルビアの朱(あけ)
竜巻を操るは誰つぶつぶの人の暮らしも巻き取りゆくを
放射能著(しる)き海ぞや風あれば風の木の間に傾きて見ゆ
◇福島に起つ(抄)◇ 震災に打ちのめされしを陽炎のゆらゆらと起つ心なりけり
被曝地の福島ならず遠き地に木の実預くる樹々らの知恵ぞ
被曝地に風も泳者のバタフライ輝きながら旗より出(い)でよ
フクシマに何が何でも陽に向きて今起つ心 ひまわりの花
除染(じょせん)とて削(そ)がるる福島の深みより脱(ぬ)け出(い)でんとや泳ぐてのひら
かさこそと鳴るは降り積むセシウムの翅の音かと庭に目をやる
六号線に原発銀座ありしかど原発爆ぜて人住まぬ町
被曝物行き場の無きを被曝してあらばわれらも行き場の無きや
福島の叫び聴かせてと言う人ら 福島牛の「モウ・・・」聴きたきか
海はただ広きにあらね起つ波の自由の歩み天へ続くも
福島に今欲しきもの春風のさやさや樹々を起(た)たさんこころ
選ばれて福島の今を駆くるわれ 遠眺むれば輝きていん
歌集『渚のピアノ』からの原子力詠(筆者の読みによる)の抄出は以上で終るのだが、同歌集刊行のあとに「うた新聞」(いりの舎発行)の平成26年5月10日号に波汐さんの「近詠作品10首」と題しての一連が掲載された。歌集刊行後も波汐さんが原子力詠を福島の地で詠いつづけておられることを示すものとして、転載させていただく。今日も波汐さんは福島の地に生きる歌人としてその「呼吸」そのものとしての短歌表現を追求し続け、被災地福島の復興にもつなげる意思を持ちながら「批評の眼をもって時代を視、日常の生活の中から素材を見つけ、それを踏まえて前向きに詩的現実を創造してゆく」(『渚のピアノ』のあとがき)営為に励んでおられることと、筆者は畏敬の念を持つものである。1925年生まれの波汐さんが、なおも積み重ねている貴重な果実のみずみずしさを味わえる幸せを筆者は、多くは交してはいないが、電話の声、いただいた書信の言葉を思いながら、よろこぶ者の一人である。
◇辛夷パレード◇ 自らを嗤うも混じり福島の「辛夷通り」に辛夷パレード
被爆三年 避難の列の長々と手繰(たぐ)り手繰(たぐ)るを尽きぬ奥処や
汚染土を覆うシートの蒼々と遠き稲妻ひらめく里ぞ
稲妻が闇に走るを福島の海が見えるか いのち見えるか
そびらだけ残る磐梯清(すが)やかに物思う胸の無きも又よし
被曝後を訪(と)う磐梯ぞ 磐梯に重ねて軽くなりゆく心
翳りゆく裏磐梯を胸として抱(いだ)くに遠き沼光りたり
フクシマの灯台の灯を闇深きわれにみちびく自分探しぞ
白亜紀の双葉の地こそ呼び戻せ恐竜の口 炎を吐きて
春の菜の茎(くき)立つを食(は)む 福島の地(つち)にし立つを食(は)む朝(あした)なり
次回も原子力詠を読む (つづく)
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