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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2015年03月16日13時37分掲載
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核災をうたう詩人の強靭な精神 ―詩集『わが大地よ、ああ』若松丈太郎― 大野和興
南相馬の詩人若松丈郎さんが、3・11以後折にふれ書いてきた詩をまとめました。待ちに待った一冊です。どきどきしながらページを開きました。3・11からまだ間もない二〇一一年五月、若松さんは『福島原発難民』と題する詩集を上梓しました。若いとき東京で編集者として働き、福島に帰郷して評論や小説を書いていた友人に勧められ、一読して詩人の直感力と想像力に驚嘆し、戦慄さえ覚えたのを鮮明に記憶しています。若松さんの詩は、3・11以前に3・11後を細部まで予言していたのでした。
今回上梓された詩集は、核災の中にある福島を、くらしの日常の中に凛として立ちながら、人類の発祥からこの先の遠い未来までを、みずからの身体と精神の奥の奥の奥まで分け入り、一点のあいまいさもない言葉にして紡ぎだしています。確か今年で80歳になられる老詩人の強靭な精神性に圧倒される思いです。「核災」というのは若松さん独特の言い回しで、人類が手をつけてはいけない核がもたらす超歴史的ともいえる災いを表現しています。
村で育ち、村を歩くことを生業として七五歳まで生きてきたものとして、若松さんの詩の一語一語が身にしみます。例えば「逃げる 戻る」と題された詩。
わたし、わたしたちは逃げ出した/逃げなかった人、人たちがいた/逃げ出したかったのに逃げることができなかった人、人たち/逃げたくはなかったのに逃げざるをえなかった人、人たち/逃げた人、人たち/逃げなかった人、人たち/それぞれに事情があって/それぞれの判断があった/それぞれの判断が許されない人、人たちがいた(以下略)
ぼくは3・11があった二〇一一年四月以来、福島県三春町と田村市都路地区を仲間と折にふれて訪ね、地元の人たちと何事かをやってきました。原発から五〇キロの三春と、すぐそこに原発があった、若松さんが住むみ南相馬では事情が違うところはありますが、どちらも放射能禍にさらされていることでは変わりはありません。ぼくらは七〇歳を超える高齢だったので、同じ年代の方の方がお互いわかりあえるということもあって、同年配の農村女性と一緒に仕事をすることにしました。
多くの方々が九〇歳代のお年寄りを抱えておられます。あるお宅を訪ね、「今日ばあちゃんは」とお聞きすると、「裏のばあちゃんの畑にいますよ」ということでした。行ってみると、ばあちゃんは畑に座り込んで一心に草をむしっていました。そこはばあちゃんの天地であり宇宙でした。危ないから逃げようと、ばあちゃんをその畑から引き剥がしたら、ばあちゃんは翌日死んでしまうかもしれないと思ったものでした。
逃げた人、逃げることができなかった人、それぞれ事情があり、それぞれが判断を迫られ…。ぼくらはただ話を聞き、一緒に働くということに徹してこの四年を過ごしてきました。若松さんの詩は、胸にこたえます。
本書には、若松さんが二〇一二年につくった「ひとのあかし」という詩が収録されています。「ひとは作物を栽培することを覚えた」ではじまるこの詩は、大地に生きる人の誇りをうたったものです。
作物の栽培も/生きものの飼育も/ひとがひとであることあかしだ あるとき以後/耕作地があるのに作物を栽培できない/家畜がいるのに飼育できない/魚がいるのに漁ができない/ということになったらひとはひとであるとは言えない/のではないか
若松さんの詩は自己のいる場所にしっかりと根を張りながら思いの赴くままに時空を超え、現実を、その現実の奥にある本質をがきっとつかまえる、そんな魅力があります。 詩人はうたいます。
いつもの年なら/冬至の日の浴槽に浮かべたり/白湯に入れて香りを楽しむ/柚子の実なのに(略)岡田のばっぱさんに家の/だれもいなくなったばっぱさんの家の・・・
このどこまでも日常の、くらしの情景は、別の詩篇で一転するのです。
わたしは想像してみる/二百年前に人類がいて(略)核を発電に用いた人類がいて/核の制御に失敗した人類がいて(略)わたしたちは二百万年ののちの人類について知らない/彼らがわたしたちを二百万年のちに記憶しているか/わたしたちが彼らの記憶にとどめられている存在なのか/わたしたちは想像できない
(土曜美術社出版販売刊 2014年12月、2300円+税)
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転載について
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若松丈太郎詩集『わが大地を、ああ』





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