この春、夏名漱石著「吾輩ハ猫デアル」が旧字体にルビをふって復刻されました。復刻にトライしたのは古い印刷技術である活版印刷機械を代々、所有する小さな独立印刷工房です。挿画も古い時代のものが掲載され、当時の読書の形が再現されました。復刻にトライした東京の九ポ堂の二代目の主、酒井道夫さんに話を聞きました。
Q 九ポ堂の二代目の主、酒井さんはなぜ猫を復刻しようとそもそも思われたのか。その動機、きっかけについて教えてください。また元の原稿はどうやって入手されましたか?
A 元原を入手したわけではありません。あくまで「寸珍版」(明治44)の再録です。この本を入手するのは左程困難でなく、保存の程度を問わなければ今日でも高い代価を払う必要はありません。 復刻の動機は、この版を改めて通読したことで、年少時に読んだ際の印象と一定程度人生の苦楽を経た後で読んだ場合の印象が全く異なっていることを発見したからです。そうこうしているうちに、寸珍版固有の「ふりがな」の存在に気付いたのです。
Q 漱石の作品の著作権が喪失したことが復刻を可能にした理由だったと聞きましたが、そのあたりについて教えてください。
A 著作権消失に関しては、「青空文庫」がネットでその解説と、消失者一覧表を掲示しています。(注・著作権情報センターによると、実名の著作物の場合、著作者の死後50年までが原則)
http://www.aozora.gr.jp/siryo1.html 因みに、漱石は1966.12に著作権が切れました(注:漱石は1916年に死亡。それから50年後の1966年いっぱいまで)。今では ゾッキ本扱いになっている数種のチンケな「漱石全 集」がこの頃しきりに巷に出現しました。恐らく「新 組み」ではなく、どこかの版元が流してしまった紙型 をそのまま流用して刊行したものと思われ、私もその 内の数種を所有していますが、どれが元版なのかは確 かめていません。それほどに、「漱石全集」は魅力あ る刊行物件だったのでしょう。
今回の『猫』に絡んでは、挿画の淺井忠は1957.12に著 作権消失。中村不折は1957.12。次に予定している1906年 刊の英語版『I am a cat』は、挿画が橋口五葉(1971.2に著作権 消失)です。これは漱石の『猫』を最初に刊行した服部書店から安藤貫一なる人の訳で刊行されましたが、没年不明です。まさか1965年を越えて生存していたと は考えられません。もう今年は佐藤春夫、尾崎史郎あたりが著作権を消失 するような時代です。来年は、谷崎潤一郎、江戸川乱 歩、梅崎春生、高見順あたりまで!
Q この著作権について、今、TPP(環太平洋経済連携協定)で期間が延長されそうだという噂を聞きましたが。
A TPPの圧力で著作権が70年に延長される件ですね。と んでもないことです。私は、ネットで『日本叢書』なる不思議な刊行物を順次UPしたいと考えて、しかるべ く準備をしていたのですが、著作権の引き伸ばしが実現 するとこの企画も頓挫せざるを得ません。この叢書は 一巻が四六判36ページ一折だけで成る刊行物ですが、 敗戦時を挟んでその前後に名だたる教養人が多数参加 して成立していたブックレット群です。戦中戦後を通 じて当時のインテリに大変支持されていた叢書です。 今で言えば「岩波ブックレット」のようなものです が、もっと桁外れに読まれたものでしょう。これが 「一億玉砕」から「戦後民主主義」へと思潮がシフト チェンジしていく過程を如実に伝えている好資料です。
この叢書の記事の著作権がだいたい50年前後で消 失するので、順次人目に触れるようにすることに意義を見出し、年寄り仕事には良い材料だと思っていたの ですけどね。戦後まで一貫して「名士」の評価を維持 した諸氏の文章は個人全集などに収録されてもいますが、今では無名の淵に沈んでいる人達の文章が、この場合は結構貴重です。しかし、無名氏の文章であれば 却って著作権交渉に手間がかかる上に、しかも著作料などはほとんど払えないわけですからこの企画は頓挫 です。市民目線から戦後民主主義の風潮を問い直す手立ても向こう20年ほど先送りですね。こんなことを看過して良いのでしょうか?
著作権の延長は「個人権利の延長」なんだから結構なことではないか、と安直に考える人も居るようですが、これは「悪しき個人主義」というものですね。一定の時間を経た創作物は、それを生んだ当時の文化にもそれを生み出した動機の一端を担う力が働いていたわけですから、もうすでに歴史の共有物でなくてはなりません。
70年というのはディズニーという企業の延命策だと聞いたことがあります。そういえばもう50年も前、駆け出しの建築雑誌編集者であったわたしは、住宅室内の取材撮影時にクッションなどに配されたディスニーのキャラクターが映り込まないように気をつけていました。当時から、ディズニー社は専門スタッフが目を皿のようにして諸刊行物の写真をチェックしていて、写真の片隅にでもこれを発見すると法外な版権料を請求してきたのです。あの企業にとってキャラクター商法は死命を制する問題なのでしょう。(つづく)
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