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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2015年08月07日21時57分掲載
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反戦・平和
挺対協週刊ニュース 2015−23〜25号(8月5日発行、一部抜粋)〜米国活動報告
キム・ボクトン(金福童)ハルモニとともに、挺対協は日本軍「慰安婦」問題解決と平和を訴える12泊13日の米国活動を行いました。 今回の米国キャンペーンは、オハイオのクリーブランド〜ワシントン〜シカゴと続く日程の中で、米国務省での面談、ジョージワシントン大学でのセミナー、日本大使館前での水曜デモ、イリノイ平和の碑建立関連の懇談会など多様な日程を消化しながら、日本軍「慰安婦」問題解決のために米国社会と政府の関心を促して、終戦70年を迎えるにあたり、戦争を止めて平和の道をつくっていこうという訴えを広く伝える計画です。
<6月25日(木)> 朝、米国行き飛行機に搭乗しました。・・・(中略)・・・オハイオ州クリーブランド空港に到着しました。米国UCC(The United Church of Christ)所属の牧師が空港に向かえに来てくださいました。UCC定期総会は2年に一回ずつ行われます。今回は3,000名が参加してくれました。
<6月27日(土)> 今日もUCC総会場でブース活動を力強く進行していきました。多くの方が署名していき、日本軍「慰安婦」問題がどのようなものなのかよく分かっていない人々に説明をすると、初めから涙ぐみながら署名をしてくれたり、「私も性暴力被害者です」と言う人がハルモニの勇気に感謝を述べて手を握ったりしてくれました。
午後3時、「日本軍『慰安婦』被害者の声」というタイトルでワークショップを開きました。かなり大きな会議室だったのですが、人でいっぱいになりました。 まず、UCC側から私たちの紹介が始まりました。「少女の物語」というアニメーションに込められたチョン・ソウン(鄭書云、故人)ハルモニの人生を通して日本軍「慰安婦」であった女性の人生を伝え、キム・ボクトン(金福童)ハルモニがマイクを握りました。
ハルモニは「私たちの国は力がなく、日本帝国主義に数年間、国を奪われて生きてきました」と話を始めました。満14歳で連れて行かれた話から始まり、台湾を経由して広東、香港、インドネシア、マレーシア、シンガポールなど日本軍が戦争を繰り広げた場所ごとに、トラックで積み荷のように連れて行かれなければならなかったと話を続けていました。話す人も聞く人も心を痛める話が、場内で繰り広げられていました。参加者はハルモニの一言一言を聞き漏らすまいと耳を傾け、ときにため息をついていました。 ハルモニの話の最後は、やはりナビ基金で終わりました。コーヒー一杯分のお金で、難しい立場に置かれた戦時性暴力被害女性を助けることができると訴えました。ハルモニは「協会の総会には、多数の参加者と米国全域と各国から来た牧師がいるのだから、一緒にお祈りしましょう」と忘れずに呼びかけました。ハルモニの話が終わってから、聞いていた人々は起立し拍手を送りました。
続けて、ユン・ミヒャン(尹美香)代表が、日本軍「慰安婦」問題と被害者の状況をより詳しく説明しました。水曜デモが20年以上続いているということに全員が驚き、「ソウルへ行ったら水曜デモに参加することができるのか」と尋ねてくる参加者いました。日本軍「慰安婦」問題が解決しないことに対して、米国を始めとする国際社会の責任についても話をしていました。
多くの方々がハルモニと互いに感じ合い、ワークショップが終わった後も一人ずつ近づいてきてハルモニに挨拶をしていきました。その中で一人の若い女性は、自身も強かんをされた経験があり、ハルモニの言葉が大きな勇気になったと告白してくれました。ハルモニは「元気を出して」という言葉とともに、暖かい抱擁で気持ちを伝えました。 また、ある方は「今回の総会の中で一番よいワークショップであった」という感想を伝えてくれました。今日の参加者が、広くこの話を伝えてくれると期待しています。
<6月29日(月)> 私たちはワシントンに到着しました。クリーブランドを発って約1時間、ワシントンダラス空港に降りると、もの凄い歓迎団がハルモニを迎えました。ワシントン挺身隊対策委員会のイ・ジョンシル会長も出迎えて下さり、「米州希望連帯」の会員も出迎えて下さいました。空港で、ハルモニと家族のような人に会ったので、ハルモニは花が咲いたような笑顔になりました。「アイゴー」という一言にもハルモニの気持ちが表れています。 空港からすぐ記者会見場に直行し、先ず、ワシントン及び米国訪問の目的やスケジュールを知らせる記者会見を行いました。テレビカメラだけでなく、新聞社の記者もたくさん来ました。
「ワシントン挺身隊対策委員会」総務の司会で進行し、イ・ジョンシル会長の挨拶、続いてキム・ボクトン(金福童)ハルモニの話が始まりました。日本軍性奴隷になった苦痛の歳月をカメラの前で落ち着いて証言し、「私たちに、未だ解放は来ていない」と言い、同胞と米国市民に関心を持ってくれるよう訴えました。特に「日本は『慰安婦』問題解決はおろか、戦争の準備をしているので、友人なら正しい道を行くよう忠告しなければならない」と米国の責任も強調しました。 最後にユン・ミヒャン(尹美香)代表が挨拶の中で、最近、韓日政府間で行われている日本軍「慰安婦」問題解決のための8回の日韓局長級協議と以後続く協議にかける期待と、被害者と挺対協の要求について説明し、米国キャンペーンに来ることになった理由とその活動の日程も紹介しました。また、クリーブランドにあったUCC(United Church of Christ)総会に参加することになったプロセスについて説明し、総会で日本軍「慰安婦」問題について持ったワークショップの報告もしました。 記者の質問もありました。米国で初めて行う水曜デモを前にして心情はどうかという記者の質問に「やってみれば分かるでしょう!」と答えたので会場に笑いが広がりました。
<6月30日(火)> ホテルを9時に出発しました。10時に「アムネスティー・インターナショナル」米国支部の事務所を訪問しました。ク―マ代表との面談が予定されていたためです。 ところがアムネスティーの事務所に入った瞬間、キム・ボクトン(金福童)ハルモニを待っている会議室で、ぐるりと取り囲む席を埋めていた活動家たちを見て驚きました。ク―マ代表と会う程度に考えていましたが、研修員と職員すべてがハルモニに会えるように席を準備しておいたとのことで、ありがたかったです。 まず、ク―マ代表が日本軍「慰安婦」問題に対する現況を説明しました。現在、韓日間の紛争となっているが、実はこれは女性の人権問題であるという説明とともに、現在のハルモニの状況が良くないので、話を聞ける時間がいくらも残っていないと説明してくれました。続いて、キム・ボクトン(金福童)ハルモニの話が始まりました。 ・・・(中略)・・・ 「解放になったと言うけれど、私たちは未だ解放されていません。日本がこのことを解決する時まで、私たちは解放されません。ところが日本政府は、未だ私たちの問題も解決せず、戦争の準備をしていると言うのに、米国の大統領は日本が戦争できるように後押ししているのは間違っていると思います。二度と戦争ができないように米国政府が圧力をかけなければならないと思いますが、皆さんはそう思いませんか?」と語りかけるハルモニの証言は、強いエネルギーを込めてアムネスティーの活動家に伝わりました。
続いて、ユン・ミヒャン(尹美香)代表が、 「日本軍『慰安婦』問題の核心は、日本軍『慰安婦』制度に対する国家責任を認めることである。即ち、日本政府が軍施設として『慰安所』を立案、設置し、管理、統制したという点を認めること、女性たちが本人の意思に反して『慰安婦・性奴隷』となり、日本軍に性暴力を受けた植民地、占領地、日本の女性の被害は、それぞれ違う様相であり、また被害者が莫大で、現在も続いているという点、日本軍『慰安婦』制度は、当時の様々な国内法、国際法に違反する重大な人権侵害だったという点などが重要である」と述べ、 「国家の責任認定は翻すことのできない方式での謝罪、謝罪の証左としての賠償により裏付けられなければならず、再発防止のための歴史教育と被害者追悼事業も実施されなければならない」と伝えました。 また、「現在、韓国政府と日本政府が日本軍『慰安婦』問題を解決するために8回にわたって協議をしていますが、被害者の要求がこの協議の中で解決策としてきちんと伝わるよう、国際人権活動家、平和活動家の支援と連帯が必要だ」と述べました。 さらに、「アムネスティー・インターナショナルが日本軍『慰安婦』問題に関連した報告書を発表し、その報告書で日本政府に解決を勧告した時から今年で10周年になるが、その勧告事項がどの程度実現されたか点検し、未完の課題が達成されるよう努力してほしい。このために、米国支部がもっと積極的に乗り出してくれることを望む」と伝えました。
アムネスティーを後にして、ジョージワシントン大学に向かいました。その大学の「エリオットスクール(エリオット国際関係大学院)」でセミナーがあるためです。学生、教職員、市民が、準備された座席を埋め尽くしました。 午後2時を少し回って、セミナーは始まりました。キム・ボクトン(金福童)ハルモニは「ソウルから来た被害者のキム・ボクトン、歳は今年で90歳です」と自己紹介した後、証言を続けて行きました。 ・・・(中略)・・・ ハルモニは、自らの経験を証言しながら、日本政府が責任を否定していることに対する怒りも吐露しました。 「日本が戦争を準備するというが、とんでもないことであり、米国の大統領が、戦争犯罪者に再び戦争ができるよう後押しするのは悪いことだと思う」と言い、日本が戦争をできないように働きかけてくれることを要請しました。ナビ基金について説明することも忘れませんでした。 ・・・(中略)・・・ ユン・ミヒャン(尹美香)代表は、キム・ボクトン(金福童)ハルモニがアメリカに出発する前、紛争地域の子どもたちを助け、平和活動が育つように全財産を寄付したいきさつを補足説明し、日本軍「慰安婦」問題解決のための活動過程も紹介しました。 参加者は、平和の碑が建てられた所がどこなのかと質問し、北朝鮮との連帯についても気がかりを表明しました。ある参加者は、ベトナムで行われた韓国軍の犯罪についても尋ねました。 これについてユン・ミヒャン(尹美香)代表は、日本軍「慰安婦」問題解決運動が反日運動ではないという点と、犯罪を犯した国家であれば、それが韓国政府であれ、米国政府であれ、日本政府であれ責任を負わなければならないという当然の原則を説明し、ナビ基金の趣旨と活動も再度具体的に説明しました。公式的な謝罪がどんなものであればよいのかということについての質問には、翻せない謝罪と法的責任について説明しました。
<7月1日(水)> キム・ボクトン(金福童)ハルモニと挺対協、「ワシントン挺身隊対策委員会」、「米州希望連帯」、「ワシントン市民学校」、「米州同胞全国協会(naka)」、農楽隊「ハンパン」、フィリピンの進歩女性団体である「Gabriela in USA」が参加し、日本大使館前で第1185回ワシントン水曜デモを行いました。 韓国記者団、日本記者団を始めとし、ロイター通信が長い列を作って取材活動をしていました。キム・ボクトン(金福童)ハルモニが大使館前に到着するや、取材陣のマイクがハルモニに向かって伸びる光景が広がりました。お疲れでしょうにハルモニは本当に堂々とした姿で、日本大使館に面した狭い会場の中央に座りました。テーブルの上には最近亡くなったキム・ウェハン、キム・タルソン、キム・ヨ二ハルモニの遺影が置かれ、既に誰かが献花した赤いバラが飾られていました。 ・・・(中略)・・・ キム・ボクトンハルモニに続いてマイクを握ったユン・ミヒャン(尹美香)代表は、 「水曜デモは、ソウルの日本大使館前で1992年1月8日から始まり23年を超え、今日第1185回を迎えている」と紹介した後、「今日のこの水曜デモは、ソウルでも行われ、フランスのパリでもヨーロッパ平和紀行を実施中の『希望ナビ』の青年たちによってエッフェル塔前で行われている」と報告しました。 また、「日本軍『慰安婦』問題は、単に韓日間の政治的問題ではなく、戦時国家によって行われた性暴力、性奴隷犯罪であり、人道に反する犯罪であり、これは既に国連などの国際社会において公認された事項である」と述べ、 「日本政府はこの事実を認め、公式謝罪と法的賠償、歴史教科書への記録、追悼事業などを通して再発防止に努めなければならない」と要求しました。 同時に、今年2015年は、第2次世界大戦が終わって70年であることを強調しながら、「70年前に解決できなかった日本軍『慰安婦』に関連した犯罪処罰と被害者に対する日本政府の法的責任の履行を達成するよう、国際社会が共に努力しよう。このことを通して、終戦70年が来る前に被害者が真に戦争が終わったと、解放だと叫ぶことができる、そんな日を迎えられたら良い」と訴え、発言を終えました。
ある女子中学生は、ハルモニに尊敬と申し訳ない気持ち込めた手紙を読み、フィリピン系米国人女性運動団体「ガブリエラ」の活動家チョ・キアンバオさんは、日本軍「慰安婦」問題はフィリピンでも依然として現在進行形の事案だと言及し、被害者に対する日本政府の謝罪は、帝国主義日本軍の犠牲になった女性、そしてすべての軍国主義の被害者のためのものであると要求しました。 ・・・(中略)・・・ ワシントン挺身隊対策委員会のイ・ジョンシル会長と挺対協のユン・ミヒャン代表は、日本大使館に渡す書簡を持って大使館前に向かいました。挺対協は、第12回と第13回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議で採択した日本政府に要求する提言を書簡に盛り込み、解決を要求しました。 事前協議の過程で、大使館前にはイ・ジョンシル挺対委会長が一人で入っていくしかありませんでしたが、大使館の職員にワシントン挺身隊対策委員会の書簡と挺対協の書簡を渡し、力強くスローガンを叫んだ後、ワシントンでの第1185回水曜デモを終えました。
<7月2日(木)> ワシントンでの最後の日です。朝早くから忙しかったです。昨年フェアファックス(バージニア州)の政府庁舎に建てられた日本軍「慰安婦」記念碑を訪ねることになっていたためです。 午前10時30分に「米州希望連帯」国際チームのソ・ヒョッキョさんと、教育チーム長のチュ・ヒヨンさんと一緒に記念碑がある所に到着すると、ワシントン挺身隊対策委員会のイ・ジョンシル会長とキム・グァンジャ前会長が出迎えてくれました。アルジャジーラ放送も先に来ていて撮影をしていました。キム・ボクトンハルモニは、記念碑にきれいなバラの花束を献花し、記念碑を撫で、愛情を表現しました。そしてナビ(蝶)の形の椅子に腰かけてもみました。 ナビの椅子に座ってアルジャジーラ放送のインタビューに答えるハルモニは、「日本軍『慰安婦』問題が解決されないから、米国の人々と政府に知らせに来た」と言い、日本の戦争準備を止めるためアメリカが努力しなければならないと訴えました。 また、「日本の安倍は、米国が手を握りさえすれば良いと思っているようだが、とんでもないことです」と言い、日本と米国が最近見せている態度に対して強い反対の意思を表明しました。
その後、米国国務省を訪問し、「第13回日本軍『慰安婦』問題解決のためのアジア連帯会議」の採択決議文と、米国政府を始めとした連合国各国に、不処罰資料の公開及び責任を求めました。 ・・・(中略)・・・ 国務省側は、「ハルモニが話してくれた言葉が本当に感動的である」と深い感謝を表明し、「米国政府も、この問題が解決されるよう両国政府と対話しているし、さらに努力していく」と答えました。
<7月3日(金)> ワシントンで名残惜しく別れの挨拶をし、シカゴ行きの飛行機に乗りました。一時間余り飛んで到着したシカゴ空港では、女性ホットラインのチ・ヨンジュ事務局長と「平和の碑」建設推進委員長などが空港まで迎えに出て来られていました。空港で荷物を車に積んで、すぐに向かいの韓国食堂へ道を渡り、おいしいご飯と冷麺を食べ、今日はこれで休憩にしました。
<7月4日(土)> シカゴで、キム・ボクトン(金福童)ハルモニと、パレスチナのハルモニが会いました。ラズミア・オデという名前のパレスチナの女性でした。イスラエル軍は、パレスチナ人の民家に入って行き、人々を殺し、家族が見ている前で強かんする悪行を犯したと言い、彼女もやはりイスラエル政府に連行され、拷問を受け、強かんを受けました。地獄のような時間を耐えた後、弁護士だった彼女は悪夢を振り払うために、そしてお父さんの癌の看病のためにアメリカに渡り、パレスチナ移民と女性のための権益活動に身を投げうって来ました。 ・・・(中略)・・・ キム・ボクトン(金福童)ハルモニの願いを込めて作られた戦時性暴力被害女性を助けるための「ナビ基金」が、今日のこの出会いでラズミアにも渡されました。
<7月6日(月)> キム・ボクトン(金福童)ハルモニと私たちは、米国シカゴからインチョン(仁川)空港行き飛行機に乗りました。 ・・・(中略)・・・ 私たちの米国訪問活動に協力して下さった、クリーブランド、ワシントン、シカゴで会ったすべての方々、報道で協力して下さったマスコミの皆さん、心からお礼申し上げます。
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