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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2015年08月30日14時27分掲載
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コラム
本当の怪談、ここに極まれり
最恐映画シリーズの最後として「呪怨 ザ・ファイナル」なる映画が今年6月に上映された。ネットやテレビでは、試写会で怨霊が出てくる映像を見た女子高生たちが「キャー」と言いながら目を覆い、顔を歪める様子が映画の宣伝として流れたが、彼女たちの表情を見て、年寄りの私は「何と幸せそうに、怖がるのだろう」と思ってしまった。 現代の日本で、この手のホラーの嚆矢となったのは、鈴木光司原作の小説「リング」と思われる。小説の初出は1991(平成3)年であり、その後に映画化もされている。古き明治時代、悲劇の超能力女性と異常心理学者の不倫から生まれた「貞子」が、周囲の虐待を受けて古井戸に捨てられ、殺されてしまい、その怨念が現代に甦って、「不幸の手紙」形式に次々と人を呪い殺すというお話である。テレビから実体化して這い出てくる貞子さん、怖かったですね。
私は、荒川区南千住という場所で生まれ育った。JR南千住駅周辺は、ここ20年再開発が進められ、昔の面影は消えつつある。ただ、JR南千住駅前の商店街の通りは、今でも「コツ通り」と呼ばれている。コツとは人骨のことである。
千住は、江戸時代に日光街道の出発点となった宿場であり、あの松尾芭蕉も奥の細道を千住大橋から始めている。宿場である以上、宿屋も女郎もヤクザも居た。そのすぐ隣は、隅田川の氾濫原(はんらんげん)である安達が原(足立区の名の謂れ)が広がり、また小塚原と呼ばれた刑場があった。常時、打ち首獄門にされた死体が掲げられていたのである。 東海道を西から江戸に入ると品川宿があり、その脇に鈴鹿森の刑場があったのと同様、日光街道を北から江戸に入ると千住宿があり、近くに小塚原の刑場があって、「江戸のご府内で悪事を働かないように」と警告する意味があった。 刑死となった遺体は埋葬を許されないのが原則で、安達が原に放置された。これを「打ち捨て」と言い、大水になるたびに安達が原には首と胴、もしくは手足と胴が切り離された刑死体がプカプカ浮いたと思われる。そして白骨化し、沈殿した。それがコツ通りの謂れである。実際、下水道工事などで地面が掘り返されると、泥土とともに白い、もしくは黄土色の、元は白骨であったろうと思われるものが出る。今から50数年前、小学生だった私は、それを実際に何度か見たことがある。 江戸も元禄、中期以降になると、小塚原の脇に千住回向院というお寺が開かれ、刑死した人を弔ってくれるようになった。おそらく、表向きには打ち捨てであったが、場合によっては回向院が埋葬することもできたと思われる。現在、NHKが大河ドラマで「花燃ゆ」を放映しているが、前半の主人公であった吉田松陰は、小塚原で斬首された後、回向院で弔われている(その後、遺骨は萩に移され、埋葬されている)。その回向院には、斬首された者の数が古文書で残っている。その数、3万人を下らない。江戸時代が260年として、3日に一度は斬首があったことになる。十両盗れば首が飛ぶと言われた時代であるが、驚くべき数である。 このことを知って、小学生だった私は、コツ通りが本当にコツ通りだったことを実感した。私は生まれてこの方、3万人余の首なし死体の上で成長したのである。その怨念を思うとき、貞子さんの1人くらい何のことはない。
しかし、それよりも恐ろしいことを、私は父母から聞かされた。父母は、昭和20年3月の東京大空襲を生き延びたが、その大空襲では、都下の約8万人が一晩で亡くなったのである。父も母も知人・友人を喪ったし、数日間は死体の焼け焦げる臭いの中で、自らも間もなく死ぬだろうという絶望を抱えつつ、それでも暮らし、生きていたと言う。想像するに恐ろしい出来事であり、だから父母は「戦争だけはあってはならない」「戦争だけは絶対悪だ」と考えていた。 遠い昔のことのようであるが、皆さんのすぐ近くにも東京大空襲の痕は残っている。建物も樹木も焼け落ち、灰燼となり、一面の焦土と化した東京であったが、その残骸・残土は外堀等を埋め立てて外堀通りなどの主要道路となり、東京湾の夢の島、葛西沖のディズニーランドの下にも使われているのである。
小説「リング」が流行したとき、私は40歳近くになっていたが、ふっと日本人が本当に怖いもの、戦争による死者が問いかけているものなどを忘れる時代になったのではないかと思った。その頃から「英霊は、本当は○○と思っていたんだ」といった、戦争による死者の重く深い眠りを妨げるかのような皇国史観まがいの論調(靖国神社正当化のための修正主義)が跋扈するようになったとも思う。
そして今、私たちは本当に恐ろしいものを見ているのである。それは、多くの憲法学者が違憲だと述べるのに対し、自身が一番の賢者であるかのように振る舞って、戦争へつながる安全保障法制を強行しようとしている一国の総理、あの戦争の悲惨さを想像できない「妖怪の孫」である。 「本当の怪談、ここに極まれり」という事態ではないだろうか。(伊藤一二三)
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