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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2015年09月15日00時35分掲載
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反戦・平和
挺対協週刊ニュース2015−30号(9月8日発行)〜第三回世界日本軍「慰安婦」メモリアルデー世界連帯集会
8月12日、第三回世界日本軍「慰安婦」メモリアルデー世界連帯集会、及び1191回目の水曜デモを昼12時に日本大使館前平和路で開催しました。 夜明けからヒューマネージメントのチャン・サンウク代表をはじめ、職員たちが分かれて平和路に舞台を設置して、音響システムを設置します。午前10時から希望ナビ、平和ナビたちが現れて、集会をともに準備します。いつの間にか午後0時になって、平和路は人でぎっしり。大部分は小中高校生たちなどの青少年世代です。約3,000名(警察推算1,500名)ほどが集まったようです。
「パウィチョロム(岩のように)」の歌に合わせて、ナビたちの力強いダンスで始まった集会は、司会を担当したチェ・グァンギ挺対協広報大使の力強い声へとつながっていきます。
ユン・ミヒャン常任代表とハン・クギョム、キム・ソンシル共同代表が舞台に上がって、 「キム・ハクスンハルモニが勇気を出して記者会見で被害を証言した1991年8月14日を、世界の女性たちは世界日本軍『慰安婦』メモリアルデーとして守り、日本軍『慰安婦』女性たちの歴史を記憶し、再びこの土地にどんな戦争も、どんな力も、女性に対する性暴力犯罪も引き起こすことがないように、ともに連帯行動し始めます。 私たちは今向かいます。解放へ!私たちは今、解放の扉を自ら開こうと思います!民族分断の痛みを平和に、統一につくりかえ、離散の痛みをずっと抱えて生きてきた日本軍『慰安婦』被害者たちが、家に帰るための道をしっかりと開こうと思います。 私たちは戦争と暴力の歴史を閉じ、平和と正義の波を乗り越えようと思います。戦争の中で、性暴力を受けて、苦痛を受けている女性と子どもたちに、私たちの連帯の手を伸ばそうと思います」と宣言し、 「今日、この世界連帯集会に共に参加している皆さん、全国各地で私たちと共に連帯の旗を上げている皆さん!解放は遠くありません。統一は遠くありません。逆流している歴史の正義を正す日は遠くありません。ともに最後まで連帯しましょう」と開会の挨拶を行いました。
挺対協会員団体である韓国女性団体連合のキム・グモク代表は、連帯発言を通して日本政府に日本軍「慰安婦」問題に関する国家責任認定と法的責任履行を要求し、東北アジアの平和にとって脅威である安倍政権の危険な戦争準備を糾弾しました。
太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ共同代表も連帯発言を通して、キム・ハクスンハルモニが20年前光復50周年だった1995年8月14日に、集会で発言したことを再び聞かせてくれました。
最後に、連帯発言はトロント歴史教育関連団体であるアルファのMao Xiang氏がカナダのアルファのメッセージを送ってくれました。
続けて、コッタジ公演が始まりました。前奏が演奏される時間に、集会会場のすぐ横にある第一毛織建物の前にある花壇で、一人のおじいさんが焼身する事件が起こりました。 集会は中断して、ヤン・ノジャ・チーム長を始めとした近くにいた人々が集まってみんなで共に火を消し、参加者たちは悲嘆しました。希望ナビがヨーロッパ平和紀行のときに作った垂れ幕を火にかぶせて、幸運にも事件は収拾されましたが、全員がとても驚き、ハルモニたちは牛黄清心丸を飲みました。警察が来て、ある人は吐き、公演を準備していたコッタジチームは歌を歌うべきか歌わないべきか状況判断できず、司会者も顔が真っ青になり・・・すべての人々の時間が止まったような、そんな瞬間でした。 少し後、焼身した方が81歳で光州から来られた、勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会会員であることが分かりました。そして、水曜デモに3、4回いらっしゃったハラボジということを知りました。幸運にも命には別状はないという連絡を警察から受けました。 コッタジチームは頼まれて、もともと準備していた歌の「パウィチョロム」は省略し、「母にささげる歌」という追悼曲だけを歌いました。
その次の順番がキム・ボクトンハルモニの発言で、ハルモニの状態が配慮されましたが、ハルモニが「予定どおりやる」と仰ったので、舞台に上がりました。しかし案の定、ハルモニは上手く話すことが出来ませんでした。ただ、「皆さん、くじけないでください」と言い、「おかしいですね。私は今日、これ以上話せないようです。のどが詰まって言葉が出てきません。すみません」という発言でハルモニの言葉は締めくくられました。
その後、準備していた青少年たちの発言、日本から来た大学生の発言は中止するほかありませんでした。 水原から来たヒョドン小学校の5年生たちが直接「あなたは愛を受け取るために生まれてきた人」という歌の歌詞を変えて、平和を歌いました。パダッソリの公演も中止し、声明書を平和ナビ、希望ナビ、青年ナビがともに読んだ後、最後にパフォーマンスである「ナビ、解放へ飛び立つ、2015年ついに解放」という私たちの意志が込められた大きな垂れ幕を参加者たちの頭の上に広げながら、世界連帯集会は終わりました。
今回の世界連帯集会は、韓国のソウル、釜山、晋州、大邱、光州、統営、昌原など国内をはじめとして、日本の東京、関西、広島や、台湾の台北、カナダのトロント、アメリカのシカゴ、ドイツのベルリン、フィリピンのマニラなど8ヶ国25か所で同時に進行されました。 世界連帯集会が終わった後、参加者たちは在韓日本大使館前から光化門セウォル号広場を通って、ソウル広場まで「ナビ行進」を行いました。
・・・(中略)・・・
一日の行事がすべて終わって事務所に戻り、今日の日程を締めくくる頃には、時計が午後11時30分を示していました。 職員たちは家に帰り、ユン・ミヒャン代表は、世界連帯集会で焼身した方が入院している漢江聖心病院に車で向かいました。眠気と疲れが最悪の状態でしたが、今日行かなければダメなようでした。明日も続けて別の日程が続々と待っているからです。 病院に到着して午前0時、重患者室入り口でベルを押して病院側と対話を試みました。「患者の状態を知りたい」と言うと、病院側は「知らせることは出来ない」と言います。家族と共に来てくれれば、知らせることが出来るとのことです。 再び外に出ると、光州から来られた勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会のイ・グゴン代表がおられ、現在の状態を聞いて、家族の状況に関しても聞くことができました。韓日市民実践協議会のキム・ヨンファン氏も到着され、一緒に2時間、病院のロビーで座って話をしましたが、何の確認もできず、出来ることも無かったので、イ・グゴン代表に何かあれば教えてくれるようお願いし、病院を出ました。
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