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2015年10月19日23時00分掲載
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沖縄/日米安保
沖縄「誇りある豊かさ」へ(上) 島の暮らしから考える 仲西美佐子(沖縄・恩納村、百姓)
安倍政権が強行している辺野古新基地建設に伴う大浦湾埋め立てで、オカヤドカリが主役に躍り出ている。沖縄防衛局が国指定天然記念物オカヤドカリ類の捕獲・移動の同意を求める文書を、県教育委員会宛てに提出していたのだ。防衛局の意識は、天然記念物なので埋め立てで消滅しないように捕獲して移動すればいいのだろうというそれだけのものだ。しかし、沖縄の人びとのとってはオカヤドカリはそれだけの存在ではない。沖縄の豊かさと精神性の象徴としてのオカヤドカリについて、恩納村の仲西美佐子さんが季刊雑誌『変革のアソシエ』に寄稿された報告を紹介する。仲西さんは恩納村にくらし、百姓仕事の傍ら地域の資源と自然を守り育てる運動に取り組んでいる方だ。(大野和興)
沖縄:誇りある豊かさ」へ――島の暮らしから考える
仲西美佐子(沖縄・恩納村、百姓)
◆ニライカナイと来訪神
沖縄は亜熱帯・モンスーン気候帯にあって、サンゴ礁とイノー(干潟=リーフに囲まれた内海)に四方を囲まれた生物多様性に富む風の島である。祖先は強い海風や台風から身を守るため、海岸林、抱護林、屋敷林を植え、住み心地の良い空間と持続可能な暮らしのため丁寧な資源管理をしてきた。緑と多様な生物を守る一方で、資源回復力が豊かなイノーに助けられてきた。それが、結果として「美しい風景」を形成することになり、またどんな問題でも、時間をかければ力づくで解決する必要がないという「非武の文化」を生み出したのだと思う。「誇りある豊かさ」とは、このように沖縄特有の暮らし方の偉大な成果である。
(1) 美しい風景
これまで政治家は誰も彼も「開発優先の物質的豊かさ」だけをいい「豊かさの質」を問うことはなく、新たなビジョンを打ち出すことも無かった。しかし、今から四〇年以上前の経済至上主義でも、物質循環を基にした経済のあり方を考え、自然や人間関係の豊かさを評価する伏流はあった。
今回の知事選で翁長さんは「誇りある豊かさ」という言葉を前面に出した。翁長さんは「沖縄県の県民所得は四七位でも生活満足度は一六位。誇りある豊かさの基本はできている」といって喝采を受けた。聴衆の多くが本当の豊かさはGNPでは表せないと自覚しているからである。「誇りある豊かさ」から私が思い出すのは、本当の豊かさ、本当の幸せを追求するために、一九七三年沖縄県名護市が打ち出した「名護市総合計画・基本構想(名護プラン)の「逆・格差論」である。
◆名護プラン
名護プランの冒頭には、「我々が自然の摂理を無視し、自ら生産主義に全てを従属させるようになった幾年月の結論は、今自然界からの熾烈な報復となって現れ、人間の基盤そのものさえ失おうとしている」と書かれている。
名護市は四〇年前にこのような状況把握をし、経済開発を優先し物質的に生活環境を整えることが社会資本の充実と考えることのまちがいを指摘した。さらに、農村や漁村が都市に対して果たしてきた役割を評価し、「むしろ地域住民の生命や生活、文化を支えてきた美しい自然、豊かな生産の持つ、都市への逆格差をはっきり認識し、それを基本とした豊かな生活を、自立的に建設」としている。そして、今ある美しい風景や豊かな自然を誇り、景観や観光のためでなく、生活環境や生態系の上で最も重要だから確実に保護するとしている。名護市は行政として、美しい風景のはらむ人々と自然の関係を取り戻そうとしたのだと思う。
◆丁寧な資源管理
かつてどこの地域でも人々は美しい風景の中で暮らしていた。自然と折り合いをつけながら自然を最大限に利用してきた。無秩序に収奪するのではなく、丁寧な資源管理をして自然的社会資本を積み上げてきた。顔の見える関係は信頼関係を築き、社会関係も深めてきた。お金が無くても豊かであった。金の要らない助け合いを基本とした豊かな社会関係を持ち、豊かな自然環境から天然の恵みを受け、癒され、遊ぶうれしさを得てきた。
美しい風景は暮らし方の結果である。農林水産の生産方式も風景に大きく作用する。暮らし方から見ても、農林水産業から見ても、日常の基本となっていたかつての資源管理のあり方を振り返ってみたい。
一九七〇年のころ、民俗調査のために大勢で山原の集落に入ったことがあった。その折、地域の婦人からの差し入れでタケノコをもらい、料理の方法や竹の種類や生えている所を教えてもらった。数日後、その竹を見つけて採っていたら、通りがかりの人に「なぜ取っているか」と聞かれ、「食べるため」というと「ここの人ではないので取ってはいけないヨ。」と諭されたことがある。
そのころ、山や川、海、野原など所有者が一見わからない、自然という漠然としたものはみんなのものだから、誰が採っても使ってもいいものだと思っていた。守り、育てている人のいることを知らなかった。今でも多くの市民はそのようだと思う。だから、どこでも勝手に入り、何でもかんでも持ち帰る。例えば伊江島でマーナ(伊江島に自生している菜の一種)の季節になると、他地域から来た人たちがあぜ道だけでなく畑にまで入ってマーナを取るために畑を踏み荒らしている。その対処方法として、時期になると耕作していない畑を耕運し、マーナが生えないようにしていると聞いた。 交通が発達したために、住んでいる所から遠く離れた保全に何ら関わらなかった人たちが、我が物顔で資源を収奪している。地域に住む人は維持管理(見守り)しながら活用してきても、よそから来る人は収奪するだけの場合が多い。いや、守ることを知らない人ばかりのように思う。
以前は、村に住むための保証人を必要としたことが多かった。保証人は、移住者に村に暮らすための地域資源の使い方や管理の方法など、村で暮らすための慣習として定着していた自然とのつきあい方を伝える役割を担っていた。
私の住む恩納村南恩納はヤードゥイ(宿取り集落≒移住者)である。耕作に適さない土地に慣れない農家の貧しい家族が、やむにやまれずソテツを採って食べたことがあった。そのことが村に知れて罰を受けた。ソテツなど個人のものでないものは「食料不足でソテツを食べなければ乗り切れない」と村の判断があったときにはじめて食べることができたとのことである。
地先の海は「海方切り」で区切られ海岸林保全の義務と利用の権利は地域にあった。糸満漁民に貸した場合の使用料は、大漁の時は各戸にも人数割で現物配分があった。また、せき止めて漁のできるような川は年間入札も行われていた。
猪垣のある地域では、垣を超えては罠を作らない。猪垣の山側は猪の領分なのであり、人間の領分を侵害した猪だけを捕っていた。また、猪を捕ってはいけない期間もあった。農作物を荒らす害獣は食肉資源でもあった。
◆保全への参加
保全や管理は、地域の人のほうが日常的に関わりやすい。田舎では行政に頼るのではなく、そこに住む人たちで里道や河川の草刈や修繕を続けているところが今でもある。ブーと呼ばれる労働慣行は、アシタチマジリ(立って歩ける人)、ジュウサンルクジュウ(一三才から六〇才まで)、キブイ(煙で数える、家族単位)など、作業の目的によって参加の方法が分かれていた。公平さや受益者のことなどを考慮した参加の仕組みであった。現在は戸別単位が主になってしまっているようで、さびしい。
権利意識の強い市民はボランティア活動としてしかゴミを拾わない。当然のこととしてゴミを拾わないで、ボランティアで特別に善いことをしていると思っているのではないだろうか。市民は労働で利益を得ることには慣れているが、地域の社会関係資本を豊かにした福祉や社会資本を豊かにすることには未熟である。行政に頼りきって、住民としての義務を放棄している現状では、住民自治を叫ぶにはまだまだ早いと思う。
◆オカヤドカリとアダン林
アダン林の穴からオカヤドカリが生まれ、たわわに実ったアダンの実を食べて島中にひろがりました。同じ穴から人間も生まれアダンの実を食べてひろがりました。―という伝承がある。オカヤドカリは人間の先輩である。
沖縄で「昔」を表す言葉に「ハダカユー」「アマンユー」などがある。オカヤドカリをアマンあるいはアーマンというところが多い。私はアマンユーのアマンは天というよりオカヤドカリと解釈したほうが良いと思う。アマンユーは人類以前のオカヤドカリの時代ではないだろうか。
お盆の供え物に多くの地域でオカヤドカリの好物のアダンの実があった。今では供え物にアダンの実ではなくアダンの実に似たパイナップルに変えているところが多い。 お盆の夜は海に引きずり込まれるから海に行ってはいけないといわれている。大潮の夏の夜にオカヤドカリは、大量の幼生を海に流す。その邪魔をしないように配慮していたのだと思う。オカヤドカリは夏の大潮の夜、幼生をまるでニライカナイへ旅立たせるように流している。彼女たちの流す幼生が海の豊かさの元になる。私たちの祖先は、どれくらいのオカヤドカリが海へ降りるかで豊漁になるかを占っていたのではないだろうか。
お盆の供え物はバショウの葉柄で作った小舟に乗せて門口に置いた記憶がある。ニライカナイとの関係が大きいとは思うが、同時にオカヤドカリの幼生へのお土産にも感じられる。
洗骨の風習があったころ、洗骨のとき遺体がミイラ化していたら「あの人は生前・・・・」と悪い噂が立ったという。オカヤドカリが食べずにあの世へ連れて行ってくれなかったのかと勘ぐられる。以前の沖縄の葬制は風葬といわれ、一次葬で墓室の中で風化を待ち、その後に洗骨をして改葬していた。風化の役割は微生物やウジ以上に雑食性のオカヤドカリが最大だったのではないだろうか。 オカヤドカリを食べないところが多い。その理由として、オカヤドカリは何を食べているか分からない。海岸に墓が多く、墓近くにオカヤドカリの多いことなどが、死体を食べていることを連想させるためなのか、神に近いからなのか。
上記の事例からオカヤドカリの繁栄が海の豊かさに繋がり、私たちの食を支えてくれると考えられていたといえるだろう。さらに、オカヤドカリの幼生流しはニライカナイへの旅立ちと豊穣の予祝を連想させる。また、死者のニライカナイへの先導役も連想させる。オカヤドカリは環境指標である。
◆自然の理に適った風景
沖縄は風の島であり、その風を防がなければ島での暮らしは豊かにはならない。その最前線の海岸林の代表がアダンである。うっそうと茂るアダン林の産道のような暗いトンネルをぬけて真っ青な海を見るからこそ、水平線のかなたから豊穣をもたらすニライカナイを想像できる。アダン林はオカヤドカリの棲み処であり、餌場でもある。
私の住む恩納村南恩納区では、第二次大戦のすぐ後、捕虜収容所から集落にもどって、ヒョウジュンヤー(終戦直後にツーバイフォー材を使って、共同作業で作った小さな戸別の家)をやっと作り終えたころなのに、戦禍で被害を受けたアダン林の修復を初めていた。そのころまで、アダン林が暮らしの中で大切にされていたことがよく分かる。私たちの先祖は、風を防ぐためだけではなく、私たちに豊かさをもたらす大切なオカヤドカリの餌や棲み処として海岸にアダンを植え、守ってきたと思う。
幕末に来訪した人々は琉球の風景を賞賛した。アダンの林を通して見える青い海は沖縄の風景絵葉書の定番である。激しい気象の変化を和らげ、海洋資源を豊かにする物質循環のキーポイントとしてのオカヤドカリとアダン林がある。アダン林は国造りの神話にも使われるほど大切であり、オカヤドカリも然りである。アダン林の残る海岸は海も陸も豊かにする。自然の理に適った美しい風景である。
また、資源循環型の少量多品目生産の農業の作り出す風景も美しい。つまりかつては、地域住民すべてが資源・環境保全に関わっていたし、その恩恵もほぼ平等に受けていた。しかし、現在は保全に費用をかけずに環境を汚す側の利益が大きい(近代農業がそうであり、たとえば近年まで農薬に補助があった)。直接的に風景の美しさから利益を受けている観光業もある。維持管理の費用を、維持する側の良心に押し付けるのは社会的公平を欠いている。美しさから一方的に利益を享受するだけという立場を恥ずかしいと思う境地になれないだろうか。 (つづく)
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